第2話ヒカル、家なき子になる

「………お母さん、よく聞こえなかったんで、もう一度言ってくれるかな?」


その時、私はいつもの日曜日の昼下がりと同じように、居間のソファーに寝転がり、テレビを見ていました。

私の名前は山田ヒカル。

父親はサラリーマン、母親は専業主婦という、東京近郊の某県立高校に通う、どこにでもいるごく普通の高校生です。


「あのね、ヒカル………お父さん、昨日会社リストラされちゃったの」


微笑みながら、母はサラッとそう言いました。


「………………………はい?」


私はあまりのことに呆然としました。


そりゃそうでしょ!


だって、生まれてから17年の間で、最もショッキングな事柄を、まるで「今夜の夕飯、何にしょうかしら~」ってな感じで、打ち明けられたんですから。

でも、父のリストラは私の不幸の始まりにすぎませんでした。


「それでね、実はお父さん、会社を経営するお友達の連帯保証人だったんだけど、その人の会社もこの間倒産しちゃってね、さっき管財人の人から電話があって、この家も明後日には差し押さえられることになっちゃったのよ」


自分の母親ながら、とても四十目前の女とは思えないほど、可愛らしく(まるで昭和のアイドルグラビア写真のように)微笑みながら、そう言いました。


「な、な、なんですとーーーーーーーー!!」


ああ~、もういっそ、このままスカイツリーから命綱なしで、バンジージャンプしたい気持ちでした。



で、それが一昨日の話。


私は今、JR秋葉原の駅前に立っています。

両手と背中には大きな荷物を抱えて、これじゃあ、一昔前の家出少女ですよ。


「あ~あ、何でアタシがこんな目に遭わなきゃならないのよ~」


私は母が書いてくれた地図を見ながら、目的地を目指して、とぼとぼと歩き始めました。



結局、あの後、私たち家族は夜逃げ同然に住み慣れた我が家を後にし、とりあえず、近場の旅館に逃げこみました。


「いや~、ヒカル、迷惑かけちゃってゴメンな」


と、これまた「頼まれてたテレビの録画予約を忘れちゃったよ」ぐらいの感じで、父は私に謝罪しました。


もう怒る気もありませんよ~。


父は昔からこんな感じでの人すから、そりゃ、会社の経営が危うくなれば真っ先にリストラされちゃいますよね。

しかも、いくら相手が親友とはいえ、自分の会社が経営危機に陥ってる人の連帯保証人まで、引き受けちゃうんですから、もう人が良いを通り越して、ただの馬鹿ですよ。

しかも、どうやら闇金から借りてたみたいで、ゲームだったら、間違いなくBADエンドルート直行決定です!


「で、これからどうするつもりなの?」


私はのんびり温泉旅行に来てるかのようにリラックスしている両親に訊きました。

何でも父の親友(当然既に家族もろとも失踪中)の負債は五億だそうで、とても我が家を差し押さえたぐらいでは、足りる額ではありません。

それにしても、こういう場合必ず借金した本人が先にトンズラこきますよね。

まったく、こちとらイイ迷惑ですよ。

小学校に入学したら、「決して借金の連帯保証人になるべからず」と、真っ先に教えるべきだと断固主張しちゃいます。


「ん~~、そうだな、どうしようか?母さん」


「そうですね~。このままじゃ、お父さんは内臓売らされて、私とヒカルはどこかハーレムのある国に売り飛ばされちゃうでしょうから、ここはやっぱり、雲隠れするしかないでしょうね~」


