第25話

 第25話


 『どん!』とひと際大きな花火が上がる。柳の木の様に火の粉が垂れてきて思わず息を飲んだ。

「多分、これで終わりっす」と花さんがぽつりと言った。これで最後なのか、ちょっと寂しさがこみ上げたのは花火が終わってしまったと言う事だけじゃないんだろう。いつも学校で一緒にいるより長い時間過ごしたからだろうか。そもそも学校で会うのは結局は通学した副産物で、今日僕達が会っているのはお互いが会う事を目的としてここに来ているからだ。そりゃ寂しくなるよね。花さんも寂しいと思ってくれているんだろうか、今の僕には判らないけれど。


 スマホを開き時間を確認すると午後8時になろうとしている。

「花さん、時間大丈夫? そろそろ帰らないと家の人心配しない?」

「そっすね。帰りましょうか」と言った彼女は随分と浮かない表情をしていた。


 最寄りの駅まで歩いていき、ホームへ上がるとすぐに電車が入線してきた。車内はそこそこ混んでいて座れそうな席は無さそうだ。仕方なく扉付近で二人で並んで立った。


 港の観覧車が遠ざかって行く。車内が混んでいた所為もあったけれど、僕達はお互いに何も話さずにいた。話せばきっと、今日のデートがこれで終わる事をお互いが再認識してしまうと思っていたのかも知れない。今出てくる話題なんてきっと、今日の感想に違いないから。花さんはどうだったか分からないけれど、少なくとも僕は楽しかった。だけれど、「楽しかったね」と言えないでいた。


 彼女の最寄り駅が近付いてきて彼女は下車する準備をしながら、


「今日はありがとうございました」と言う。

「いやいや、僕の方こそサンドウィッチありがとう。美味しかったよ」とお礼を言った。


 彼女は僕に背を向ける様にドアの方に向きを変える。僕は彼女の耳元から、


「でも、お礼を言うのはまだ早いよ」と囁いた。

「え?」と僕を振り返ると同時にドアが開く。

 僕は彼女の腕を掴みホームへ降りると、「送って行くよ」と言った。


「え? え? で、でも……」と彼女は今の状況に戸惑いながら言う。背後で電車のドアが閉まる音がした。

「何言ってるの? 夜道にJKを一人で歩かせる訳に行かないでしょ?」

「でも、そうするとあなたが遅くなっちゃうっす」と言って動き出す電車に「ちょっと待って」というジェスチャーをする。電車は待つ筈もなく遠ざかって行った。

「明日も休みだよ? 全然平気」

「……ありがとう……うれしいです」

 いつもと違って素直な花さんにドキっとした。


 駅から彼女の家まで並んで歩いた。彼女の家は小高い台地にあるようで入り組んだ坂道を歩いているとじんわりと汗が滲んでくる。過密した住宅地でかなり道が細く曲がりくねっていて方向感覚を失いそうだ。やがて重厚なコンクリートの基礎に建てられている、これまたコンクリートで出来た家の前で「ここっす」と言って脚を止めた。すごい立派な家だ。表札には『田中』の文字。


「花さんちってお金持ち?」

「さあ? わかんねーっす。でもこの辺りはみんなこんな家ですよ」

 市内に戸建てで家を建てられるのだからお金持ちなんだろう。


「因みに、この道をもっとずっと登っていくと麗華さんの家っす。とびきりデカいっす」

「へえ……」 こんな曲がりくねった細い道をあのリムジンが通れるのだろうか。


「じゃあ――」ありがとう、と言おうとしたら、

「あの!」と遮られてしまった。

「うん?」

「もし、まだ時間大丈夫なら、家でお茶でも……」

 僕は飛び上がって驚き、

「いやいや、マズイでしょ。ご両親もいるんでしょ?」と言ったけれど、絶対マズイに決まってる。

「両親には今日あなたと出掛ける事を話してありますし、送ってもらったお礼もしたいっすよ」と何故か胸を張って言う。

「いや、しかし……」


 本当に大丈夫なのだろうか。年頃の可愛い一人娘なのに。彼女の父親にぶん殴られそう。僕は痛いのは苦手なんだけれどなあ。


「とにかく上がっていってください」と言って彼女は僕の返事も待たずにインターホンを押してしまった。えー!


