ジンメルのスコープ

西丘サキ

「は? なんで私がそんなことしなくちゃいけないの?」


 放課後、思わず出た声がひと気のない踊り場で予想外に響いて、自分でびっくりしてしまう。11月も終わりかけで寒くなってきたし、幽霊部員の部活の義務も無視してとっとと帰ろうと思っていたのに、なんでこんなやつの意味不明な頼み事を聞くはめになるんだ。

 「こんなやつ」、坂木泰斗は、おしゃれのつもりでいてただ単に手入れのしていない頭をこれでもかと下げる。


「そんなこと言わないで、頼むよ。こんなこと頼めるの大崎くらいしかいなくて」

「写真のモデルなんてやるわけないじゃん。しかも2人きりで。バカじゃないの」

「変なことなんてしないって。ホントに課題でポートレート撮るだけだから。風景の映り込みみたいな感じでもいいからさ」

「相田に頼めばいいでしょ、本業の人間に」


 私は2組の相田紫の名前を挙げた。相田は170cm以上の身長と細身の体型を活かして、すでにモデルの仕事を始めているようなやつだ。とはいえ、まだ駆け出しらしくて、SNSでカメラマンの募集をかけて撮ってもらっているらしい。それこそ写真を撮りたい人間とモデルをやりたい人間でちょうどよく取引成立じゃないかと思う。

 坂木は言葉を探すような、困ったような、そんな様子で少しうつむき加減に首を左右にゆらゆらと動かしながら、


「相田はちょっとジャンルが違うんだよ。僕が撮りたいのはもっと普通で、風景に溶けちゃうんじゃないかって人なんだよ」

「ふつーってさあ、頼み込んでる割にディスってない?」


 しかも風景に溶けるような人とか、それってつまりどこにでもいるありふれた人間ってことじゃない。そんなこと言われて誰が引き受けるか。

 私は目の前のやつから視線を外した。踊り場の小さな窓からは、弱々しくなった赤い光が差し込んできている。辺りも心なしか薄暗い。まともに取り合うんじゃなかった。あんまり2人きりの状態で長居したくないけど、ひと呼吸置かないと言えることも言えなくなりそうだ。

 坂木と私は小学校から一緒だった。男女が別グループに分かれる前の仲良しクラスで1年一緒だったし、別クラスだったけど持ち上がりでそのまま同じ中学に行った。似たような成績だったらしく、高校まで一緒。クラスは今年久しぶりに被ったけど、このまま大学まで一緒かもしれないと思うと少し憂鬱になる。同じような立ち位置なのかもしれないにしても、坂木と同じくくりにはされたくない。正直今だって、急にわざわざ教室へ呼び出しに来る無神経なところからちょっとイラついている。

 私はもう一度同じ言葉を繰り返した。


「相田に頼めばいいじゃん。確かにふつーっぽくはないけど、適任でしょ」

「相田はちょっと違うんだよ。普通の人というか、僕は大崎みたいな感じの人を撮りたいんだ」

 何こいつ。口説いてんの? 面食らって引いているうちに、坂木は話し続ける。

「小学校の時から知ってるから、人となりも知ってるし、いつも自分が撮っている雰囲気と合いそうだなって」


 まるでアーティストみたいな物言いに閉口する。どうせアマチュアなのに。こういう自分の世界を押し通そうとするやつと関わるとロクなことがない。もう私はこの話を断ることにした。


「何撮ってるとか知らないけどさ、坂木のことはこっちだってよく知ってるし、悪いやつだなんて思ってないよ。でも、さすがにモデルはやれないな。悪いけど他あたって」


 精一杯言葉を選んであげて言い切ると、私は坂木の反応を見ずにその場を離れた。坂木がショックでも何でも浸っているうちに戻ろう。はっきり断ったから、さすがに追いかけてこないだろうし。


 階段を下りて、教室に戻る途中で相田を見かけた。やっぱり相田だ。高い身長で遠くでも目立つ。そのくせ身体の大きさを感じさせない。それだけ細いということで、やっぱり見てしまうし、世界の多様性よりも不均衡を感じてしまう。


