アートレス・アイドル ~ツンケン娘と目指す反逆の成長物語~

有霞くるり

第1章 こうしてつづりは巻き込まれる

第1話 アイドルなんか、なるもんか

 1月終わりの放課後。

 連日の寒波の影響か、空はどんより曇っている。

 天気予報では夜半から雪の予定。降らなければひとまずそれでいい。

 池袋駅東口の中洲より見た駅ビルからは、呼吸のように絶えず人が吸われ吐き出されている。昼間でも凍てつく空気の中、道行く人々の足取りは重く、そして早い。

 駅の入口から少し視線を上げれば、駅ビルの壁を専有する大型モニターが目に入る。


「――はぁ」


 字宮あざみやつづりの漏らした吐息から、真っ白なため息が立ち昇り、大気に紛れるように消える。

 モニターでは、これから行われる戦の宣伝が仰々しく流れている。

 高校1年のつづりと同じか少し年上の少女たちが、カラフルできらびやかな衣装を身にまとい歌い、踊っている。

 強引な多色刷りのような画面から目をそらせば、雲の色がそのまま流れ落ちてきたような寒々とした灰色の世界。


 ああ――こんなことなら上着を持ってくればよかった。


 学校指定のワイシャツの上にカーディガンというお気楽な出で立ちでは、流石に寒い。とはいえ、このまま帰るのは負け犬必死。


「よし」


 腰まである長い黒髪をかきあげると準備開始。

 取り出したステージピアノをアンプにつなげ、その隣に許可証を設置。

 昔は路上ライブの許可は出ず、ゲリラ的に行っていた人が大半だったらしいが、つづりが許可を取りに行った時はすんなり取れた。それだけ路上のパフォーマンスが一般的になったということか。


 ――きっとそれはだ。


 軽く頭を振って空を覆う厚い雲に似た気持ちを振り払い、ステージピアノに電源を入れる。

 準備完了。いつもの小さな野外ステージの出来上がりだ。


「あー……アー……」


 寒い日は声が出にくいので、最初は軽くフォーミングアップから。

 意外と声は出た。

 慣れた鍵盤に指を滑らせると、こちらの音も意外と良好。雪が降ったら強制退去になるだろうし、ひとまず始める。

 深呼吸をして寒気を肺に吸い込んでから、鍵盤を少し強めに叩く。


「――――っ」


 奏でる。ピアノの音色と『私』の歌声を。


 ほんの一瞬だけ、街ゆく人々が足を止める。

 だが、すぐに歩き出す。

 中洲は交差点の途中だから当たり前だ。いつものこと。気にするほどでもない。


 だから、歌う。

 ただ、歌う。


 人ごみの間を縫うように旋律を穿うがち続ける。

 だが、誰も見向きもしない。立ち止まりもしない。

 ビジネスマンらしき青年は小走りに。

 同じ年頃ぐらいの女子高生はスマホをいじりながら。

 大学生の一団は雑談をしながら通り過ぎる。

 つづりの発した音は日常の生活音の一つとして扱われ、無視された。


(まったくもう……っ!)


 歌っていれば身体も少しは暖まるかと思ったが、寒いまま。

 ビル風を受けてつづりの長い髪がたなびくと、刺すような冷気が首筋を撫でる。

 たまに足を止めた人がいても、寒さには勝てずそそくさと去っていった。


 そうしてまた、つづりの旋律は雑踏の一つに成り下がる――


『――聞け』


 駅ビルに備え付けらた大型モニターから唐突に発せられた声が、人々の雑音を踏みつけるように消した。

 思わずつづりも見上げる。

 大画面に映し出されたのは、大仰なほど華美な和装――いや、和装に似ていたが、踊りやすいようにアレンジが加えられた衣装の少女。

 歳はつづりと一緒か少し下。だが、やや乱れ結い上げた髪のせいか歳不相応な艶やかさがある。はしたないと断じられそうな出で立ちだが、不思議と似合っている。


 ――ああ、そうか、ランキング戦の時間か。


 “アイドルやつら”の自己主張パフォーマンスが始まったんだ。

 改めてつづりは深呼吸をする。


『浮世といえども、うつつの世。儚い麾下きかの者どもと宴をきょうするもまた一興』


 高飛車とも不遜ふそんとも取れる芝居がかった口上だが、服装と相まって嫌味がない。


(――そんなこと、ない)


