第6話 誘ってるんでしょ?

 冬は明けた。

 朝日のように暖かな春が訪れ、それと同時に新たな生活が始まる。


 俺は妹との約束通り、妹のマネージャーになった。

 マネージャーになる際、てっきり妹の所属する芸能事務所に入社するものと思っていたが、俺は個人事業主というものになってしまった。


 妹曰く、未成年は雇用できない……らしい。

 まぁ、それは確かにその通りだ。

 中卒を正社員で雇ってくれる会社なんて、都合よくあるわけない。



 じゃあ、どうする? という疑問に、妹の出した答えが個人事業主だった。


 個人事業主になるためにすべきことはたくさんある。

 開業届や事業主の加入する社会保険、給与口座や事務所の開設、税金や経理、その他多くの手続きを要する。

 当然、中学を卒業したばかりの俺にそんなことができるはずない。


 しかし、その問題を解決したのも妹だった。


 妹の所属する芸能事務所は、俺を雇用することができなくとも下請けにすることはできた。つまり、俺がすべき厄介な手続きを芸能事務所の大人たちが代理で行ってくれたのだ。


 こうして、俺は晴れて妹のマネージャーになったわけである。




 そして今日、俺は初めて妹の仕事現場についていくことになった。

 

 今日はテレビ局のスタジオで、番組収録がある。

 俺は何が何だか分からないまま、ただ妹と一緒に車に乗り、現場へ向かう。



「あまり緊張しなくていいわ、浩介君。あなたは柳川さん……いえ、あなたも柳川だから、これからは咲さんと言った方がいいわね。咲さんの傍にいて頂戴」



 車を運転しながら声を掛けてくれた女性は、昔から妹の担当をしている本来のマネージャーである『佐々木 遥香』さん。


 助手席に座る俺を気遣い、アドバイスをくれた。



「あ、ありがとうございます。佐々木さん」


「緊張しているの? 兄さん。今日はただの見学だって伝えたじゃないですか」


「いや、んなこと言ってもよぉ」



 後部座席で何かの資料らしきものを読みながら妹が声を掛ける。

 

 俺にとってみれば何もかもが初めてのことだ。

 妹からすれば慣れたものかもしれないが、見知らぬ車で見知らぬ土地に行くことがどんなに不安か……。正直、隣に座る佐々木さんにだって緊張している。



「浩介君。現場に着いたら、そんな口の利き方はしないように。タレントとマネージャーは友達ではないの。恥をかくのはあなたではなく、咲さんよ」


「は、はい……すいません」



 怒られてしまった。

 つい、いつもの調子で妹に返事をしてしまった。

 今はプライベートの時間ではない。佐々木さんの言う通り、妹は今、俺の妹という立場ではなく、『柳川 咲』という芸能人なのだ。



「佐々木さん、あまり兄さんを虐めないでください。今は誰かが聞いているわけでもありませんし、私は構いません」


「ダメです。浩介君とは御兄妹であることを隠すわけですから、尚更気をつけなくてはいけません。身振り素振りというのは、普段から正さなければ癖になります」




「――――私は構わない、と言いました」




「……分かりました。以後、気をつけます」


「はい。兄さんのことは私に任せてください」



 車内の気温が下がった気がする。


 偏見かもしれないが、佐々木さんは女性用の黒のスーツをビシッと着こなし、眼鏡を掛けていて如何にも『仕事のできる大人の女性』という雰囲気を纏っている。


 そんな人が、妹と話す時には敬語を使っているのを見ると酷く違和感を覚える。

 妹も、佐々木さんに対してタメ口を利くことは無いが、臆することなく自分の意見を押し通している。


 俺は、今まで当然だと思っていた年功序列という価値観が崩れていく気がした。



「なんか、ほんとすいません」


「「……」」





 その後、車内での会話は一言も無いままテレビ局についた。

 

 入り口にはゲートと警備員が立っていたが、妹の顔を確認するとすんなり通してもらえた。

 

