2012年 漫画の実写映画の地図。

【2012年 実写化映画】どっちになっても面白いし、どちらも正解の二択の映画。

『郷倉』


 めちゃくちゃ放置して申し訳ないです。

 では、2012年に入りたいと思うんですが、順番は如何しましょうか?


『倉木』


 どっちからでもええで。


『郷倉』


 かしこまりました。

 大変待たせてしまった上で、申し訳ないのですが、

 2012年は倉木さんから始めていただいても大丈夫ですか。


 順番はその都度、相談できればと思いますが、次の2013年は倉木さんにこだわりがなければ、僕から始められればと思います。


『倉木』


 オッケー。じゃあ、はじめる。


『郷倉』


 よろしくお願いいたします。

 

『倉木』


 2012年の漫画原作映画一覧を確認して、豊作の年やなぁと思った。


 公開日順に面白かったよ、と思った作品をあげてくと、ヒミズ、荒川アンダーザブリッジ、宇宙兄弟、るろうに剣心、闇金ウシジマくん。もちろん他にも見てるけど、とりあえず語りたいのは、これぐらいかね。


『郷倉』


 2010年、2011年と比べると、ようやく漫画原作らしい映画が並んでいるな、という印象を僕も持ちます。

 そういう意味では、2010、2011年は結構、曲者な年が続いた印象です。


 挙げられた作品で言うと、僕は「ヒミズ」「宇宙兄弟」は見ていません。だから、どうと言う訳ではありませんが。


『倉木』


 結論からいえば、倉木さとし推し作品はヒミズ。好きなのは闇金ウシジマくん。意外性として荒川。振り返ってみて重要な作品は、宇宙兄弟かるろうに剣心やね。


 推しと重要かもと感じているのを見ていないとは。だからこそ、この企画は面白いんやで。


『郷倉』


 おっしゃる通りですね。

 どのような推され方をするか、また、どのように重要か。

 お話が楽しみです。


『倉木』


 2010,2011の曲者ってのは言い得て妙やね。これまでの原作映画の流れよりも、一層邦画としてのクオリティーをあげてきたように思う。


 ヒミズは漫画原作というより、監督の園子温作品ってイメージが強いです。園子温は、2006年の紀子の食卓から好きになり、2011年の冷たい熱帯魚が登場した頃には、監督の視聴可能な作品は見尽くしていた状態でした。なので、当時の僕からすれば、園子温の新作が出たら、反射で観るような感じになっておりまして。


 原作漫画をよく知らないのですが、震災の影響を作品に組み込んでいたりするのは、映画オリジナル要素だと思うので、前年のモテキのように、この頃だからこそ完成した映画って気もします。


 簡単にあらすじを説明しながら、当時の僕の感想を。


 学生ながら貸しボート屋を営む主人公・染谷将太は、不遇な生活を送りながらも普通の生活を夢見る。ただ現実はつらく、両親も最悪な大人、視聴者がこんな親は死んじまえよと思わせるのが実に見事です。そして、死んでほしい奴が死んだのに、カタルシスの解放はおとずれない。この、死んでほしいやつが死んだのに、さらなる絶望が待っているというのが、これが現実だよなぁ、って当時みていて思ったものです。


 本作では父親を殺しているのですが、普通の平凡な生活にあこがれている主人公にとっては、人を殺してスッキリなんてことにはならない。嫌な奴が死んでよっしゃぁと、思ってる視聴者は、第三者だからこその感想でしかない。殺したあとの染谷将太の演技によって、衝動的に殺してしまった後悔を視聴者も痛感するというのは、実に見事なシーンなので、そこだけでもみてもらいたいぐらいです。


 殺したあとも物語はすすむ。死体を隠した主人公は、警察に自首する前に「悪い奴」を殺すべく、夜の町を徘徊する。この考え方が、なんでか知らんけど共感できたんよな。自己満足に近い正義を遂行しようって考えなのに、どこか地に足がついたもののように思える。と同時に、悪いやつを殺すまでは自首しないというのも、本当は逮捕されてやり直すのがこわいというのがみてとれる。そんな主人公の殺人を知ってなお、ヒロインの二階堂ふみは彼女なりのやり方で主人公を救い出そうとする。


 染谷将太と二階堂ふみを知ったのも、この作品だったかな。地に足のついたリアルな狂気を描くならば、日本人が演じているという要素も必要なのかもしれないと考えさせられた。もしこれが洋画で外国人が演じていたら、ここまで映画ヒミズの空気感を日本人の僕に共感させることはできなかったんじゃないかな。


