第10話 霧島 優子

 優子は不敵な笑みを浮かべて清吾を見下ろしている。


 清吾は一昨日別れたばかりなのにもう「一色くん」呼ばわりかと、優子の切り替えの速さに驚き、また以前に見たことのない彼女の表情に当惑した。しかしながらも平成を装い挨拶を返そうとした。

 だが、優子の隣には背の高い男性が立っていることが更に清吾を動揺させた。男性は爽やかで清潔感のある顔をしていた。


 男は「知り合い? 」と優子に耳打ちした。

「前の仕事の同僚なの」と優子は男に愛想良く答えた。

 清吾と男はお互い軽く会釈した。だから「一色くん」呼ばわりなのか、と清吾は一人納得した。

 清吾は「一色です」と言いながら立ち上がった。

 男は「遠藤です」と屈託の無い笑顔を浮かべた。


 仕事を辞めてからの優子とは一度も会わなかった。彼女が割と忙しそうだったからだ。が、メールのやり取りだけは、していたのだが……会わなかった三ヶ月の間に彼女に一体何が起こったのか? そう思っていたのだが……今、遠藤という男を見て、清吾は全て理解した。


 三ヶ月前は地味でダサかった優子が、今は派手でダサくなっていた。化粧も派手になり以前よりさらにブスになっていた。

 隣に立つ男の為に頑張ったのだろうが、成果は出なかったようだ。彼女の服装は、完全に明明後日の方向に向かっている。

 低い身長で短い足なのに真っ赤な色のミニスカート、黒いシースルーのブラウスの優子は目も当てられないほどの不恰好である。彼女の格好はモデルのように長身のスタイルの良い女性が着てこそである。彼女は元々センスの良い方では無かったが、ここまで自分に不釣合いな服をよく見繕ったなと感心さえした。そして割と男前の遠藤と優子も不釣合いなカップルに見える。

 それはそれで良いかもしれない……が、そんな事より早くどっかへ行って欲しいと、願いを込めながら清吾は優子と遠藤の二人を交互に見た。


 優子が、清吾の気持ちに気が付いてくれたようで、小さく頷いた。


「ごめんね、ジュンくん、先に上の本屋に行っていてもらえる? 昔の仕事仲間の近況だけ訊きたくて。直ぐに行くから」

 優子が遠藤に手を合わせて謝るジェスチャーをした。彼女の口からハートマークが飛び出しそうな勢いである。


 遠藤は「了解」と言うと額に二本指を揃えて当てた。カッコ良いのか、悪いのか爽やかなのか、馬鹿なのか判らないが、清吾は遠藤の行動を黙って見ていた。


 優子は行ってしまった遠藤の後ろ姿をうっとりと見つめる。


 それからため息交じりに清吾の正面に座った。さっきまでと打って変わって、偉そうな態度である。


 似合わない派手なミニスカート姿。短い足で無理矢理に足を組む優子の姿は見ていられないほどだった。以前付き合っていた時とは違い彼女は堂々と振る舞っている。


「結論から言うけど、専門学校で彼から告白されちゃってさ、OKしちゃったのよね」

 悪びれる事なく話す優子。それどころか、告白された事を自慢しているようにさえ聞こえる。


「付き合うことになっちゃった事、なかなか切り出せなかったのよ、ごめんね」

 優子は顔の前で両手を合わせた。彼女は全く悪いとは感じていないようである。


 清吾は優子の態度に、自傷気味に微笑んだ。優子に別れ話をされるまで、全く気付かなかった自分の鈍感さを情けなく思ったからだ。


「私、あなたとこのままずっと退屈な人生を送るんだろうかと思ったら悲しくなっちゃって」

 優子は勝手に自分の想いを語り出した。

 清吾の冷めた視線には全く気付いてはいないようだ。


「ほら彼は明るいし、一緒にいて楽しいし、顔もそこそこ良いし。悪いけど彼に告白されたら急に、真面目だけが取り柄のあなたとずっと退屈な人生を送るのなんてまっぴらだって、思っちゃったのよねぇ。