 その先では何人もの大人たちが並んでおり、次々と妹に挨拶をし始めた。



「おはようございます。柳川さん」

「おはようございます。楽屋、こちらです。案内します」

「おはようございます。収録開始は16時からになります」


「おはようございます。今日はよろしくお願いします」



 時刻は15時半だというのに、なぜ「おはよう」なのだろうか。

 妹も平然と「おはよう」と挨拶をしている。なぜだ。


 俺のささやかな疑問は置き去りに、妹と佐々木さんは足を止めずに先を進んでいくので俺は慌てて後をついていった。


 そして楽屋と呼ばれる個室に着くと、佐々木さんはスタジオの様子を見てくると言って出ていった。


 楽屋に残された妹と俺。


 俺はとりあえず一息つけるなと休むため近くにある椅子に座る。

 妹は大きな鏡のある机の前に座り、佐々木さんが置いていった荷物の中から化粧品みたいなものを顔にペタペタと塗り始めた。



「え、咲……さん、化粧するんすか?」


「フフ、変な口調になってますよ。


「は、ははっ。やっぱりまだ慣れねぇな……敬語も、その呼び方も」


「ゆっくり慣れてください。大丈夫、時間はこれからたっぷりとありますので」




 俺をマネージャーにする時、芸能事務所から一つルールを設けられた。


 それは『兄弟であることを秘密にする』ということだ。


 身内贔屓は印象が悪い、ということで妹とは仕事中だけ『他人のフリ』をしなければいけない。

 これは妹の強い要望でもあった。


 だから、その偽装の一環として呼び方も普段の「兄さん」から「浩介さん」に変えた。妹はなんとなく嬉しそうに「しっくりくる」と言っていたが、俺にはとても馴染みそうにない。


 俺と妹の間にある感覚のズレに、多少なりともショックはあったが仕方ない。

 俺は妹の足を引っ張るためにここにいるわけじゃないのだから。



「化粧、でしたか。これはテレビ用のメイクです。テレビ映りが良くなるように、顔の影を濃くしてます」


「そうなんだ。そんなことしなくても、咲……さんは綺麗だと思うけどな」



 俺は素直な感想をいった。

 というより、妹は化粧しようがしていまいが大きな変化がない。

 まだ妹は中学生なので、大人の女性がするようなハッキリとした化粧ではないということもあるだろうが、元々の素材が整っていることが一番の要因だろう。



「……フ、フフ」



 俺の感想に、なぜか笑いだす妹。

 別にギャグを言ったつもりも無い。どうしたのだろうか。



 ガタッ、スタスタ……


 笑ったかと思うと、次に妹は椅子から立ち上がり、こちらに歩み寄り始めた。

 無言で近寄る妹は、正直いって不気味でしかない。



「え、なに……怖いんだけど……」



 後ずさる俺をそのまま追いかけ、ついには壁際まで追い詰めた妹。



「さ、咲? どうしたんだよ!?」


「はい? どうしたって……決まってるじゃないですか」


「俺にはさっぱり分かんねーけど!」




「だって浩介さん。私のこと――――誘ってるんでしょ?」




「……はぁ? いや、いやいやいやいや」



 俺は顔を横にブンブンと振り、否定した。


 しかし、そんなことお構いなしにどんどんと近づいてくる妹の唇。


 

 本気か? それは本気でやっているのか?

