第4話 うっせーよ

「うっせ~うっせ~うっせ~わぁ」



 夕食を終え、俺は自分の部屋で塾から出された課題に取り組んでいる。

 来年には高校受験を控える中三にとって、この時期の勉強は最もストレスを感じる要因の一つだ。


 俺は解けない課題に対する鬱憤を込めて流行りの曲を口ずさむつもりが、ついつい気持ちも入ってしまい声が大きくなっていた。



 コンコン


「兄さん、入ってもいいですか?」



 部屋の扉をノックし、扉越しに妹が声をかけてくる。


 不味い、聴かれてしまっただろうか。

 一人で歌っている分には気持ちいいのだが、誰かに聴かれていたと思うと急に恥ずかしくなる。

 俺は何とか誤魔化そうと平静を装い、さも『勉強に集中しています』とばかりにシャーペンを握りしめてノートに何かを書いているフリをしながら返事をする。



「お、おー、今勉強中だったわ。どしたー?」


 

 俺の返事を聞いてから、妹は静かに扉を開けて部屋に入る。

 

 妹はどこか心配そうに俺の様子を伺っている。



「大丈夫……ですか? 何か悩みがあるなら私に言ってください」


「え? 何のこと? え、どしたん? え?」



 ァァァアァアアアアア!!

 絶対聴かれてた! 咄嗟にとぼけてみたけど、逆に痛々しいのが自分でも分かる。

 頼む、頼む妹よ!! そっとスルーしてくれ!



「あんなに叫んでいたじゃないですか。1階まで聴こえてましたよ」


「……」



 フォォオオオオ!! な、なんてことだ。それじゃあ親にも聴かれてたってことか!

 

 いや、しかし待てよ。

 別に何も恥ずかしがることじゃない。

 だって、有名な曲だもん。ネットで再生数凄いんだし、歌ってみたって別におかしなことじゃないもん。



「流行りの曲なんだよ。えっ、もしかして知らないの? うっせーわって」



 歌ってましたけど何か? と強気な姿勢の俺。

 むしろ知らないの? と妹相手にマウントを取ろうとする俺。


 俺をこんなにも意地悪にしてしまったのはお前だ、妹よ。

 お前が俺を追い詰めなければ、平穏なままでいれたのに。

 俺は悲しい。なぜ人は争わずにはいれないのだろう、と。



「そんなふざけた歌詞あるわけないじゃないですか。誤魔化さないでください」


「いやいやいやいや! 嘘じゃねーから!!」



 俺は急いでスマホを取り出し、動画を検索して再生する。

 妹は疑わしそうにスマホを覗き込み、流れる曲を聴いた。



「あぁ、これだったんですか。この前出た番組で紹介されてました」


「ほらな!」


「あまりにも音痴……いえ、アレンジが効いていたもので分かりませんでした」


「……」



 自分で言うのもなんだが、俺は繊細な心を持つ思春期。ガラスの十代だ。

 かっこ悪いとか、頭悪いとか、運動できないとか、そんな風に言われると傷つきやすいお年頃なのだ。

 そんな俺にむかって、音痴というのはあまりにも酷というもの。


 俺は羞恥心で顔に血が昇り、赤くなっていく。

 目頭にも若干、涙が溜まっていた。



「兄さん、どうしたんですか? 顔が赤くなってますよ。熱もあるみたい」



 妹は俺の顔に手を当て、体調不良を心配してくれる。


 だが、今の俺にとってはそれが憐れんでいるようで腹立たしい。

 今はそっとして欲しんだ。



「うっせぇよ! うぜぇから出てけ!!」


「――え?」



 妹は突然の怒気に唖然としている。

 俺はそんな妹を無理やり押し込み、部屋から追い出した。



「フー……」



 自分を落ち着けるため、身体に籠った熱を出すように息を吐く。




 数秒が経ち、俺は机に戻って課題に取り組んだ。


 不思議なことに、解けないと思っていた課題がスラスラと解けていく。

 きっと、課題に集中しているせいだろう。

 他に気を惑わせず、ただそれに没頭しているせいだ。


 ……でなければ、課題に集中していなければ、この湧き出る罪悪感で泣きそうになるからだ。



 問題文を読み、ペンを走らせながらふと頭の中で先の出来事を振り返る。


 本当につまらないことで怒ってしまった。

 おそらく、妹は俺をおちょくろうとか、揶揄おうとする意志はなかったはずだ。

 本気で心配をして、様子を見に来てくれてたはずなんだ。


 そんなことは俺だって分かってた。

 ただ、幼稚な自分が許せなくて、それを妹のせいにして……最低だ。


 明日になったら、謝ろう。

 嫌われてしまったなら、それも仕方ない。

 それでも、このままでいるよりはずっといい。




 しばらくして、課題が終わった。

 時刻は23時。気が付けば2時間も机に座って勉強していた。



「ふぅ、流石に疲れたな。寝る前に顔洗ってこよ」



 俺は席から立ち上がり、背伸びをしながら部屋の扉を開ける。

 するとそこには……



 ガチャ


「――うおっ! さ、咲!」



 妹が廊下で体育座りをしていた。

 自分の膝に顔を埋め、丸くなったままじっとしていた。

 