 脳裏をよぎった『相手を褒める思考』をつづりは打ち消す。

 見下されている――そう感じるのは、モニターが見上げた場所にあるからだけではない。

 だのに周りはそんな彼女を見上げ、熱い視線を注ぐ。

 先ほどまでワイワイ騒いでいた大学生たちは、立ち止まって惚けたように。

 ビジネスマンは、急ぎ歩きながらも自然と顔を上げ、モニターに目を向けている。

 ポツリと誰かの呟きが聞こえた。


「――『クラスS』、天文道てんもんどう盈華えいか


 恍惚すら混じったその声。

 灰色の世界なのに。

 モニター越しでしかないのに。

 『彼女』の周りには色が生まれていた。


『いざ』


 天文道アイドルは小さく空気を吸い込む。合わせるように数人も息を呑む。

 つづりも息を吸い込む。だが、それは周りの人とは違う。まとわりつく嫌なものを振り払うような呼吸。

 前奏が流れ出す。合わせるようにつづりは鍵盤に指を這わせる。

 モニターから流れているメロディと同じ旋律が奏でられる。

 その曲調に、すぐ近くの通行人が目をやった。


 歌が二つ流れた。


 一つはモニターから、もう一つはつづり自身が出す歌声。

 まったく同じ曲を、まったく同じタイミングで歌っている。

 競うように、叫ぶように、殴りつけるように。

 つづりは、『天文道盈華』と同じ歌を歌う。


「はぁっ――」


 ブレスのタイミングで周囲を見渡し、息を呑む。

 遠巻きに見ていた通行人は足早に去っていた。

 コートに身を包んだOLは迷惑そうに顔をそむけ。

 連れ立って歩いていた男子高生たちは中洲を渡った先で、モニターの歌声に耳を澄ませている。


 つづりの歌声を聞くものはいない。それどころかモニターから流れる曲をけがす雑音と忌避きひされている。

 そんなことわかっている。わかりきっている。それでも、歌う。歌わなければならない。


 (アイドルやつらなんかに、負けるか――!)


 歌って。

 歌って。

 ただ、歌って。


 モニターから流れる歌が終わる。

 その余韻を噛みしめるように、名残惜しむように、通行人たちは『ほう』と小さく吐息を漏らす。

 その白い息が消える前に、彼らは日常へと戻っていく。もうモニターを見る者はいないし、元よりつづりを気にする人もいない。


 ――いや、一人だけいた。


 パチパチパチ。


 たった一人の拍手がつづりの耳朶に響く。

 いつからだろうか、つづりの目の前には青年がいた。仕事途中で抜け出してきたのか、よくある黒のスーツ姿。空色のネクタイが灰色の世界に浮いている。

 つづりは少しだけおかしくなる。

 寒空の下、この人も自分も場違いなほど薄着で寒々としている。


「はは」


 つづりの口元に宿った笑みに気づいたのか青年が小さく笑う。年上の年齢はイマイチわからないが、二十代半ばぐらいだろうか。穏やかそうな人だ。


(瞳が、優しい)


 ふとそんなことを思う。

 鳶色の瞳が少年のようでなおさら年齢をわかりにくくしている。

 歌っているときはアイドルやつらに集中して気づかなかった。

 拍手をくれるのなら、歌を聴いてくれたのだろうか。それとも今、立ち止まったばかりだろうか。

 歌い終わった後のつづりの呼吸に合わせて、灰色の世界に白い吐息が何度も漏れる。


 すでに、人々は灰色の日常に戻っている。

 だが、その青年だけはつづりの前に立ち尽くしたままだった。


「力強い歌だったね」

「……あり、がと」


 賞賛の言葉に、心がざわつく。嬉しさの高揚に似た、それでいてぞわりと怖気に似た感触。


 ――ああ、『アイドル』に合わせて歌うと、いつもこうなる。


「聞いてくれてたんだ」

「気づいてなかった? 最初の方から聞いてたんだけどな」

「え、ごめん」

「いや、歌に集中してる証拠だよ。それとも気にしていたのはモニターかな」


 息を呑む。声は優しかった。暖かさすらあった。

 なのに、なんだか責められているように聞こえ居心地が悪い。


「あー……ごめん。悪い意味じゃないよ。対抗意識があるのはいいことだ。話もしやすい」


 ――話?


 問いかけるよりも先に青年は名刺を一枚取り出す。


「アイドルに、ならないか」

「え……?」


 なんだ。


 そうか。


 そういうことだったのか。

 全身の血液が一瞬沸騰したかのように熱くなったあと、一気に凍てつく。


 そんなつもりじゃなかったのに。

 そういう風にしか見られていなかったのか。

 そこまで浅ましく、いやらしく見えていたのか。


「君は――」


 それ以上は言わせない。

 差しだされた名刺をひったくり握りつぶす。

 くしゃりと乾いた音がどんよりとした冷気の中で響く。


「――ふざけないで」


 怒気がそのまま言葉になって溢れ出る。



『誰がアイドルなんかに、なるもんか』

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