Put Away them All

 僕は、マリアの作る料理をサポートをすることに決めた。

 僕に料理を食べさせたいという彼女の気持ちを無碍むげにすることはできない。というわけで……食べるなら、なるべく安心安全なレベルで仕上げてもらうよう誘導すれば良いのではないかということに気づいたのだ。


 マリアの作ろうとしていた献立は、僕が予想していたものと違っていた。カレーではなく肉じゃがだった。肉じゃがを中心として、周りを小鉢で固めるフォーメーションだった。いきなり予想を外したのは痛いミスだが、ここで慌てふためくわけにはいかない。僕は脳内の段取りを和食モードに切り替えた。


 レジ袋の中身はニンジンや小松菜、ほうれん草にパプリカといった野菜たちでいっぱいだった。もう一つのレジ袋には、椎茸やエノキ、エリンギなどのキノコ類と油揚げや豆腐といった体に優しそうな食材が詰まっていた。どんだけの副菜を作ろうとしているのだろう?


 僕はマリアの横に立ち、それぞれの野菜たちを必要な大きさに切って、それを大皿に小分けする作業を手伝った。みじん切りにするような準備は要らなかったので、びゅんびゅんチョッパーの出番が無いのは残念だが、それは次の楽しみにしておく。


「ありがとう! 切ってくれるのは、すごい助かるわ!」

「まぁ、これくらいは手伝わないとね」

「フタヒロのそういうところが好き。カッコいいよ!」


 僕は、マリアのそういうところが好きだよ。って言いたかったけど、これからが料理の本番だと思うと、ついつい口と腰が引けてしまう。僕は照れ臭い表情だけを残して、黙々とキノコ類の切り分けに移った。


 それぞれの食材を切り分け、必要であろう調味料などを並べ終えたところで、僕は「じゃ、あとは任せたよ」とマリアの肩をポンと叩き台所を後にした。僕が食材を切り分けている間、ずっとスマホのクッキングレシピとにらめっこをしていた彼女は「うん! 楽しみにしててね」と笑顔になってエプロンの紐を締め直し、袖をまくって料理をし始めた。

 本当は、横に張り付いて彼女の様子を最後まで見ていたかったけど、あまり口出しすると機嫌が悪くなるし、黙ったまま眺めていても「気が散るから、あっち行ってて」と言われるだけだったから、いつも僕は頃合いを見て退散することにしていた。助けて欲しい時は、すぐに「ちょっと来てー!」と呼ぶところも彼女の長所だしね。


 僕はリビングのソファに座り、コーヒーを飲みながら本を読むフリをして、彼女の作る料理の動きに耳を澄ませていた。時々「あー! 違う!」とか「この順番でいいのかな?」みたいな怪しい独り言も聞こえてきたけど、ここは出しゃばりたい気持ちを抑えて本のページをパラパラとめくっていた。

 やけに静かだなと感じてキッチンを覗くように首を伸ばせば、何やら真剣な表情でスマホをにらんでいたり……もしもーし! 火をかけっ放しですよね? 中の具材は大丈夫ですか?

 マリアが前に付き合っていた恋人は、ホテルで働く料理人だったのになぁ。付き合う過程で、料理の話とか手取り足取り料理を教えてもらったりとかしなかったのだろうか。普通なら……と考えてしまうが、普通じゃないのがマリアのマリアたるところでもある。

 そうこう心配しているうちに、手にしていた本を読み終えてしまった。いや、読んだ感覚は全く無かった。活字すら追えてなかったと言っていいだろう。さて、料理の進み具合はどうかな?


「もう少しでできるよ! 今日は和風テイストにしてみたの。フタヒロ、和食好きだもんね」

「いい匂いじゃないか。今日は色々と作ってみたんだね」

「そうなの! 今回は一品だけじゃなく、質より量って感じで作ってみたよ」


 質がダメだから量で勝負ということですよね?

 ふと、使い終えた小鍋に目が止まった……中が真っ黒に焦げているではないか。僕の視線に気づいた彼女は、サッと小鍋を取って後ろ手に隠し「えへへ!」と笑いで誤魔化した。そのくらいのことなら想定内なので怒りはしないけど、とりあえずニヤリとして小鍋を渡すよう手を差し出した。


「ごめんね」

「いいんだよ。火傷とかはしてないかい?」

「うん、大丈夫。ちょっと油がねて、ここがヒリヒリするけど」


 と言って、右手の甲を見せるマリア。親指の付け根あたりに、プチッと赤い斑点のようなものができていた。この程度なら大事にはいたらないが、後で火傷に効く薬でも塗ってあげよう。


「ちょっと気になったんだけど‥‥」

「うん、何?」

「こっちの鍋は、味噌汁かい?」


 僕はコンロの上でフタが震えている鍋を指差した。めっちゃ強火で、鍋の底から火が外側に逃げている。とりあえず「もう少し火を弱めようか」とアドバイスして、コンロのツマミを「弱」にスライドさせた。


「ありがとう、フタヒロ」

「どういたしまして」

「やっぱり、ジェーンのようには上手くいかないね」

「…………」


 ジェーンは料理が上手だった。

 マリアと比べて、少し物静かで日本語のレベルも初心者に毛が生えた程度だったジェーンだが、料理の腕はピカイチだった。

 だからと言って、彼女たちを比べるのは間違っている。ジェーンにはジェーンの良さがあり、マリアにもマリアにしか無い長所がある。それを理解してもらいたくて、昔から事あるごとに二人へ言い聞かせながら過ごしてきたのだが、二人の育った環境がそうさせていたのか……特にマリアは誰かと比べて優劣をつけることが多かった。


