第14話 狩り、開始 その1

 わたしは手で傷口を撫でて、付着した血を、拭うことができずに、

 落とすこともできずに、ただ見つめることしかできなかった……。


 もう、どうしようもない――ドクマルは本気だ。

 結局、アクシンはアクシンでしかなかった。なにを期待していたんだ、味方ができたなんて、そんなこと、あるわけないのに。

 種族が違うから、『分かり合える』だなんて、そんなことはなかった。


 違うものは、最終地点で分かり合うことは、やっぱりできない。

 表面的に分かり合う振りはできるけど、奥深くでは無理なんだ。

 だから、ドクマルはわたしのことを、襲えるんだ。――平気で、攻撃ができるんだ。


 優しい人なんかじゃない――ドクマルは、ドクマルは。

 でも、それでもあの優しさを一瞬でも見てしまったわたしは、このままドクマルに牙を剥くことなんてできなかった。

 攻撃方法なんて持っていない。

 わたしは人間だ、守ることしか、逃げることしかできない人間だ。


 でも、それだけでも、利用すれば、やれることはある。


 まだ終わったわけじゃない。動かなければ、死ぬだけ。

 ぎゅっと、わたしは拳を握った。


 いいように操られて、

 本音を潰されてしまっているドクマルを助けるために、わたしは――、


 諦めかけて俯かせていた顔を、上げる。


 そして――ドクマルを、強く見つめた。


 ―― ――


 強く見つめた――、わたしとしては睨んでいるつもりだけど、たぶん、相手からすれば睨んでいるようには見えていないんだろうなあ……。

 だって、わたしの敵意は弱過ぎる――。

 相手がドクマルなら尚更、弱肉強食を生き抜き、王者として君臨している陸上の王に、わたしの威嚇が通じるわけもなく――癖のように、ドクマルは、ふん、と鼻を鳴らす。


「なんだそりゃ、それがお前の攻撃体勢か?」


「……そうだよ」

 と、わたしは低い声で言う。

 ついでにこれも、威嚇のつもりだった。


 けれどドクマルは気にすることも気に留めることもなく、


「ふん、人間だが、やはり所詮は子供か……、指名手配されているから、なにか特別なのかとも疑ったが、なんてことはねえ、なにもねえただの人間――そのガキじゃねえか。

 これなら、成人している奴の方がまだマシな逃走劇を見せてくれるぜ――ったくよお」


 ドクマルは指で、ぽりぽりとこめかみを掻いて、

 あくびをしてから、わたしを見る――睨んで、本物の威嚇を見せてくる。


「――こんなんでびびっているようじゃあ、どっち道、他の場所で生き延びていたとは思えねえな……俺に見つけられたことは運が良かったのかもしれねえな。

 まあ、それはお前の主観でしか、感想は言えねえわけだが……」


 どうだよ、とドクマルが聞いてくる。


「……もしかして、見逃して、くれるの……?」


「見逃すわけねえだろ」

 と、予想通りの答えが返ってくる――そんなことは分かっていた、分かり切っていた。

 まあ、もしも見逃すと言われても、わたしは逃げなかったと思うけど。


「――ま、捕まえろと指示が出ている以上、殺しはしねえよ。

 そうだな……生きていればいいんだから、足の二本くらいは――ぶった切っておくか?」


 声の調子が、変わった。

 言葉の重みが、変わった。


 次の瞬間にはもう既に、ドクマルは手を振り切っていた――、

 ボールを投げ終えた投手のように、振っただろう手は、膝の辺りまで下がっている。


 風の音が、聞こえた――、わたしの頬を切ったあの攻撃が、飛爪が、くるっっ!


 別に考えていたわけじゃない。本音を隠すことなく言えば、なにも考えていなかったし、認識は圧倒的に、現実よりも遅かった。それでもわたしはいつの間に跳んでいて、足元に放たれた飛爪を――飛んでくる斬撃を、避けていた。


 一回の体験が体を動かしたのだろう――、脊髄反射よりも桁違いに早かった。

 振り終えたドクマルの手を、見てから、わたしは跳んだ……そこは、確実と言えるほど、分かるほど、覚えている。


 その時点で、わたしは跳んでも、飛んでくる斬撃など実際ならば避けることなんてできないはずだけど――でも避けている今、それは否定されることになる。

 一度の体験と、斬撃が飛んでくるという知識……あとは、生きたい。

 そしてドクマルを救いたいという気持ちが、脊髄反射を越えた動きを見せたのだろう。


 ……無理やりだとは思うけど、こうでも言わないと、

 今のわたしの動きに説明などつかなかった。でもやっぱり、説明をつけたところで今の動きを意図的に出せるほどに理解できたわけもなく、運が良かった――奇跡の動きだった、で完結してしまう。だから、二度目の攻撃を避けることはできない。