 不幸な登場人物をみて、視聴者の僕らは映画も見えているし、最悪な人生じゃないんだな。と、痛感して明日もがんばって生きよう。そんなことをヒミズは思わせてくれる作品です。同じような感覚を持って面白いものとして、闇金ウシジマくん、もある。ただ、色々と考えさせられるのはヒミズに軍配があがる。


 誰かを殺したい人がいるって方にこれを見せれば、考えが変わるかもしれんとすら思える。本来ならば、現代が舞台で人の死が物語上組み込まれているのであれば、物書きとして一度は掘り下げるべき要素がこの映画には詰まっている。ライトノベルや少年漫画などで、おしゃれに人を殺す作品では本作のような、えぐい作品には到達できないだろうね。


 ちなみに、この映画の空気感は、独特な世界観の上に、妙なリアリティーを絶妙なあんばいで同居させている。

 これは、ファンタジーやSFのようなジャンルでつくりあげるリアリティーに通じるものがある。


 あと、しょうもない人生に意味を持たすべく悪いやつを殺すために生きると、自分を追い込んで世界には悪い奴しかいないようにも思えてくる。


 世界は、本人の心のもちようで色を変える。映像化不可能といわれている小説を見事に映像化してくれたような見ごたえがあるで。


『郷倉』


 園子温が昔、ダ・ヴィンチという雑誌でエッセイだかコラムを書いていて、その中で忠実に漫画を映画にする方法として、「カメラの前で原作の漫画を1ページずつめくっていく」というものを提案していました。

 やべぇ方法だ、と思って読んでいたら、園子温いわく、この方法はすでに試した人がいる、というような発言をしていて、映画界隈は僕が思っている以上に自由でカオスなんだと思ったのを覚えています。


 そのコラムで、園子温が主張していたことは「漫画を実写映画化したら、原作と違うの当たり前だろう」ってことでした。


 今回の2012年を含む、テン年代前半は原作通りに作品を作ることが正義という空気が蔓延していたように思います。

 僕の周囲にいる人たちでも、漫画原作の映画を単品として語るよりも、原作と比較して語る人が多かった印象を持ちます。

 園子温はそういう原作と比較されることと戦ってきた映画監督の一人と言って良いでしょう。


 とはいえ、原作通りに作る方が良い作品もあるので、その辺は塩梅なのだと思います。


 そんな園子温の作品はサブカル的だと言われているサイトmも幾つか見かけたことがありました。

 サブ・カルチャーを本来的な意味で捉えるなら、園子温はまさにメイン・カルチャー(世界)の横にサブ・カルチャー(小さな世界)を作るのが非常に上手い監督だったように思います。

 例えば、それは家庭、宗教、熱帯魚を管理している男、だったりしたんだと思います。


 ちなみに、震災の影響を作品内に組み込んでいる、とのことでしたが、どういう描かれ方をされていたんですか?


『倉木』


 カメラの前で原作の漫画を1ページずつめくっていく。やべぇ方法やな。それはそうと、震災の影響に関することです。


 登場人物の一人が、本当か嘘かわからんが、震災の前は社長やったけど、津波で会社を流されてホームレスになったやつがいる。そいつが、主人公の親父がつくった借金を返すために、結果的に人を殺す流れも最悪の連鎖感があって最高。ちなみに、原作では同名キャラがまったく違う立場とか。映画しか見てなかったら、こいつはこれやろって感じで馴染んでる。


 映像的に象徴なのは、主人公が経営するボート屋の湖か川かなんかの中に、流れてきた小屋が壊れずに形を残してて、それが震災後の象徴なのかもしれんな。

 主人公は殺人によって、平凡な生活に戻れなくなったけど、震災の被害者は家を流されて平凡な生活に戻れなくなった人もいるでしょう。

 その水の中の家の前に入水して、自首する日の朝に拳銃を片手に自殺しようとするのがラストシーン。

 これで自殺するのは、震災で生き残ったけど、家を失った人が自殺するんと重ねて演出してたのかも。さらには、避難所での生活を受け入れるのは、自首して塀の中で暮らすぐらいに、日常の変化を受け入れる覚悟と重なるものがあって。


 他にも、細かいところに震災後の被災者である被害者と、被災地の火事場泥をする悪人と、被災者をしいたげる嫌な大人など、一個とかではなく複数積み重ねて、空気感をつくりあげてる。