 困惑し、動揺して固まってしまう俺。

 止まる様子のない妹。


 そして――



 コン、コン、コン



 万事休すかと思ったその時、楽屋の扉をノックする音が聞こえた。



「咲さん。そろそろ他の出演者へ挨拶回りに行きましょう。そのままスタジオまでお願いします」


「「……」」



 声の主は佐々木さんだった。

 他の芸能人へ収録が始まる前の挨拶をするという。

 


「…………冗談ですよ、兄さん。じょーだん」



 妹はクスクスと笑いながら机に戻り、やりかけだった化粧を素早く済ませて楽屋を出た。

 


「浩介君も早く。一緒に挨拶がてら顔見せに行きますよ」


「――あっ、はい」



 冗談。そうか、冗談か。

 は、はは、妹も冗談がきつい。

 あんなに本気の目で演技しなくたって、いいじゃないか。


 ……。






 挨拶回りが終わり、スタジオに全員が集合して収録が始まった。


 芸人たちのトークから始まり、映像をみて、紹介された食べ物を食べて感想を述べている。

 テレビで観る芸能人たちは、華やかなスタジオで明るく楽しそうな雰囲気だが、現場では違う印象を受ける。


 煌々と照らされるスタジオの裏は味気ないベニヤ板の木目が丸見え。

 芸能人たちも本番では明るく振舞っているがカメラが止まると嘘のように静かだ。


 これこそが、虚構なのだろう。


 妹の笑顔が嘘っぽく映って見えたのはこれのせいだ。

 こんな世界にずっと、妹はいたんだ。




 収録開始から、1時間半が過ぎた。

 番組のコーナーが移り、妹に焦点があてられる。



「咲ちゃん、もう芸歴何年目なんだっけ?」


「3歳からテレビに出るようになったので……今年で11年目ですかね」


「すげぇ! 中学生で芸歴そんなにあんの?」

「俺らと同期じゃないっすか!!」

「もう咲ちゃんじゃなくて、咲さんだな」

 

 ハハハハ



 司会者の問いに答え、その芸歴にひな壇に座る30代くらいの芸人が驚く。

 

 妹はクスクスと綺麗な顔を崩さないよう、分かりやすい笑顔を魅せていた。



「この前最終回を迎えたドラマ、あれすごかったねぇ」


「あっ、観てくださいましたか? ありがとうございます」


「まさかヒロインとその親友、両方を咲ちゃんが演じてたなんて……これ、すごいよ。気づいた人、いたぁ?」


「いないいない!」

「僕は未だに信じられませんよ!! 本当のことを言えぇ! 咲ぃ!」

「いや、なんでだよ! 咲さんに失礼だろ」



 妹の家族である俺や両親すら気づかなかったんだ。

 そりゃあ信じられないよな。俺も凄い驚いたし。

  


「演技のコツってのは、何だったの?」


「コツ、ですか。……今回の役は、ヒロインがヒロインの立場では出来ないことを、現状の立場とは別の、他人のフリをすることで出来るようになるという物語だったのが、私にとってすごく共感できたことですかね」


「へぇー! ヒロインに咲ちゃんが共感できたってことかぁ」


「凄いわねぇ~。咲ちゃんがもし、自分とは別の人のフリをしたとしたら、何がしたいの?」


「……秘密です」


「あらー!! やだ、気になるぅ~」


「ここで言わないのが今回、咲ちゃんの成功の秘訣。おばさんとは違うんだよ!!」


「誰がおばさんだゴルァ」



 ハハハハ





 その後、無事時間通りに収録が終わった。


 帰りの車内。

 佐々木さんが運転をしながら後部座席へ座る妹に明日のスケジュールを伝える。

 妹は窓を眺めながら適当に相槌をする。

 俺は佐々木さんから渡された妹のスケジュール表を眺めてる。



 佐々木さんの連絡が一通り終わると、車内は静かになった。


 しばらくして、その静寂を破ったのは妹の声。



「兄さん」


「んあァ? ごめん、ちょっと寝てた。どうした?」


「浩介さん」


「……え、どうした?」


「いえ、ただ呼んでみただけです」


「なんだそれ」


「やっぱり、こっちのほうが馴染みます」


「……」



 どっちだ、とは訊かなかった。


 また余計なことを言ってしまうと、妹の悪い冗談が出そうな気がした。


 冗談は、冗談であるうちにやめておいた方がいい。


 そんなことを思いながら俺も窓の外を眺めた。

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