【2011年 実写化映画】『緊張感の放棄』をした映画GANTZ。

『倉木』


 GANTZは、語りたかった作品です。

 反面教師として学ぶところが多すぎますね。


『郷倉』


 倉木さん版「GANTZ」の語りも楽しみにしています。


『倉木』


 せっかくなので、このタイミングでGANTZを語らせてもらおうかな。

 当時、劇場で二本とも見ました。いまの嫁とのデートでしたね。のろけではなく、映画業界の狙った層が、こういう二人だったんだろうなと、いまは理解してる。


 どういうことかというと、原作ファンの男と原作を知らないけれど、嵐のニノだから観てもいいかなという女性層。


 当時、劇場で二本とも途中で眠ってしまった僕なのですが、あの頃の自分は映画の観方がわかってなかった。未熟でした。眠った理由が、どうしても原作と比べてしまうからだったんすよね。そんなことは、郷倉くんのいうとおりで生産性のない無駄なことです。


 僕はGANTZの原作ファンです。小説版も買ったし、スピンオフの女性中心の話や江戸時代の話も読んでいるぐらいです。

 オリジナルのGANTZ以外にも、あの世界観や設定を使うだけで、幾つもの作品がある。つまり、面白い要素の宝庫なのです。なのに、映画がクソみたいになった理由を紐解こうと思います。


 結論から言えば、脚本がダメダメです。撮影をする前の段階で、ダメな部分がオンパレードだと気づきそうなものだけどなぁ。


 最大のミスだと思うのは、情報の出し方が下手なところかな。

 本文ままの、あらすじで書かれている内容で、ものすごいネタバレがあるので、引用します。以下の通り。


『戦いに生き残り部屋に戻ると“ガンツ”による採点が行われる。星人を倒し得点を重ね“100てん”になると、この世界から解放されるか、好きな人を生き返らせることができると知らされる』


 この情報が映画本編中で視聴者に明かされるのは、最初の戦いが終わったあとです。

 つまり、この物語は、誰が死んでも、生き返らせる方法が明言されている。これから先、仲間が死んでも希望がなくなるわけではない。これで、主人公を絶望におとしきれると思っているのか?


 こういった『緊張感の放棄』とも言える部分が、脚本段階ですら多数見受けられる。


 たとえば、原作では宇宙人と戦わず、戦闘区域から出ようとすると、頭に仕掛けられた爆弾が爆発してしまう。だが、映画では、そんなシーンも設定も語られていない。つまり、宇宙人と戦わずに家に帰ってもいいのではないか。逃げられないシーンをカットしてるってことは、逃げてもいいやんか。


 戦闘中、大怪我をしたものがいても、宇宙人のボスを誰かが倒すと、死んでさえいなければ五体満足で生きて帰れる。つまり、はやく敵を倒せば、救える生命があるという制限時間のある戦いもGANTZの醍醐味なのだ。わかりやすく、観ているものもハラハラできるのに、どうしてひとつもなかったのか。


 殺し合いをしているのに、敵も味方も優しいんだよなぁ。これは、原作と比べるまでもない。ギャング映画や戦争映画でも、もっと銃を撃つやろ。そもそも、敵が刀を使うからといって、こっちが銃を使わない理由がわからん。なにか理由をつくれよ。


 原作漫画と要素が共通しているのに、緊張感がない要因は、原作改変のせいだと言うものもいるだろう。

 だが、それは正確ではない。

 原作改変するのならば、きちんと代わりになるエピソードを用意してくれればいいのだ。単純にカットするだけでは、重要なエピソードが弱くなるのは当然だろう。


 面白い脚本を用意さえすれば、見事に演じきってくれる役者が揃っていたのに、勿体なかったなぁ。


 特に感じたのは、女優たちの無駄遣い。

 吉高由里子は、園子音監督や三木聡監督の作品に出演した演技のうまさが、いかせていなかったように思う。夏菜だって、裸になるシーンを想定して、下着をしばらくつけずに撮影に望んだという逸話がある。

 なのに撮影側は、まさか女優がそこまでしてくれるだろうという想定すらしていなかったのではないか。だとしたら、実に勿体ない。役者もいいのが揃ったのに、予算だってあったのに、勝負する脚本が用意できなかったとは、嘆かわしい。


 二宮和也と松山ケンイチも、配役を逆にするだけで、違った映画になったのに。主演のニノに合わせて、松山ケンイチが演技したようにすら思えるんよな。それほどまでに、松山ケンイチはすごい役者やからね。

 確かに、原作ファンからすれば、二人の役者がいれば、どっちがどっちを演じるかはイメージどおりではある。あえて、イメージと違ったキャスティングをすることで、バクマン。のように成功することもあるので、映画って難しいなぁ。


 ここらが、当時の邦画の限界なのかもしれんな。

 もし仮に、GANTZがハリウッドで映画化されたならば、女性層を切り捨てた作りになってたと思う(願望)。少なくとも、なにかを言い訳にして逃げなかっただろう。

 本当に面白いものを作る脚本家は、女性層が苦手な要素(残酷・セクシーなど)を排除するのではなく、その苦手な要素を忘れさせるほどに、圧倒的なほど面白くて魅せるシナリオを書き上げてくれるものだから。


 そういう力技による賭けをしなかったGANTZは、実に中途半端な作品になってしまいました。

 ストーリや大人の事情に関係のないところが素晴らしいので、観る価値はあるんやけどね。

 20世紀少年から比べて、CGだかVFXだかは格段に進化した。とりわけ、美術スタッフは優秀。ガンツスーツや武器、星人などの特撮に通じるものは、やはり邦画は強いって、よーくわかる。


『郷倉』


 倉木さんの話をまとめると、美術スタッフには原作「GANTZ」に対する愛やリスペクトがあったにも関わらず、脚本にはそれがなく、配役や与えられるキャラクターの深みにも、配慮が無かった、ということですかね。

 そして、それは正しい気がします。


 僕は単純にニノが刀を振り回すシーンはカッコイイので好きだったんですが、原作「GANTZ」って実は、なんかカッコイイから、こうするって言うシーンってあんまりなくて、理に適った戦闘を格好よく描く、という点で素晴しい漫画だったんですよね。


 そういう点で、「GANTZ」の監督、佐藤信介は後に奥浩哉の「いぬやしき」の実写映画の監督も務めていて、こちらは原作通りに描いた印象を僕は持ちました。

 これは監督の問題なのか、時期(GANTZが2011年、いぬやしきが2018年)の問題なのかは、ちょっと議論の余地があるとは思います。

 倉木さんの論考を読んだ上でも、僕は「GANTZ」の穴だらけで、論理的な理由の説明がなされない、吉高由里子が不自然に死なない、この映画が結構好きではあります。


 ただ、それは単なる好みの問題で、好き嫌いでオススメすることには意味がないので割愛します。

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