牡丹の知らせ 4

 五季が倒れてから約2時間後、五季の母親が血相を変えてフラン・フルールに飛び込んできた。


「五季! 五季はどこ?!」

「いらっしゃいませ、五季君のお母様」

「あんた……また五季に何かしたのね! 五季をどこにやったの!」


 昨日と同様、額の血管が浮き出るほど激昂した母親は、ひばりに掴みかかり体を強引に揺らす。息子が店で倒れたと連絡が入り、大急ぎで飛んできたようだ。誰だって自分の息子が倒れたと聞けば、同じような行動をするだろう。「また何か」と言われたが、昨日だって五季に対して何かした訳では無いのだが。

 ひばりは敢えて、至極落ち着いた口調で母親を諌める。


「落ち着いてください。痛いです。それに、五季君が起きてしまいます」


 その言葉に、母親は目を見開き、くっと息を止めた。


「寝て……いるの? 五季が」

「ええ。二階の工房で寝ています」

「そんな……。バク! バクのぬいぐるみは?!」

 ひばりの腕をきつく握りながら捲し立てる母親の顔は、どんどん血の気が引いていき、目が泳ぎ始めた。


「回収しました。五季君のお母様、あれは危険です」

「なんてこと……。今すぐ五季に返して! でないとあの子は――」

「もう大丈夫です、お母様。もう大丈夫」

「なにが――」


 ひばりは顔面蒼白の母親の頬をそっと包み、諭すように静かな声で語りかけながら、底の見えない優しい微笑みを向けた。


「五季君に巣食っていた悪い種は、握り潰してやりましたから」


 ひばりの言葉の真意がよくわからないまま、ひばりに先導されおずおずと二階へ上がった。工房に入ると、奥の長椅子に横たわった五季の姿が見えた。思わず駆け寄り、五季の頬を撫でる。見える場所に傷などは無く、五季はただ静かに寝息を立てていた。

 母親はホッとした表情を浮かべ、気が抜けたのかその場に崩れるようにペタりと座り込んでしまった。すかさずリヒトが椅子を運び座らせた後、温かいハーブティを母親の前に置いた。

 一言、ありがとう、と返し、母親はその場にいる者の様子を訝しげにうかがっている。ひばりは何冊も積み重なった分厚い本の上に座り、リヒトの出したハーブティに手を伸ばして言った。


「私、この店の店主をしている箱守ひばりと申します。あちらでアクセサリーを作っているいるのは森岡さん……通称モーリーさん。今お茶を持って来たのはリヒトと言います」


 名前を呼ばれた二人はにこりと軽く会釈をした。五季の母親も反射的に礼を返したが、この和やかな空気についていけず困惑した表情を浮かべている。


「五季君、ずっと穏やかに眠っていますよ」


 五季のすぐ傍でビーズのアクセサリーを作っていた森岡が、母親に声をかけた。

 五季が倒れた後、首から下げていた子ども用携帯電話から母親に連絡をし、ひばりが店で母親の到着を待っている間、頼まれたアクセサリー作りをしながら五季のこと見守っていた。


「そう……ですか。あ、私は多田万里恵ただまりえです。あの、五季はどういう状況なんでしょうか。こんなに熟睡するなんて……」

「本当にただ眠っているだけです。安心してください」


 万里恵はチラチラと五季に視線を送りながら、なぜか少し距離を開けていた。


「万里恵さん、五季君の体の中には、ある植物が根を張り、この幼い体を蝕んでいました。そして今も、まだ体から抜けきっていません」

「植物が根を張るって、どういうこと? 病院で検査しても何も出なかったって医者は言っていたわ」

「やはり、ご存知なかったのですね。そのままの意味です。五季君の血管の中に植物の根が張り巡らされた状態です」

「そんな……こと、あるはずないじゃない! レントゲンだってMRIだって撮ったのよ!」


 五季の無事を確認して落ち着きを取り戻したはずの万里恵だったが、意味のわからないことを言うひばりに再び怒りの温度が上がっていき、ガタリと椅子から立ち上がり、また掴みかかりそうな勢いでひばりに凄んだ。そんな万里恵に、ひばりは更に落ち着き払った様子で話し続ける。


「事実です。五季くんの中に巣食っているのは”プッフプル”という魔草です。五季君の体温や血液を餌にして育ち、宿主を殺します。そして最終的に体を捕食し、また別の宿主を探す。寄生虫のようなものです」

「ふざけないでよ! そんな恐ろしい植物が日本にいるはず無いじゃない! 本当にいたとして、なんであなたにわかるのよ」

「万里恵さん、魔草は魔女の専売特許ですよ」

「魔女って……ああ、そういうこと」


 万里恵はフッと身体の力が抜けたように、再び椅子に腰掛けた。怒りに我を忘れかけていたが、そもそもまじないを求めてこの店にやってきたのだった。まじないが魔女によって生み出されていることは知っていたので、ストンと納得することができたようだ。

 だが、魔女という存在にこれまで出会ったことがなかった万里恵にとっては、想像していたおどろおどろしい魔女のイメージと正反対の、目の前で優雅にハーブティーを飲むこの女性がその魔女だとはにわかに信じがたいことだった。


「万里恵さん、五季君を救うために、全てを話していただけませんか」

「話せば、なんとか……してくれるんですか」

「五季君のためにもなんとかしたいのは山々ですが、詳しいお話を聞かせていただかないと正しい処置ができません」

「まるで医者みたいな口ぶりね」


 自分を魔女だという怪しい女を牽制しようと、挑発するようにフンッと鼻で笑いながら嫌味を言う万里恵に、ひばりは困ったような笑みを浮かべた。


「お医者様ではないですけど……ふふ」

「何を笑って――」

「いえ、親子だなーと。ふふ、五季君にも同じことを言われました」

「五季が」

「万里恵さんの元気が無いので、私が医者なら治してほしい、と。五季君、それが言いたくて1人でここまで来たんです」


 その言葉を聞いた万里恵は、両手で口を覆い、込み上げてくるものをぐっと抑える。


「万里恵さんの不眠は、五季君が原因なんですよね」


 ひばりが立ち上がると、椅子にされていた本が静かに崩れ、床に散らばった。その様子をぼんやり眺めながら万里恵は嘆息する。この際、本当に魔女かどうかもわからないひばりに相談しても構わないという、半分投げやりな気分になっていた。誰でもいいから、現状を変えて欲しい。先の見えない暗闇から救い出して欲しい。それほどまでに、万里恵の精神は限界に迫っていたのだ。

 ゆっくりと歩みを進め、万里恵の足元にしゃがみ込んだひばりは、万里恵の手を両手で包み込んだ。万里恵はその手のぬくもりにこれまで感じたことのない程の安心感を覚え、堪えていた涙がぐずぐずと溢れ出した。ひばりは自分のハンカチを差し出し、少しだけ強く手を握る。


「万里恵さん、教えて下さい。五季君の様子が変わった経緯を、始めから」


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