第6話 「祝祭」


「じゃあ水無瀬くん、私もうすぐ家に着くから」


 雪に覆われた国道を超え、小路らしき道路がある住宅街をしばらく歩くと、玲菜は涼太の方を振り向き、そう言った。


「あぁ、ごめん。こんな所まで」


 涼太は唐突に謝りながら狼狽える。すると、彼女はその様子を見ながらクスクスと再び苦笑し始めた。


「なんで水無瀬くんが謝るの?」


「えっ、あぁいや……迷惑、じゃなかったかなぁと」


 それを聞いた玲菜はほのかに目をぱちくりと開くと、再び微笑みながら「……やっぱり、水無瀬くんって少し変わってるね」と呟く。


「え、べ……別に普通だろ!」


「えぇ? そうかなぁ。だって普通の人はそこで謝らないし」


 そう言って静かに笑う玲菜を見て、涼太は何か面白くない気持ちに捉われる。だが、その感情が悔しさ故なんだと気付いて、何故か自分まで笑えてきてしまう。

 密かに。

 その笑顔が嬉しいな、と何度目かの感想を再び彼は思う。

 腕時計をふと見ると、まだ校門を出てからはほんの二十分程しか経っていない。短い帰り道だったが、涼太にはそれがまるで五分も経っていないような気がした。


「……なぁ、日向」


「?」


「またさ、良かったら一緒に帰ってもいい?」


 胸が踊っていたからか。気が付いた時には遅く、既にそれは口からこぼれていた。

「え……」と彼女は再び驚く。

 あ、ヤバい、と彼は背筋が凍る。


 引かれたかな、と。


 だが、彼女はまた少し驚いた仕草をしただけで「うん、いいよ」と涼太の誘いを数秒程で肯定した。


「じゃあ、多分私明日も一人でまた帰るかもしれないから……そん時に帰ろ!」



 ザクザク、と先程も一度歩いた雪道を踏みしめている。

 足底を覆い尽くす雪。

 水分を含んだそれは、靴にべっとりと張り付いているのが感触で分かる。


 ふと。


 大きな一軒家の軒の下にあるクリスマスツリーが目に入ってはその瞬間、彼の頭にあの有名なジングルベルの歌が鐘と共に聞こえ始める。


 歩みが、気が付かぬ間に進む。

 更に、加速。加速、加速、加速。


 早歩き、小走り、そして走り出す────やがて、ギアにハイを掛ける様にして、アクセルをありったけの力で踏み砕く。


 視界が極端に、狭まる。


 雪道をこれ以上無いほどの猛スピードで、駆け抜けていく。

 風。荒々あらあらしい向かい風が彼を襲う。限界を超えたその先へ走り出そうとする彼の勢いを、それらに止められようはずもない。


「…………………………………っっ、っっいいいいいいいぃぃぃぃいいいいいいいぃぃぃぃいぃぃぃぃいいいぃ……………………!」


 先程の国道を抜け、再び河川の脇の並木通りを抜け、やがて河川敷の歩道まで抜ける。


 涼太の足は止まらない。両手を全力で振り、つまずきそうになりながらも堪える。

 そして、また走り出す。今ならオリンピックにだって出れる気がする。

 心臓は肋骨ろっこつを突き抜ける程に飛び跳ね、ありとあらゆる血管を巡る血液は、全身でたぎる様に爆発的なスピードで駆け巡っているようだ。

 だが足りない。例えるならこれは祝祭。春よ来いと言わんばかりの、大歓喜。

 このたかぶる感情を抑えるには、この程度では足りないと言わんばかりに心は跳ね飛ぶ。


 故に、その喜びを少しでも吐き出すために

「ぃぃぃぃいいいいいいぃぃぃぃいいいいいいいぃぃぃぃいいいいいいいぃぃぃぃいいいいいいいぃぃぃぃいいいいいいいぃぃぃぃいやったあああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」と叫ぶ。


 2キロほど離れた河川敷の反対側の岸にすらその叫びが届くのは、彼にとっておおよそ仕方が無い事だった。そうでもせずにはいられなかったのだ。

 そうして、身体も心も嬉しい悲鳴を上げているのを感じながら、歩道から川へと通じる階段を何段か飛ばしながら駆け下りていく。


 河川敷はすっかりと雪化粧を纏わせている。階段を下ると、涼太はその雪景色の中でも、一段と柔らかい草むらの跡へ背中から飛び込む。


 河川敷のこの辺りは普段から涼太も訪れる事も多かった。ここなら、寝転んでも怪我をするような事も、誰かに文句を言われるようなことも無い。

 バクバクと脈打つ心臓は、ようやくその収まる。

 また頬はひどく熱く、吐き出す吐息は熱気を伴って夕闇にかき消えていく。

 

「…………………やった」と彼は呟く。


 明日も、日向と帰れる。

 やっぱり、これは夢ではなかろうか。そう思って横腹の近くに降り積もっている雪に、彼はそっと触れる。

 指に新雪は貼り付く。

 体温は急速に奪われ、感覚もまた薄れていく。普段なら嫌悪するこの冷たさが、今はどうしようもないほどに愛おしく感じる。

 これが決して夢などではないと自覚させてくれるそれは、今の彼にとってはいっそ感謝すら覚えるものだった。

 明日も彼女と同じ帰路につくことが出来るのなら、十分だと彼はそう思う。


 ただひたすらに、それだけが今の彼の願いだった。

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