第11話 些細なこと

 引っ越し当日、俺たちはついに生まれ育った家を旅立つ時が来た。


 母親はシクシクと泣いていたが、最後まで反対はしなかった。

 ただ、見送る際はしつこく『いつでも帰っておいで』といいながらハンカチを振っていた。

 いつの時代のドラマだよと笑ってしまったが、優しい母親らしいと思った。


 親父は相変わらずバカっぽく大声で『咲ぃー! 俺を置いていかないでくれぇ!!』と叫び、母親にぶん殴られていた。

 しかし、最後には俺に向かって『元気でな』と、少し寂しそうに笑いながら見送っていたのが印象的だ。

 


 俺は両親に見送られながら、目頭が熱くなるのを感じた。

 この家で過ごした家族との思い出が、幸せなものだったと今更ながら実感する。



「……ありがとう!! 行ってきます!!」


「今までお世話になりました。さようなら」



 溢れそうになる涙を誤魔化すように、俺は感謝の言葉を叫んでから歩き出した。

 隣にいた妹もペコリと頭を下げ、別れの挨拶を済ませて俺を追うように歩き出す。


 こうして、俺たちは新居に向かった。






 新居は妹が自ら選んだため、俺は住所しか知らない。

 だから、実際に現地を初めてみた俺は驚きを隠せなかった。


 妹は一部屋を借りる、なんて言っていたのでてっきり低層のアパートを想像していたのだが、目の前にあるのは高層マンションだ。



「……え、ここ?」


「はい」


「でっかぁ」



 俺は首が痛くなるほど空を見上げた。

 一体何階建てなんだろうか。


 荷物を送る際、一応スマホのマップで何となくの場所は確認していた。

 そのとき妙に住宅地から離れた場所にあるなとは思っていたが、確かにこれほど大きなマンションでは住宅地にはないだろう。



「家具はすでに部屋に配置してあります。あとは家から配送した荷物が午後から来るだけですね」


「なぁ、なんか入口に受付みたいな人いるけど、あれなに?」


「マンションコンシェルジュ、つまり管理人さんです。荷物の受け取りはあの人たちにお任せしてますので」


「へぇー……」

 


 高級ホテルの受付のような、身なりのいい人たちが三人いる。

 一般人では入り難い雰囲気で、これが敷居が高いってやつなんだろう。


 足がすくんで動かない俺を傍目に、妹は堂々と前へ進む。

 そして妹はポケットからカードらしきものを取り出し、入り口の近くにある機械の前にかざす。

 すると閉ざされていた自動ドアが開き、マンションの中に入れるようになった。



「兄さん、何してるんですか。はやく来てください」


「あ、あぁ」



 俺は後を追うようにして風除室の二重の自動ドアを潜り抜けると、コンシェルジュと呼ばれる人たちから声を掛けられた。



「おかえりなさいませ。柳川様」


「後から荷物が来るので、部屋までお願いします」


「かしこまりました」



 妹は当然のように指示を出し、相手も慣れた様子で応える。

 そして用を済ませるとエレベーターの方へ向かっていった。

 俺はただ黙って妹の後ろをついていくことしかできなかった。


 エレベーターを待っている間、俺は妹に率直な感想を述べた。



「……なんか、お金持ちの芸能人みたいだな」


「例えではなく、実際その通りなので」


「嫌味なやつだぜ」


「フフ、謙遜しても嫌味になりますので」


「……それもそうだな」



 与太話をしている内にエレベーターがきた。

 乗り込むと、中は随分と広い。

 妹は新居のある二十階のボタンを押し、エレベーターを閉じた。

 ちなみにこのマンションは三十一階建てだ。



「なぁ、素朴な疑問なんだけどさ」


「何ですか?」


「学校の近くなら、もっと他にあったんじゃないか?」


「ええ、もっと近い所もありましたよ」


「じゃあ、なんでここなんだ?」


「不満ですか?」


「いや、学校通うためだけにこんな高そうな所はどうかなって思ってさ……」


「兄さんが嫌なら変えてもいいですが、おすすめはしませんよ」


「なんで?」


「家にまで熱心なファンを呼び込みたくはないでしょ?」


「あぁー……そっか」



 実家にいた頃、パパラッチや野次馬のような奴はご近所さんのおかげで追い払われていたから忘れていた。

 確かに、セキュリティの弱い所だとどこまでついてくるのか分からない恐怖がある。


 こういうところまで常に気が回るのは、やはり妹が根っからの芸能人だからだろう。



 ――チーン


「つきましたよ。部屋は……こっちみたいです」



 エレベーターから出ると、落ち着いた照明で照らされた廊下が見えた。

 床はモコモコした素材、壁は黒い石張りの仕上げになっていて高級感がある。


 妹は歩きながら部屋の番号を見ていき、自分の部屋を見つけて足を止めた。



「おぉ、ここか。……鍵は?」


「これです」



 そういって妹はスマホを取り出す。

 そして何かを操作する仕草を見せると、扉からガチャンと鍵の開く音が聞こえた。

 スマートロックというらしい。



「ハイテクだなぁ……」


「若者が何を言ってるんですか。後で兄さんにはカードを渡しておきます。これでも開きますので、使ってください」


「うっす」



 部屋に入ると、自転車も余裕で置けそうなくらい広い玄関があった。

 床は大理石になっていて、廊下とほとんど段差がない。

 これがバリアフリー化ってやつなのか。



「兄さん、段差気をつけてください」


「いや、気をつけるほど段差ねーじゃんか」


「こういう些細なことでも、気をつけなければ足元をすくわれますよ」


「そういうもんかねぇ」


「はい」



 少し過保護な妹の忠告に従い、注意しながら靴を脱いで玄関から上がった。


 部屋の中に入ると広いリビングダイニングとアイランドキッチンがある。

 妹によれば1LDKの間取りらしいが、こんなに広いなら部屋がなくてもベッドが置けそうだ。

 冷蔵庫やテレビ、ソファなどがすでに配置されており、他にもちょっとしたインテリアも飾ってあった。

 

