第17話 柘榴のひみつ




 

 つまらない気持ちで家に帰ると、ガレージの前で弟の慎司がクロと遊んでいた。


 クロは生まれてすぐに、まだ目も開かないうちに川原の草むらに捨てられていた3頭のミックス犬の1頭で、釣りに出かけたとうさんと慎司が連れ帰って来た。


 懸命な手当の甲斐もなく2頭の兄たちは助けられなかったが、なぜか一番チビのクロだけが生き残り、2歳になったいまではすっかり井上家の一員になっている。


 クロは藍子とも仲よしだが、慎司と一緒のときは別だった。

 藍子のすがたを見つけても、いつものように飛びついては来ず、ほんの少しだけお義理のようにしっぽを動かすだけで、すぐにまた慎司との遊びにもどって行く。


 いくら呼んでも振り向きもしないくせに、大好物のジャーキーを見せると急いで走って来て、さっとくわえて慎司のところへ帰る、なんともげんきんなやつなのだ。


 そんなクロが、慎司は可愛くてならないらしい。

「姉貴よりぼくのほうが好きなんだよな、クロは」


 そういうときに限り、妙に大人ぶった言い方をしてみせるのも気に入らないし、弟のくせに得意げに小鼻を動かしてみせるのも、癪に障るったらありゃあしない。


      *

 

「ただいま~」

 声をかけても、かあさんの返事はなかった。

 扉で繋がっている動物クリニックで、とうさんの手伝いをしているらしい。


 藍子はダイニングのソファにランドセルをおろすと、奥の和室に向かった。

 仏壇の前に座ってチンと鉦を鳴らし、おばあちゃんの遺影に手を合わせる。

 それが済むと、キッチンに行って冷蔵庫からおやつを出すのが日課だった。


 なのに、その日に限って、なぜいつもと異なることをする気になったのか。

 自分でも不思議なのだが、何気なく仏壇の下の観音開きを開けてみたのだ。


 思わず息を呑んだ。

 白い小皿の上に、赤黒いつぶつぶで覆われたいびつな球体がごろりと寝ている。

 お世辞にも美しいとは言いがたい、ミニ怪獣みたいに奇妙奇天烈な物体だ。


 なんだろう、これ。

 果物? お菓子? 


 首を捻っていると、背後で畳を踏む足音がした。

 振り返ると、西日を背にした慎司が立っていた。


「それ、柘榴ざくろっていうんだよ。庭に生ったって患者さんが持って来てくれたんだけど、ひとつしかないから、おねえちゃんには内緒だよって、かあさんが……」


 いったい、こいつはなにを言ってるの? 

 藍子は太い棒で殴られたような気がした。

 

 ――なぜ、なぜなの?

 

 激しい憤りが稲妻みたいに身体を貫いた。

 慎司を突き飛ばし、おもてへ飛び出した。


 クロがまん丸い目を見張ってキョトンとしている。

 ゆっくり振るしっぽが、潤んだ目の端をかすめた。


 どこへともなくめちゃめちゃに走りながら、藍子はひとつのことを思っていた。

 

 ――わたしはやっぱり、このうちの子ではなかったんだ……。

 

 不思議になみだは湧いて来ない。

 むしろ氷のような気持ちだった。


 怒りと悲しみに駆られて疾走する藍子のスニーカーは、地面を踏んでいない。

 信号も交差点も横断歩道も車も自転車も人も、なにひとつ目に入らなかった。

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