「マリアは、マリアのままでいいんだよ」

「フタヒロ……」

「マリアにだって、ジェーンにはできなかったことがたくさんあるんだから」

「うん。ありがとう」

「さ、もう火を止めて。盛り付けを始めよう。この肉じゃがは、どのお皿にする?」


 僕はマリアの指示に従って、それぞれの料理を盛り付け食卓へと運んだ。食欲をそそる匂いがリビングに広がる。そう……いつも匂いは良いのだ、匂いだけは。


 僕は、マリアの作った今日の献立を改めて確認した。白飯に味噌汁、主菜は肉じゃがで副菜の小鉢が三皿。テーブルに並んでいる器たちを眺めている分には、よく家庭で目にする献立だと言えよう。


 しかし、よくよく見れば――。

 主菜の肉じゃがは、肉が鶏のモモ肉だった。僕が時代遅れなのか、ただ無知なだけなのか、鶏肉を使った肉じゃがって初めてだった。

 小鉢は野菜とツナを和えたもの、油揚げを袋に見立てて中に野菜が入ったもの、そして漬物らしきものの三つ。

 一つめの小鉢は、俗に言う「無限なんとか」というメニューだろう。ツナと野菜を少しの調味料と混ぜるだけなのに、食が無限に進むという簡単で便利な献立だ。しかし、マリアは「無限」を少し勘違いしている。野菜は一種類で良いはずなんだ。何故か彼女の作った小鉢には、小松菜にサニーレタス、ケールらしきものと大葉を刻まずに入れ込んだものが見受けられ、ピーマンの他にパプリカまでツナと一緒に混ざっていた。彩りも加えてみたと彼女は言うが、ツナと少しの調味料だけでは、ちょっと食が進まなそうな水っぽさがあった。

 二つめの小鉢は、俗に言う「信田巻き」だ。油揚げの袋に、ほうれん草とニンジンの細切りが入っている。見た目は良いが、さらに目を凝らして見ると、どの食材も使っているように思えた。ほうれん草もニンジンも艶が無い。油揚げは逆にギトギトっとした艶が目立っている。

 三つめの漬物は、キュウリの浅漬けだ。これは「浅漬けの素」があるので間違いはないはずなのだが、所々に輪切りの鷹の爪が見える。ピリ辛風味にアレンジをしたのだろう。しかし、なんとなくだが嫌な予感がした。

 最後に味噌汁。これは、味噌を入れた後も強火でグラグラとさせていたのを見ていたから、香りも味もある程度は想像できた……しかし、マリアの下拵したごしらえは僕の想像を超えていた。味噌の香りが吹っ飛んでいる代わりに、キノコの匂いが強烈だった。そういえば、キノコも何種類か買っていたよな……でも、この味噌汁の具材にキノコたちは見当たらず、サイコロ状にカットされた豆腐しか浮かんでいない。


「これはキノコの味噌汁? 豆腐しか見えないけど」

「さすがフタヒロ! キノコが入ってるの、よくわかったね」

「いや、これだけキノコの匂いがしたら、僕じゃなくてもわかるって」

「キノコはねー、出汁に使ったの!」

「出汁ぃ? 出汁だけ? もしかして、キノコは捨てちゃったとか?」


 マリアは満面の笑みで「うん!」と答えた。

 椎茸もエノキもエリンギも舞茸も、ちゃんと味噌汁の具材としてつかえるのに、それを全部して出汁にするとは贅沢すぎる。しかし、はっきり言って、この強烈なキノコ出汁に味噌との相性は悪い。味噌の投入後に沸騰もさせているから、なおさら悪い。


「と、とりあえず……いただこうかな」

「うん! 食べよう、食べよう! いただきまー……あれ?」


 平静を装って、まずは漬物と白飯から口に運ぼうとしたところで、マリアのスマホに着信が入った。僕はマリアの相槌あいづちを眺めながら、ゆっくりと漬物を咀嚼そしゃくする。辛い、やっぱり辛い。ジワジワと辛さが口内から喉の奥へと広がっていく。せるのをこらえて、麻痺した舌の上にキノコのダシ汁を流し込んだ。


「フタヒロ、ごめん! 急に仕事の打ち合わせが入っちゃった」

「こんな時間に?」

「事務所に残っていたスタッフが、帰り際に連絡を受けたみたいなの。前から日本に来たいって言ってた家族から、宿泊のプランを出して欲しいって話があったみたい。返事は早めに出したいから、今からプランだけ決めてくるね。すぐに帰ってくるから、先に食べて待ってて!」


 マリアはそう言いて、バタバタと支度をし家を出て行った。残されたのは、食卓に広がる彼女の作った夕飯と、僕の舌に広がる攻撃性の高い辛味。この辛さが持続しているうちに、ガッツリと食べておくのがベターと僕は判断した。


 マリアが帰ってくるまでに、別の夕飯を用意しておこう。彼女が作ったものは「美味かったから、全部食べちゃった」とでも言っておけばいい。そう思って再び食べ始めようとしていたところに、ふと悪魔の声が囁かれた。



 ――食べたフリでいいんだよ、フリで。



 僕は悪魔と契約を交わし、急いで食卓に並んだ器たちを片付け始めた。証拠は跡形も無く始末しなくてはならない。生ごみとして詰めた袋は近所のコンビニ……いや、ショッピングモールに設置されたダストボックスへ放り込むのが良いな。別の夕飯も用意し、さっきまで使っていた調理器具も綺麗に洗って「全部片づけておいたよ」というアピールも済ませておけば完璧だ。


 結局のところ、今日の僕は探偵業に費やした時間よりも忙しい一日だった――。

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