と、あまりにもデストピアな未来を語ってくれる母に戦慄を覚える私でした。


「でも、大丈夫。ヒカルは何も心配しなくていいからね~」



「それにしても叔母さんに最後に会ったのって、幼稚園の頃なんだよね」


平日とはいえ、さすが今や日本を代表する観光名所。

人でごった返す大通りから、私は人気の少ない裏通りへと入っていきました。


「叔母さんって、確かお母さんより十歳くらい若いはずだから、まだ二十、七~八ってことか」


この辺りは、表通りとは違い、なんだか古くて小汚い建物が多く目に付きます。


「何だか昔の映画に出てくる闇市みたいな場所だな~」


そうして、私は一軒の古びた小さなテナントビルの前にたどり着きました。


「え~と、住所はここでいいんだよね。喫茶店『羽の生えたカヌー』か」


そのビルの一階が叔母さんの喫茶店になっていて、入り口の横に小さな窓がついています。

ここが私の叔母さんの喫茶店か。

あんまり期待してはいなかったけど……ここまでボロとはね。


「それにしても変な店名……」


私がしげしげと店の看板を眺めていたら、


「うぎゃーーーー!!」


突然窓ガラスが割れて、絶叫を上げながら、男の人が投げ出されてきました。

そして、その男の人は私の目の前の道路に倒れこみ、白目をむいて痙攣しています。


「な、な、何なの?!いや、それより、救急車!救急車!」


私は思わず、後ずさりしながら大声を上げました。

次の瞬間、喫茶店の入り口のドアが開き、中からメイド服姿の女の人が現れ、


「ったくよ~、嫌がらせするなら、もう少し気の利いたことをやれよな~」


と、不愉快そうに呟きました。


うわ~~~、何だか凄い人が出てきちゃいましたよ!


その女の人は滅多にお目にかかれないような凄い美人なんですが、着ているメイド服を自分流にアレンジしてあって、服のあちらこちらにチェーンやらトゲトゲやらが付いていて、服装のセンス的にはあまりにも残念すぎる人でした。


「これじゃあ、まるで『北〇の拳』か『マッ〇マッ〇ス2』に出てくる悪党じゃないですか!」


と、私が心の中で密かに叫んでいると、


「ふ、ふざけんな!おい、おまえ、客にむかって何するんだ!」


割れた窓の向こうの店内から激昂する男の人の声が聞こえてきました。


「ああ~~?」


声のほうに振り返るメイド服の美女。

そこには、外に放り出された男の人の連れらしいデブの大男がいました。


「誰が客だって?うちじゃ、理不尽な言いがかりで店員に難癖をつける輩は、客とは呼ばね~んだよ!」


吐き捨てるように、メイド服の美女はそう言い放ちました。


「り、理不尽な言いがかり?注文したオムライスにゴキブリが入ってたんだぞ!悪いのはお前らのほうだろうが!」


そして、そのデブの男は窓際の自分のテーブルの上のオムライスの中のゴキブリを指差しました。


………これって、もしかして。


いや、今時こんな古典的な嫌がらせなんてする人がいるわけないですよね。


てな具合に、私が一人状況について行けず、悩んでいると、


「ん~~?ゴキブリだ~~?」


オムライスの皿を見てから、店内に戻ったメイド服の美女は目の前のデブの大男に目をやり、


「おい、オマエ、体重は?」


「えっ?」


「えっ?じゃね~よ。何キロか訊いてるんだよ。日本語が分かんね~のかよ」


と、絡み始めました。


「な、七十キロだけど」


「ふ~ん、七十キロね~」


そう言うと、メイド服の美女は、あろうことか、デブの大男の胸ぐらを掴んで、割れた窓から外に投げ飛ばしました。


「嘘つけ!九十キロ以上あるだろ!二十キロもサバ読むんじゃねーよ!」


ドサっ!という音とともにが私の目の前に米俵のように転がってくるデブの大男。

いつの間にか意識を取り戻していたのか、先に放り出された男の人がデブの大男に駆け寄ってきました。


「こんなことして、ただで済むと思ってるのかよ!」


「うるせー!さっさと、そいつを連れて帰んな!そんで、オマエらの雇い主に『いいかげん、諦めろ』って、言っておけ!」


と、二人を見下ろしながら毅然と言い放つメイド服の美女。

その姿は、まさに阿修羅のごとく!と思わず形容してしまうほどの凄みを感じさせるものでした。


「くそ~、覚えてろよ~」

 

明らかな敗北宣言の後、男の人は連れのデブの大男を引きずるようにその場から退散していきました。


「あ~、ついでに教えてやるが、うちの店の料理は全部冷凍食品で、レンジでチンして出すだけなんだよ!だからオムライスの中にゴキブリが入るなんてことあるわけねーんだ。残念だったな。今度から忘れないことだ!」


………あまり自慢げに語ることじゃないと思うのですが。



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