第7話 久我山茜 その2

「ケチだなー。人を落ち込ませておいて」

「あんたが勝手に落ち込んだだけじゃないの」


 呆れて、溜息を吐く和実。

 でも、まだわたしに視線を向けている。興味、なのか。

 視線は未だ、わたしの前髪に向いていて、全然、はずす気配がない。

 さすがに、そこまで見られていると気になってくる。


「なにかついてるの?」

 手で頭を触ってみるけど、特に変化はないように感じた。


「うーん」

 和実は、悩みながら、言葉を選んでいる。


 どう言っていいのか分からない、ならいいけど、単に言いにくい、だったら嫌だ。

 言いにくいことがわたしの頭に起きているわけになるから――、

 恐怖がしがみついていることになる。


 すると、和実が再び手を伸ばしてくる。


「ここが跳ねてるから。気になる」

「寝癖!? さっき直してきたのに!」


 慌てて手持ちの鏡で確認する。

 ――確かに、跳ねている。髪の毛が飛び立つかのような勢いだった。


 なにを家出しようとしているの!? 許さないよ!? 

 あんたたちにはこのまま、成人までは共に行動してもらうんだからね!? 


 鏡越しに、目線でそう命令してみたけど、髪の毛にはそっぽを向かれている感じがする。

 な、舐められている……? 髪の毛にさえも? 

 わたしは自分のパーツにさえも見下されているの!?


 どうにか直そうとして押さえつけてみたりするけど、寝かせた髪の毛は、手を離せばすぐさま起き上がる。自主的に腹筋してやがる! 意気込みが良いなあ、髪の毛の諸君。


 いや、ともかく。

 このまま学校に行くのはさすがに恥ずかしい。

 今だって、他人がわらわらと居るこの場所にだって居たくはないんだけど。


 とりあえず、一度お手洗いに行って、大きい鏡を見ながら直したい。

 結構、気を遣ってセットしたのに、この髪型。


「じゃあ、ちょっと直して――」

「いいよ、ワタシが直すよ」


 んん? 戸惑っているわたしを無視して、和実が席を立つ。

 そしてわたしの隣の席へ着地。

 んん? なにをしようとしているのか、おしぼりを持って、唐突に――しぼった。


「なにしてるの!?」

「濡らしただけ。大丈夫大丈夫。未使用の綺麗なやつだから」


「絵的にその水はすっごく汚く見える。いーやーだー」

「逃げるな馬鹿!」


 がしっと掴まれ、ぐいっと引っ張られる。

 わたしは、逃げることもできないまま、席に強制的に座らされる。

 そして、髪の毛を結んでいた紐を取られて、わたしの髪の毛がばさりと重力に支配されて、真下に落ちていく。ふわり、風が生み出され、わたしもそれを感じた。


「この濡れた手で梳けば、直るでしょ」


 すぅ、と感覚がわたしをくすぐってくる。

 鳥肌が立つ、と同時に、気持ち良い感覚もわたしを包み込んでくる。


 和実の髪の毛は、長く、真っ直ぐで、綺麗だった。だからやり方が上手いのかもしれない。

 毎日やっているから手慣れたもんでしょ、と動かす手から、そんな言葉が伝わってくる。


 和実とは違って、わたしの髪の毛は綺麗じゃない。

 長さだって、長いと言えるか分からない中途半端な感じだし。


 一応、ツインテールっぽくはしているけど、長さが足りないから、ぴょん、と猫耳でも飛び出しているみたいになっている。それに、わたしの髪は少し硬いと思う。

 梳かす時に、たまに引っ掛かるから。不健康なのかもしれない。


 でも、


「綺麗……」

 と、和実は言ってくれた。


 嬉しかった。思わず赤面してしまうくらいには、嬉しかった。


 その顔を隠したくて、少し俯き、誤魔化してみる。


「お世辞はいいよ」

「お世辞じゃなくて。綺麗だから綺麗って言ったの――この色」


「色のことぉ!?」

「桃色って、やっぱ良いよねえ」


 くっ! 期待したわたしが間違いだった。

 確かに、わたしの髪の毛の、唯一の褒めるべき点はその色だけど! 

 お母さんも言ってた――「迷子の時に見つけやすいのよ、あんたの髪の毛」――って、

 目印扱いされるほどに便利で……あ、それだけだった。


 女としての魅力はこれっぽっちもない。女として終わりじゃない? 

 まあ、だよね。だって桃色の髪の毛って――いや、他の人もいるにはいるけど、決して、褒められた色ではない。


 馬鹿にはされるし、

 男には「桃色はアニメだけのものだ。現実に持ち出すな」、とか言われるし。

 望んでないんですけど! 地毛だもの! 染めても結局、落ちれば桃色だもの! 