 跳んで、飛爪を避けてから、真下の、飛爪が抉った、凹んでいる地面に着地――、わたしは、驚き、間抜け顔で口を開けているドクマルに背を向けて、一心不乱に逃げることにした。

 ドクマルからすれば、背を向けて逃げるわたしは良い的だろうけど、驚き呆然としている今のドクマルは、すぐに動くことはできないだろう。

 わたしの目の前に見えている、曲がり角を曲がるまでは……っ、なんとか、そのまま呆然としていて、と願う。


「――はっ」

 と、復帰した声が遠く離れた場所まで逃げ切っているわたしにまで聞こえてきた――、

 そして、

「……俺の直線的な、一番速い飛爪を躱すとは、やるじゃねえかよ――」


 くっく、と笑うドクマルを、わたしは無視した――話している余裕なんてない。丸腰であるわたしは、今はとにかく、身を隠す場所を探さなくてはならない……、

 見つけなくてはならない。

 なにかをするのは、最大目的であるドクマルを救うのは、まずはそれをしてからである。


「さすがは、指名手配――じゃあ、直線的以外も、避け――」


 と、ここで声が途切れたのは、わたしが曲がり角を曲がって、ドクマルの姿が視界に収まらなくなったからである。


 真っ直ぐの道ならば、遠くても声が届いていたが、

 さすがに曲がってしまうと声も届かなくなるらしい。

 なんとなく薄っすらとは聞こえるけど、

 なにを言っているのか、その言葉を読み取ることはできなかった。


「……はぁ、はぁっ、止まっちゃ、だめ……ぇっ!」


 休みたい衝動を抑えて、まだ走る。

 まだ、まだまだ、走らなければ、すぐに追いつかれるだろう。


 二足歩行のドクマルだけど、だからって四足歩行ができないわけじゃないだろう。元々はライオンなのだから、ライオンとしての本来の動きの方が得意なのは明白だ。

 走るわたしを追って追いつくことなんて、ドクマルならばすぐにできる。


 そう思っていたけど――、


「でも、来ない、よね……?」


 同意を求める相手などいないけど、そう聞いてみた――もちろん返事はないから自分でうんと頷いてみた。でも自分で言っておいて、頷いておいてなんだけど、おかしい……諦めた? 

 そんなことはない。もしかして、わたしのことを――って、そんなわけがない。

 あれだけ目の前に立って言われたのだから、わたしを捕まえることは、決定事項のはず。


 なのに、追って、来ない――。


 今は、まだ? 後々に来る? 遅れて――来るのだろうか?


 なにをしているのだろう……? そんな疑問と好奇心が、わたしの足を止めた――止めて、しまった。音と、少しの空間の歪みでしか発見できない、目視できない攻撃を真正面から、受け止めるような形になってしまった――。


 結果が出るのは早かった。


 肩――が。


 斬れた。


「――え?」


 慌てて肩を押さえて、大げさに噴き出る血を塞ぐ――、それでも溢れ出る血を見つめていると、遅れて痛みがやってくる。激痛に顔をくしゃくしゃにしていると、また、音。


 ひゅんひゅん、ひうんひうん――、そして、追いかけてくる、壁が削られていく音。

 壁、天井、地面を破壊しながら迫ってくるそれは、痛みによって、正座のような体勢に崩れ落ちてしまったわたしの、太ももに突き刺さった。


「いっ――痛っ、痛いッ!?」


 太ももからも血が出てくる。――血を止めるために、片手は肩に、片手は太ももに。

 これで両手は塞がってしまい、

 それでも理不尽に、音とそれは、わたしをまだ狙っている。


 わたしのことを、狙っている――、当てずっぽうの数撃ちゃ当たる戦法じゃない。

 これは角度や威力を考えて、計算され尽くされている――、

 その場から動かずに、逃げるわたしを仕留めるための、ドクマルの、攻撃……っ。


「……飛爪は、反射する……!」

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