 考えてみたらあなたと一緒に居ても何にも楽しく無かったのよね。はっきり言っちゃって悪いけど。

 あなたもこれからの事、色々考えた方が良いわよ。ずーっとマウスの飼育員をやって人生を終えるの? まだ若いんだからせめて研究員の方に行こうとする位の気構えを持つとかさ。私が言うのも気が引けるけど、コレはあなたの為に言ってるのよ」

 優子は子供を諭すように、困った表情を作って、清吾を見つめる。


 流石に落ち込んだ。彼女にそこまで言われる筋合いは、ハッキリ言って…………あるかもしれない。だけど別れた相手にここまで追い討ちをかける必要があるだろうか? ここまで言われては…………やはり落ち込む。気分は滅入ったが、それだけでなく腹も立った。

 だが……彼女の言っている事は納得せざるを得ない部分も多々あった。イヤ、寧ろ全てその通りかもしれないと清吾は思い、更に余計に落ち込んだ。


 優子の余りにも酷い言いように清吾はブチギレて怒鳴りたい気もちをグッと堪えながらも、只々彼女の話を黙って聞き続けた。


 そして幸運にも昨日までの彼女に対しての未練が嘘のように消滅した。

 それどころか、彼女と何も関係が無くなったことを寧ろ喜ばしく思う。清吾は彼女を家に招待する前で本当に良かったと胸を撫で下ろしている自分に気がついた。


「ホント、悪かったわね、けど、もうこれっきりにして頂戴」

 言い終えた優子はスッと立ち上がった。


 そして清吾が、復縁を迫っていたかのような優子の捨て台詞。彼は何か一言返すべきか、大人の対応をするべきか迷った。


 別れたとは言え、かつての優しかった優子とは違い過ぎるほどの冷たい言動が、にわかに清吾には信じられなかった。だが優子の方は完全に自分と縁を切ったのだと今更ながら実感した。


清吾は何も言い返さない事に決めた。色々言いたい文句もあるが、お互い好意を持って仲良く付き合ってきたのだから、最後くらいは拗れずに終わろうと思ったからだ。なので清吾は彼女の言葉に静かに頷いた。


 今となっては、優子の気持ちはどうだったかは解らないが……少なくとも清吾は彼女といて幸せだったのだから。

 そう思いながら清吾は「そうだね、じゃ、さよなら」と穏やかに返答した。


 優子は「分かってくれて、嬉しいわ」と言い残し立ち去った。


 ただ清吾は、颯爽と歩く優子の後ろ姿を見送りながら、「転けろ、酷く転けろ」と念じた。

 途端に優子は何も無い絨毯の上で、激しく転んだ。彼女はミニスカートが捲れ上がりパンツ丸見え状態でうつ伏せになっている。派手なアクションで転倒した優子は周囲の視線を一身に集めている。清吾は心の中で両手だガッツポーズをとった。


 優子は顔面を強打したようで中々起き上がらない。清吾は少し心配になった。周りの人間は興味深そうに遠巻きに眺めるだけである。流石に憐れに思い駆け寄ろうかと思った。その時、優子は何事もなかったように立ち上がり身なりを直し始めた。

 それから無言で勢いよく振り返った。


 どうやら清吾に醜態を見られたかどうかを確認しようとしたようだ。慌てて清吾は顔を伏せて気付いていないフリをした。


 ほんのチラッとだけ、ほんの一瞬だけだが見た彼女の顔は怒り狂った赤鬼のようであった。


 清吾は優子の敵意剥き出しの視線を感じ、顔を上げることはできずに震えた。と暫く鬼の形相で清吾を睨みつけていたであろう優子は恥ずかしさを堪えるように、無言で走り去って行ってしまった。

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