 これならすぐにでもここで暮らしていける。



「おぉぉおお! 広い、広すぎる! ソファもデカいし、ここでも寝れそうだ」


「ちゃんと寝室もありますのでやめてください。寝室はこっちみたいですね」


「おっ、そっちも見てみたい! どれどれ、っと――……え?」

 


 部屋の中は、広かった。

 いや、先ほどのリビングダイニングの広さから予想はできていたので今更なのだが、部屋の中にある家具のせいで余計に広く感じた。


 セミダブルのベッドが一つ、化粧台が一つ。

 明らかに部屋の余白が目に付く。


 これならベッド二つは余裕で入る。だというのに、なぜセミダブルなのだろうか。



「……え、なんかおかしくない?」


「そうですね。私としては、窓から日の当たる位置よりも陰になっている方が好きなのでベッドの位置は変えないといけません」


「いや、変えなくても大丈夫だよ。もう一個ベッド入るもん。日の当たる方は俺が使うよ」


「……? ベッドは一つしか用意してませんが」


「もう一個頼もうよ。二人で一緒のベッドに寝なくても済むじゃん」


「何を言ってるんですか。そんなの無駄遣いですよ」


「お前、こんなところに住もうとしてる癖にそんなこと言う?」


「完璧とは、付け足すのではなく無駄を無くすことをいうのです。私は完璧主義者なので、無駄は積極的に無くしていきます」


「……」



 うーむ。妙に説得力がある。

 俺だって別にお金を無駄にしたいわけじゃない。

 だが、広い部屋で不自然に窮屈になりながら寝るのもどうなのだろうか。


 しかし、家主の妹がダメと言っているのだから、もう覆らないのだろう。

 俺はしぶしぶ諦めることにした。



「なぁ、怖くてずっと聞けなかったんだけど……ここ家賃いくら?」


「家賃、ですか。家賃はありません」


「えっ? うそ、タダ!?」


「そんなわけないじゃないですか。ここは分譲なのでローンで購入しました。家具もリースではなく購入したものです」


「はい? ぶんじょう? かった?」


「月々の出費が知りたいのでしたら、月々返済が40万程度ですよ」


「よんじゅう、まん?」



 分譲ってことは、賃貸ではないってことだ。

 賃貸ではないってことは、家賃がないってことだ。


 ハハハ、確かに家賃なくていいなぁ。


 ……



「な、なんで? なんでなん? ねぇ、なんで?」


「何がです?」


「が、学校行くために一部屋借りるって言ったよね? それがどうして家買うことになるん? 自分頭おかしくなったん?」


「その喋り方どこから持ってきたんですか。やめてください」


「だって、借りるって言ってたじゃんか!」


「たまたま賃貸の部屋が埋まっていまして。分譲しかなかったので仕方なく」


「バカなの?」


「……兄さんに言われると少し思うところもありますが、今回は我慢します」


「どーすんだよ!? しかもメッチャたけーじゃん!! 何が無駄を無くすだバーカ!」


「賃貸か分譲か、それは些細なことですよ兄さん。もし住まなくなれば、売ればいいんですから」


「あっ、そうか。不動産だもんな。売れるもんな」



 そっかー。てっきり、ここにずっと二人で暮らすのかと思ったわー。

 なんだ、確かに些細な問題じゃん。



「なんだよ、脅かせやがって」


「勝手に騒いでおいて酷い言い草ですね」


「ま、何はともあれこれで咲は高校に通いやすくなったわけだな」


「はい。ですがドラマにも集中したいので、それが終わるまでは通えませんね」


「はぁ? それじゃあ引っ越した意味ないじゃんか」


「私は一言も必ず学校に通うとは言ってませんよ。兄さんは人の話をよく聞かないから……」



 じゃあ何のために引っ越したんだ?

 行けるときに行くってスタイルのままなら、結局同じじゃないか。

 というか、妹の言葉を思い返すと家具までリースではなく買い揃えたって言ってやがる。

 

 何一つ、前に言ってたことと合っているものがない。



「いや、なんで引っ越したんだよ。わざわざ家具まで買っちゃって……ずっとここに住むならまだしもさ」


「不便が無ければ、そうするつもりです」


「――」


 

 開いた口が塞がらない。

 本当に、なんで引っ越したのだろう。

 住み慣れた地を、両親を置いてまでここに来た意味はなんなのか。



「通う必要のない高校に行くかどうかなんて、お仕事に比べたら些細なことです」


「――」


「唯一気掛かりだったのは兄さんの気持ちでしたが、過去への未練は無いようなので無理して私が通う必要もないですし」


「――」


「それに、いつまでもお父さんとお母さんに頼っていてはいけません。親離れするには丁度よかった」



 全て、すべて嘘だったのか?

 なぜ、どうして。



「……何で、黙ってたんだ? どうして!?」




「――――全て、些細なことでしたので」




 些細なことだから、言う必要がなかった。

 妹は何の後ろめたさも無く、堂々とそう言い放った。


 ひどく裏切られた気分だ。

 妹が何を考えているのか、さっぱり分からない。



「……騙したのか?」


「騙したなんて、そんな」



 何が面白いのか、妹はクスクスと笑っている。

 ――子供が悪戯をするように楽しく。



「フフ、だから言ったじゃないですか。足元をすくわれる、と」



 しかし、笑う妹の眼は俺を真っ直ぐ見定めている。

 ――狩人が獲物を逃がさないように鋭く。

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