第20話 茅野の全身全霊

 だから、かけられた声も返さない。

 返しても、その言葉は人物には向いていない。


 虚無の空間に投げ込まれたような言葉だ。


「でも、そんな日野くんでも――白姫さんのことはきちんと見ていた……羨ましかった」


 それを言われて――ビャクヤはどうすればいいのか、分からなかった。

 けれど分かったことは――、


(――なんだかんだと、あいつ、わたしに惚れてるんじゃ……)


 まあ、それは完全に勘違いであるのだが――。


 思ってしまうと、否定はなかなかできない。内心ではしゃぎ始めるビャクヤ――そんなビャクヤの内面世界のことなどいざ知らず、茅野は長い長い前置きを終わらせ、言う。


「――私は、日野くんのことが好きです。昔から、大好きでした」

 

 顔を真っ赤にしながら――しかし教室から逃げ出してしまった茅野とは別人なのではないかと思ってしまうほど、彼女は、しっかりと向き合う。


 ビャクヤに。

 自分に。

 これから――日野に。


「――だから、日野くんに気持ちを伝えたいと思います。

 次の休みの日に、一緒に遊園地に行こうって、誘います」


 なぜそれを自分に言ってくるのか――ビャクヤには分からなかった。

 星の違いや文化の違いはあるけれど――これは単純にビャクヤに経験がないだけだ。


 今、宣戦布告をされていることに、ビャクヤは気づいていない。



「――日野くんは私のものです。あなたなんかに、絶対あげません」



 同時――昼休みが終わるチャイムが鳴る。

 別空間に移動している生徒は、もうこの世界に戻ってきていることだろう――。

 それはともかく――、茅野は言って、すぐにビャクヤの前から立ち去った。


 ビャクヤがなにかを言う前に。

 すたすたと迷いなく、歩を進める。


 表情にも迷いがなかった。

 覚悟は決まった、と言うような顔だった。


「…………」

 ビャクヤは屋上で座ったまま、動けなかった。 


 敵意ではない――悪意でもない。

 いつも絡んでくるような女子とはまったく違う、新しい――未知。


 勝負を挑まれたけれど、ビャクヤにできることは、なにもないだろう。

 あるかもしれないが、ビャクヤの思考では答えを導き出せなかった。


 待つしか――ないのかもしれない。

 結果が出るのを。


 澪原茅野――朝凪日野の、その先を。

 


 日野を奪い合う仲になったビャクヤと茅野――。

 ビャクヤは未だに、スタートラインにすら立てていなかった。


 ―― ――


 五時間目が終わって――六時間目が終わって。

 その間のクラスメイトからの視線は――あまり気にならなかった。


 それよりも、意識を集中させるべき事柄が目の前にあったからだ。


 最初から計画していたわけではない――けれど、ビャクヤと話していて、気持ちが爆発してまった。そして言ってしまった――日野に、気持ちを伝えるということを。


 幸いにも、今日に設定しなかったのは自分を守るための、無意識の防衛だったのか――。

 なんにせよ、休みの日に遊園地に誘うというのは良い判断だった。


 気持ちは決まっていても――しかし心の準備というものがあるのだから。

 とは言え、気持ちを伝える前に遊園地に誘うという難関が立ちはだかるのだが――。


 そして帰りのホームルームが終わり――生徒たちは皆、自由になった。

 だが一人だけ今もまだ拘束され続けているのは、ビャクヤだ――クラスの男子全員がビャクヤの席の周りに集まり、しつこく話しかけている。

 なぜか昼休み中の記憶がなく、気づけば五時間目になっていたという体験をしていた彼らは、昼休みに設定していたビャクヤへの質問タイムを放課後に回したのだろう。


 なんて――切り替えの早い。


 普通もっと疑問に思うだろう――数人ならまだしも、クラス全員が昼休みの記憶がないなんて、異常である。女子も例外ではないのだが――、こっちの方がさっぱりとしている。

 特に気にした様子もなく、「変だったねー」「ねー」のような、沈黙しなくていいように、話題として利用していたりしている。


 ビャクヤがなにかをしたわけではなく――元々からこういう反応だった。

 クラスメイトたちが皆、事件として騒ぎ立てないからこそ、茅野もこの教室に起きていた――そして女子更衣室で起きていた――別空間を利用したビャクヤと日野に限定される、都合の良い状況を作り出すその現象に、疑問を抱かなかった。


 まあ、茅野も完全に普通通りというわけにもいかなかったが――。


 しかし、今の茅野はそんな些細なことに意識を使っている場合ではなかったのだから――結局、おかしいことだと気づいていても集中はしなかっただろう。


 そんなことなど構わずに――真っ直ぐに。


 茅野は日野の元に向かうはずである。


 今だって、真っ先に帰り支度を済ませて教室から出て行った日野を、追いかけている。

 日野は早かった――茅野が靴箱に到達しても、彼の姿はまだ見えない。


 カバンに教科書類をしまうという行動をホームルームが終わってからした茅野――それの差だった。その間に、茅野が急いだ程度では追いつけない差をつけられてしまったのか。


 本当に、日野のことは掴めない――物理的にも、精神的にも。


(一体、どこに――)

 すぐに靴を履き替え、玄関を出る。


 そして、遠目だけれど、校門から出る日野の姿を捉えた。

 体力不足を今だけ恨んだ。毎日走って、体を鍛えておけば良かったと後悔した。


 体力があれば――日野に追いついた今、

 ぜえはあと息を切らしている姿を彼に見せなくて済んだのだから。


(――ほんと、最悪だ……)


 彼にどう思われているのか――ネガティブな思考が働くけれど、事態の中心地帯にいる日野は、本当の意味では誰も見ていないのだ。

 茅野のことなど見ていない――つまり、ぜえはあと息を切らしている茅野の姿は、日野の瞳には映っていないし、脳に記憶されてもいない。


 それを良かったと思えるのか――今の茅野は、思えなかった。

 たとえ無様な姿でも――自分でも見られたくない姿だったとしても。


 記憶には、残ってほしかった。

 見てほしかった。


 こんな自分を――きちんと。

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