『郷倉』


 なるほど。

 ヒミズという映画そのものが、震災以前と以後を描き出した作品として見ることもできる訳ですね。


 映画を見ずに予想だけで語るのですが(そして、見ていないからこそ、無責任に語れることは必ずあると思っていますが)、震災の一年後ということもあって、ヒミズは3.11という現実を映した鏡のような役割も持った映画なのかも知れないな、と話を聞いていて思いました。


『倉木』


 まぁ、ぶっちゃけヒミズは震災とか関係なく面白いよ。

 当時の日本を描くにあたって、無視できんから震災の要素を組み込んだだけであって、震災を考えさせる意図よりも、リアリティーを出すギミックとして使った印象かな。

 園監督は、震災後でなければ描けなかった作品として希望の国という映画があるので、ヒミズで震災を語るのは若干ずれとる気がする。

 そこは、本作のテーマではないので、いつの時代でもこの映画は感情をえぐる作品として面白いんやと思う。


 どっかでラストシーンに触れた内容を書いたので、そこだけでも掘り下げようと思います。


 ヒミズは、主人公が自殺するか自首するのかというのがラストシーンにあたります。

 正直、どっちを選んでもおかしくないし、どっちを選んでも納得できるつくりでした。


 同年の作品でいえば、LIAR GAMEは、そりゃこいつが勝つよねってわかってるし、ヘルタースケルターは、このあらすじと冒頭だったら、こうなるのは知ってたってなる。


 だから、その意外性が薄いから、LIAR GAMEやヘルタースケルターを見るならば、似たジャンルで名作の洋画をみようと思うしオススメしたい。


 でも、ヒミズは最後まで自殺か自首かわからない。原作がどうなのか知らんけど、無視してオリジナル展開もありうる流れでのラストシーン。

 こういう見届けねばならぬ作品は、洋邦に関係なく名作になれると思うんよね。


 どっちになったて面白いといういう、どちらも正解の二択を視聴者に叩きつけ見届けさせるヒミズ。園監督作品の中でも屈指の名作だと思う。


 ただ、見る人を選ぶ作品なので、おおっぴらにオススメしづらいんやけどね。


 ただ、僕は大好きだ。二階堂ふみのパンツも見えるよ。全然セクシーなシーンじゃないけどw


『郷倉』


 ちなみに、見る人を選ぶ作品ということですが、あえて、こういう人に見て欲しいって言うとしたら、どういう層ですか?


『倉木』


 PG12がついてるから、12歳以上の人には見てほしい。てか、中学一年生の夏休みの宿題で感想文を書かせるぐらいしてほしい。

 まぁ、戯れ言です。


 本作を見るべき人は、普段はラブコメやファミリー向け映画、アニメでいうなら日常系を好む方に見てもらいたい。



 絶対に、その層には届かないってわかってるけど、愛やら家族やら日常やらと地続きでヒミズの世界は存在しているように思うんよね。

 ただ、いくら熱弁してもヒミズのようなジャンルを苦手としている人からすれば、オススメする僕の人格を疑われかねません。

 キャベツ畑やコウノトリを信じている可愛い女の子に、無修正のポルノをつきつけてるだけだろって言われかねません。


 ただ、人生において愛や家族や日常が壊れないとは限らない。そんなときがこないにこしたことないけど、来てしまったときに、この映画のヒロインの名言を思い出してほしい。


 抜粋します。

「君はいま、自分で決めたルールにがんじがらめになってるだけだよ。もう価値観を変えざるおえないの。一度人生にケチがついた人たちは、自分を捨ててでも頑張っていくしかないと思う。これはほとんど義務だよ。泣いてでも人に助けを求めるぐらいの根性を見せろよ!」


『郷倉』


 中学一年生の夏休みの宿題で感想文ですか。


 見たくない現実を描いているからこそ、それが対岸の火事ではないことが実感できる一作になっている訳ですね。


 ヒミズの原作者、古谷実のアシスタントをしていて、今活躍している漫画家に鳥飼茜がいます。


 今回「ヒミズ」の話を伺い、既視感を持っていて、それが鳥飼茜の「先生の白い嘘」なんだと、ふと思った次第です。


 ヒミズの底にある「不条理で救いのない現実の描写(鳥飼茜の地獄でガールズトークの中での古谷実との対談の際の説明文から抜粋)」は、後に売れっ子となる鳥飼茜の作風に大きな影響を与えたんだとすれば、それはこれから更に活躍する漫画家、クリエイターにも引き継がれる姿勢なんでしょうね。


 日常は容易く壊れる。

 やっぱり、そこには震災的なものが潜んでいるように思うんですよね(まだ言っている笑)。

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