「はい?」と女性の声が聞こえた。

「お母さん? 中西君に家まで送ってもらったの」

「あらあら、そうなの? じゃあ上がってもらって」

 予想に反してなにやら歓迎ムードだけれど本当にいいのかな。


「本当にいいの?」と確認する。

「送ってもらってそのまま帰したらきっとお母さんに怒られるっすよ」

「送ってもらったって言わなきゃ良かったじゃん」

「駅に着いたらお迎えの電話する事になってたっす」


 なるほど。送ると言った時点でこうなる事になってしまったのか。それなら迎えに来てもらうって言ってくれれば良かったのに。そう突っ込むと、


「それはそうっすけど……」とモニョモニョと言う。まあでも断るとせっかくの厚意を無駄にするわけだし。


「じゃあ、お言葉に甘えて少しだけ」と言った。彼女の表情がぱっと明るくなり、門を開いて石段を登り始めたので僕も後を追った。


 彼女が玄関のドアを開けると既に彼女の母親らしき女性が立っていて、

「今晩は、初めまして、花の母です」と言って頭を下げる。僕は慌てて姿勢を正し、

「初めまして、中西と言います」と腰を曲げた。40歳位だろうか、品のある綺麗な女性だ。目が花さんに似ている。


「わざわざ送って頂いてありがとうね、さあ、どうぞ上がって」と言うので、

「はい、お邪魔します」とおずおずと靴を脱ぐと花さんがすぐに僕の靴の向きを直してくれる。彼女の育ちの良さを感じた。


 リビングに案内されるとテーブルに男性がにこやかに座っている。絶対彼女の父親だと認識し動きが固くなる。父親らしき男性は僕を認めると、

「やあ、いらっしゃい」と声をかけてくれた。


「初めまして、花さんのクラスメイトの中西です」と言って深々と頭を下げる。

「花の父です、よろしくね中西君」と穏やかな声で言う。僕はいささか拍子抜けしてしまい、

「よろしくおねがいします」と答えた。


「中西君、そこに掛けて」と花さんの母親がソファーを示して言うので、

「あ、はい」と言ってソファーに腰掛けた。居心地の悪さを感じながらモジモジしていると、


「何飲むっすか? コーヒー、紅茶、日本茶、オレンジジュースがあるっすよ」と花さんが聞いてくる。

「花、喋り方」と母親に注意されると、

「あ、何を飲まれますか? コーヒー、お紅茶、日本茶、オレンジジュースがございます」と言い直す。僕は笑うのを噛み殺しながら、

「じゃあ紅茶で」と答えた。


 花さんと母親がキッチンで紅茶を淹れる作業をしていると、花さんの父親が僕の対面に座ってきた。僕はより一層緊張してしまい、手に汗が滲んでくるのを感じる。


「中西君、花がいつも世話になっているね」

「いえ、僕の方こそお世話になっております」

「花はあのように内気でなかなか友達が出来ないんだ。仲良くしてやってくれ」

「はい、こちらこそ……」


 花さんがティーカップの乗ったトレーを持ってこちらにやって来ると、花さんの父親は、

「じゃあごゆっくり」と言って奥の部屋に消えて行った。ふぅ……。


「どうぞ」と言って花さんは僕の前に紅茶を出してくれた。

「花、これも出してあげて」とキッチンの方から声がかかる。

「うん」と言ってキッチンに戻ると、お菓子の乗ったお皿を持って戻ってきた。


「これも召し上がって下さい」

「ありがとう」


 花さんが僕の横に座ると、花さんの母親は先程父親が座っていた場所に腰掛けて、

「中西君、いつも花がお世話になっています」と父親と同じ事を言う。きっと先程のやり取りの再現になるだろうなと予想していると本当にその通りになった。再現を終えると、


「花が友達を連れてくるのなんていつ以来かしら。幼稚園以来?」

「お母さん、その話はしないで」

「いいじゃない、あなたのお友達に会えてお母さんも嬉しいんだから」と言われてしまうと花さんは大人しく黙った。


「学校の話なんてちっともしなかったのに、最近良くあなたの話をするのよ」


 どんな事を言われているのか気になる。


「やーめーてー」

「照れてるだけだから」と言って彼女は嬉しそうに微笑むと、花さんは「連れてこなきゃ良かった」とブツブツ漏らす。


「はいはい、じゃあ後はお二人でごゆっくり」と言って立ち上がると、先程父親が消えていった部屋に入って行った。


「優しいご両親だね」

「そっすかね」

「花さん、喋り方」

「お母さんみたいな事言わねーで下さい」

「ははは……」

「……」

「……」


 いつも教室で2人でいるのに、今だって同じ様な状況なのに、どうしてこんなに緊張するんだろう。花さんは緊張を隠す為か先程から休みなくお皿の上のチョコレートを摘まんでは食べている。


「なんか緊張しちゃうんだけど?」

「そっすね……」

「なんでだろう?」

「さあ? わかんねーっす」


 部屋の壁時計の秒針の音だけが聞こえる。


「でも、緊張しているって告白したらちょっと楽になったかも」

「奇遇ですね、私もです」


 僕達はお互い見つめ合って初めて声を出して笑った。僕は花さんの笑顔を見て、こんな笑顔もするんだって思った。普段はマスクを付けてて表情は見えないのだけれど、恐らく学校ではこんな笑顔にはならないのだろう。僕だけに見せる笑顔なのだろうか。


 トクン! あ! 胸が、苦しい。まただ。この苦しみの正体は何だろう。最近良く感じるこの胸の苦しみ。息苦しさ。これは……これってひょっとして……


「ねえ、花さん。最近、胸が苦しくなる時があるんだよ」

「え? 例のトラウマの発作っすか?」

「それの時もあるけど、今感じているのはソレとは違うような?」

「……」

「花さんと一緒に居るとたまになるんだけど?」

「……」

「これってひょっとして……」

「ストーップ! ストップストップ!」

「え? なに?」

「口に出しちゃあいけません。まだ駄目です」

「どうしたの?」


「それが何かは判りませんけど、『ひょっとして』とか『もしかしたら』とか、そんな段階で口に出してはいけない物だと思います」

「そうなの?」

「想像している物と違った時に、き、傷付く人が、い、いるかも知れません……そ、その……ええと……た、例えば私とか……」

「え? ……そうなんだ……」

「はい、それが何なのかが、憶測ではなく確信に変わった時に口にするべきっす」

「はあ……解りました」


 その後、いつもの様に他愛の無い会話をしているとあっという間に時間は過ぎた。


 花さんのご両親にご挨拶をして玄関を出ると、花さんが門まで見送ってくれた。


「あの……今日はありがとうございました。ええと……あの……その……」とモジモジ。


 僕は微笑んで、「楽しかったよ」と言うと、彼女も、


「私も……楽しかったっす……」と言った。


「じゃあ、またね。おやすみ」と言って手を振る。

「はい、おやすみなさい」


 僕は来た坂道を下って行った。


 その後当然道に迷った為、スマホのマップでなんとか駅までたどり着いた。

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