「もしかして、ずっとそこにいたのか!?」


「……」



 返事は無かった。

 寝ているわけではない。

 僅かに聞こえてしまう妹の泣き声が、そうであることを教えてくれる。



「咲……ごめん、ごめんな。本当にごめん……」


「……わたし、なにかわるいことしましたか」


「ごめん……咲は何も悪くないよ……ごめん」



 顔を合わせてくれない妹に、俺は許しを請うように謝り続けた。

 小さくなっている妹を抱きしめると、ずっと廊下にいたせいか身体が冷たい。


 健気にずっとここで待ち続けていたと思うと、俺は涙が出てきた。



「ごめんな、こんなバカな兄貴でごめん」


「……」


「もう話したくもないなら、話さないようにするよ。だから、お願いだからもう部屋に戻ってくれ。身体がこんなに冷えて……風邪ひいちゃうよ」



 抱きしめていた腕をそっと離す。

 俺がそうであったように、誰でも一人にして欲しい時があるはずだ。


 そう思い距離を取ろうと離れる俺を、妹は顔を上げ、腕を伸ばして俺の胸元を掴んだ。そのままグイッと強い力で引っ張られ、俺の顔は妹と鼻がくっつくほど近くまで引き寄せられた。



「な、なにを」



 するんだ、と言おうとする瞬間、それに被せるように妹が言う。




「――――このままキスして」




 俺は頭が真っ白になった。

 それは、仲直りに頬っぺたにチューとか、そういう意味ではないのだと直感した。


 妹の顔は、泣いていたせいか目元が少し腫れていた。しかし涙とは別に目は潤んでいて、頬を赤らめ何かを期待している表情をしている。


 まだ中学生になったばかりの妹が、明らかに家族に対するものではなく、特定の異性に向けて醸し出す色気を創りだせるのは女優としての才能だろうか。


 血の繋がった兄妹のはずなのに、その表情を見ているとドキドキとしてしまう。



 だが、俺はそれを強い意志で拒んだ。



「ダメだ、咲。それはできない」


「……どうして?」


「俺は、ダメな兄貴だ。カッコいいわけでもないし、頭だって良いわけじゃない。何か自慢できる趣味や取柄もないけど、だけど、それでもお前のいい兄でいたいんだ」



 もし、ここでそれをしてしまえば、今までのような関係ではいられない。


 妹はたぶん、俺のことを純粋に好きなんだ。

 それが家族としてなのか、異性としてなのか、その分別がつかないだけ。


 俺自身、妹をそんな目で見たことは無いし、そんな関係を望んでもいない。

 今までのように仲のいい兄妹でいれたら、それが一番いい。



「だから、ごめん。他のことなら、何でもしてやるからさ」


「何でも、ですか?」


「あぁ。俺に出来ることならやるよ」


「じゃあ、中学を卒業したら、高校に行かないでください」



 想像すらしていなかった要望だった。

 確かに義務教育は中学までではあるが、今の世の中高校へ行くなんて当たり前のことだと思っていた。

 高校を卒業して、それから大学へ行くか専門学校へ行くか、それとも就職するのかという選択をしていくのだと俺自身は考えていたわけで……。


 俺は当然、理由を尋ねた。



「……え? な、なんで?」


「私、兄さんが入学するような普通の高校には行けません。時間が無いんです」



 それは、そうかもしれない。

 今まで同じ小学校、中学校と過ごしてきたわけだが高校ともなるとそうはいかない。


 学力だけなら妹はどこの高校にも入れるだろう。

 昔から物覚えが良く、要領のいい妹ならそれは問題にならない。


 しかし妹は年々芸能人としての仕事が増えていき、帰りの時間もまちまちになってきている。今はまだ未成年ということで深夜まで収録するような仕事はないが、今後はどうなるか分からない。

 そんな状態で普通高校へ入学しても、出席日数が足りずに退学となることは容易に想像できる。


 だが、だからといって、同じ高校へ行けないからなんて理由で俺の人生の大きな決断を決められては困る。



「それはこま――もがっ」



 何とか考えなおしてもらえないかと口を開くと、妹が口の中に指を入れてきた。

 舌を掴まれ、上手く話すことができない。

 

 困惑する俺に、妹は俺の目を覗き込むようにして言う。



「ごちゃごちゃと



 そういうと妹は俺の口に入れた指を抜きとり、唾液のついた手を舐めとった。

 それはまるで俺に魅せつけるかのように舌を長く伸ばし、ゆっくりとした動作で行われた。 



「っん……フ、フフ。安心してください。卒業して何もするなと言っているわけではありません。兄さんには私の傍で、私のサポートをして欲しいんです。要はマネージャーみたいなものですね」


「し、しかし――「シーーーー」



 俺の言葉を遮るように、妹は俺の口に人差し指をあてた。



「……選んでください。ここで私にキスをするか、それとも高校生活を諦めるか」


「俺は――――」









 俺たちはその後、小学校以来していなかった添い寝を俺の部屋でした。


 一つのベッドに昔は大きかった一つ布団の中、枕を並べて寝る。


 身体が冷えたから、と言われてしまうと俺も負い目を感じて断ることができない。


 しかし、もう互いに昔ほど子供ではない。

 いくら兄妹と云えど、倫理的にも男女で同じ床につくのは気まずく、俺は妹に背を向けながら眠ることにした。



「こうやって一緒に寝るのは久しぶりですね、兄さん。本当に、久しぶり……」


「……」



 そういって無邪気に背中から抱き着いてくる妹。

 いや、もはや無邪気とは言えないだろう。


 妹は確実に違う意図をもってその行為をしている。



「今日はいい日ですね。本当に。嗚呼、待ち遠しいです。ねぇ? 兄さん」


「……」



 何が待ち遠しいのか――それは、俺の中学卒業のことだろう。

 俺は、後者を選んだのだ。


 ある意味、俺は残りの人生を棒に振った。あるいは捧げた。


 しかし、逆に言えばそれほどまでしてでも守りたかったのだ。

 家族の絆を。兄妹の仲を。


 俺のこの覚悟は、果たして妹に伝わっただろうか。


 それを確認することなく、俺は心労の為かそのまま意識を手放して深い眠りに落ちていった。








「あらら、寝てしまいましたか。兄さん……――逃がしませんからね」

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