 だから素であるわたしを受け入れる人でなくちゃ駄目だ。

 いるの? そんな奴。いたらわたしがパスする。

 なので、わたしはずっと一人身、決定ー。いいもん、和実がいるし。


「はいはい、むすっとしないで。というか動かないで。黙っててくれる? やりにくい」


「どんどん言葉遣いが恐くなってるんだけど。

 わたしに恨みでもあるの? そんなもの――心当たりありまくりだった、ごめんなさい!」


「もう――いいってば」


 和実は、黙々と作業を続ける。


 今のこの時間が、とても心地良く思えてきた。まるで、森の中にいるような――暖かい風が、体を撫でていくような。自然の中にいる感じがした。つまり、すごく眠くなってきた。


「ふわぁあ」

「寝たら置いてくから。茜の奢りね、やったー」


「起きたーっ! さあ、早く学校に行かないとねー!」


「こういう時だけ早いのね……まったく」


 そうしていると、

「はい、終わり!」と言って、和実の手が離れていく。


 あぁ……もう少し、もう少しやってくれても良かったのに……。

 しかし、わたしの気持ちに気づいても、それでも和実は手を離していく。

 眠くなってしまうから、駄目だと思ったのだろう。それは――仕方ないのかな。


 納得し、手鏡で頭を見てみる。うん、綺麗に整っていた。

 これで、世間に出ても恥ずかしくないだろう。

 まだまだ、乗り越える荒波は多そうだけど。


「いいね、ありがとう和実。これ、お礼にメロンソーダ、少しあげるよ」


「別にいらないわよ。というか、知ってるでしょ? ワタシが水、苦手だって」


「でも、さっきおしぼり絞ってたけど」

「触れるのはいいの。飲めないの」


 本当、おかしな弱点。

 水という単体を飲めないんじゃなくて、水を含んでいる――つまり、液体は駄目らしかった。

 食べ物とかの少量の水分は大丈夫らしいけど、飲み物は苦手らしい和実だった。


 それって、人生の半分以上を損していると、本気で思う。

 というか、水が飲めないって相当やばいんじゃ……。

 食べ物だけの水分じゃ、生きていけるほどの水分を取れるのだろうか。


 このまま、いずれ、倒れてしまうんじゃないだろうか。


 心配になってきた。でも、水だけは、和実はすごく避ける。

 冗談ではなくて、本気でまずいやつなのだろう。相手の嫌なことをついついやってしまう小学生男子ではないので、からかったりはしないけど。


「……ちゃんと、克服しないと駄目だよ」

「分かってる。今、頑張ってるの」


 お母さんに言われて、少しうんざりしているような子供の言い方だった。

 その言い方に、にっこり、と顔を歪めてしまう。


 どうやら、和実は和実で、頑張っているらしい。それならばいい。駄目だと諦めて、道を逆走してしまうのは、一番やってはいけないことだ。

 たとえ駄目だと思っても、進むべきなのだ。前に、登れそうにない壁が立ち塞がっていても、手をかけて、足掻くくらいはしないと、この先の人生、生きてはいけない。


 と、こんなことを偉そうに言える立場ではないけど。

 人よりも自分。わたしもわたしで、しっかりと頑張らなくちゃね。


「茜」

 声をかけられ、視線を和実へ。

「放課後は、空いているの?」


「放課後は――」

 予定を頭の中で確認してみる。特に……なにも……ないかな。

 というか、元から決まっている予定はあまりない。

 あるのは唐突に決まった、割り込みの予定だけなのだ。

「――呼ばれなかったら、空いてるよ」


「つまり、いつも通りってわけね」

「そういうことなのです」


 言い終わってから、さて――と、重い腰を上げる。

 なんだかんだとしている間にも、あと少しで一時間目が終わる時間だった。

 そろそろ行かないと、二時間目前の休み時間に間に合わない。

 さすがに、二時間目まではサボりたくない。わたしの場合、授業についていけないから。


「はい、これ」

 レシートを渡された。そしてそのまま、レジへ向かうわたしと和実。


 お金を払ってから、外へ。

 平日なので、当然、人は少ない。いるのは暇人くらいなものだった。


 わたしたちも、そう見られているのかもしれない。


 まず、空気を吸って、それから一言。


「茜。――まあ、その……頑張ってね、色々と」


 わたしの家庭状況を知っている和実は、そう言ってくれた。


 頑張ってね、か。頑張ってできることならば、いいんだけどね。

 そうそう上手くはいかないことだし、気力の方が持つか、心配。

 でも、頑張る。和実に言われて、なにもしないなんてことはできないからね。


 だから、お返しに、わたしも言った。


「和実も、色々と頑張ってねー」


 色々と、言えるほどに和実のことを知っているわけではないけど。


 そういえば――和実のこと、なにも知らないんじゃないかな? わたし。

 でも、まあ、知らなくとも、友情は本物だから大丈夫。

 いつか、和実から話してくれるまで待っているよ、わたしは。


「さあ、頑張ろう」


 二人で言って、学校に向かった。

 どちらからだったのか、不明だったけど、手は、繋がれていた。

 違和感なく、それが当然であると、言うかのように。

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