第3話 アイドルとは何なのか

 『アイドル』とはなんだろう――?


 通勤電車の揺れに任せて、『彼』はふと考える。

 幸い今日はつり革を握れたから、人混みの隙間から窓の外を見る余裕がある。昨夜舞った雪は跡形もなく消えており、彼のネクタイと同じ色の青空が都内のビルの上に広がっている。


『ふざけないで』


 昨日、声をかけた少女の怒気を孕んだ声と、アイドルを拒絶する態度を見たからか。そんな思考が彼の頭の中をめぐっている。


 ――アイドル。


 元来は『偶像』や『崇拝されるもの』と訳される言葉であり、人を指す言葉ではない。

 古来より人は人ならざるものを崇め、形づくることをしてきた。古くはギリシャ彫刻で表された神々にも見えるだろう。

 偶像崇拝は世界中に広がっている。たとえば仏教においては、アレクサンダー大王の遠征から始まるヘレニズム文化の影響から仏像が作られるようになったという。

 それ以前は、釈迦の象徴である菩提樹や法輪を模したものを崇めていたそうだ。

 日本でも、かつては山や石などを神として崇めていたが、仏像が伝来してからは神像が作られるようになった。

 人はわかりやすさを好むもの。

 人の形をした神々の方がわかりやすく親しみやすい。

 だからこそ、仏像は多くの人々の信仰の対象になってきた。

 現代にこれだけ『アイドル』が増えたのも、わかりやすさや親しみやすさが示す、必然の帰結なのかもしれない。


(それにしたって飽和してるけどね)


 つり革広告を見れば『アイドル』の文字はそこかしこで踊っている。

 かつて『アイドル』と言えば、若い『スター』や、歌って踊れる見目麗しいミュージシャンを指した言葉だった。

 だが、数年前の『大氾濫デリュージ』からアイドルの意味は大きく変わった。若い歌手だけを指す言葉ではない。『タレント』や『役者』という言葉も『アイドル』に置き変わってしまっている。

 オールラウンドに、様々なことをこなすメディア人――それが今のアイドルだ。

 身近で心の安寧や救いを与え、希望を培う存在が今のアイドル――


 ――『希望』を?


 あの少女は違う。

 『アイドルにならないか』という言葉一つで、あそこまでの怒りを見せることができるのかと驚いた。彼女にとってアイドルは希望でもなんでもない。敵意すら向けている。


 ――だが、それがいい。


 つり革を握った指が自然と動く。

 何もない空間を鍵盤にして、曲を奏でてしまう。

 いつもピアノを弾いているからか、考えごとをしていると出てしまう癖だった。


 探していたのだ。そういう激情を持つ人物を。


 彼女をアイドルにできれば、あるいは叶うかもしれない。

 だが、それは彼女の世界ゾーンを狂わせることになるかもしれない。


「……さてさて」


 それでも辞めるつもりは欠片もない自分の意思に、『彼』は自嘲を浮かべるしかなかった。

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