 小さい顔。切れ長の目に、小鼻は小さいけどそれほど高くない鼻。特に下唇が厚いぽってりした唇。モデル仲間から教えてもらったという、高校生がおいそれと行けない美容院で整えたらしい、校則ぎりぎりのダークブラウンのボブ。

 美人だと決して認めない人もいるだろうけどバランスは整っていて、余計な声は遮断しそうなはねっ返りの強さを感じられる眼差しを持った顔。薄いけれど華奢さのない均整の取れた胴体。細くまっすぐ伸びた脚。あの子はモデルやってるよと言われて納得しない人間は少ないだろう。そのくらい相田は頭の中にある「モデル」に当てはまる。

 別に仲良くもないから、ただ行き交って通り過ぎる。なんで相田が違くて、私ならいいんだろう。よくわからないけど、きっと坂木なりの考えなんだろう。それこそ、厨二病みたいな逆張りとか。いずれにしても断ったんだし、どうでもいいか。


 クラスの女子には「坂木が小学校の時の子たちと何かやろうとしていて、協力してくれって言われた」とかてきとーにごまかした。さすがに写真のモデルを頼まれたって言ったら、坂木は目も当てられないことになるだろうし、私にも変な噂が立ちそうだ。軽く話の調子を合わせて雑談して、さくっと帰る。変な用事が入ったから疲れた。

 取り返すなんてつもりじゃないけど、誰にも邪魔されないように直行で帰宅する。家でさっそく部屋着に着替えたら、気分が一気に落ち着いた。今日はもう、スマホの充電ケーブルが届く範囲から動きたくない。そのまま部屋でだらっとしていたら、坂木からメッセージが来た。坂木とは直接つながっていないから、入っているのも忘れていた小学校の同窓会グループ経由で辿ってきたらしい。うざい。


『突然ごめん。坂木です。今日は残念だったけど、気が変わったら連絡して。参考までに普段撮ってるやつ』


 メッセージと一緒に何枚か写真が添付してあった。無視しようと思ったのに、あの坂木がどんな写真を撮っているのか気になってしまった。魔がさすとか、気の迷いとかだ。好奇心と、下手なのを内心笑ってやろうというやな感情に負けて、トークルームを開く。


 どこかの街の風景や湖畔や花畑の写真。かっちりした雰囲気も、やわらかい雰囲気もある。ありふれているけど、既視感はなかった。うまいとも思わなかったけれど、素人目では下手にも見えない。違和感のある色味や落ち着かなくなるようなごちゃごちゃした感じ、どこを見ればいいのかぱっと見わからない戸惑いのようなものはなかった。少しだけど、本当に坂木の写真が気になって、少しだけ感心してしまう。

 ただ、みんながみんな撮られたいわけじゃないし、アートの一部になって舞い上がりたいわけじゃない。少なくとも私は興味がなかった。むしろ、自分もこんなふうに写真の一部になって、SNSやサークルなり写真教室で出回ることを想像すると、薄気味悪い気持ちがだらだらと広がってくる。


 ただ。


 坂木の写真だけを表示する。やっぱり、別に有名なものは撮っていない。雑居ビルと色づいたマンション。突き抜けていなくなるような青空にひとかけはまった、長く丸まった雲。静かな湖に映し出された紅葉の森。明るい陽射しの中で一面に広がる菜の花畑。どこかの歩道橋の上からの街並み。道路と街路樹の向こうに、きっちりと描かれた要素を包み、くすみながらも柔らかく優しい世界観。こういう写真を撮る人間は、坂木はどんな人物の写真を撮りたいんだろう。しかも相田みたいなモデルではなくて、私みたいな「普通っぽい」人間を使って。

 坂木の写真には別に相田みたいな子が写っていても問題ない気がする。それこそ、たくさん掲載されては流れるように消えていく、ネット上の数えきれない写真に納まるいかにもなモデルが写っていても何の違和感もない。

 私がその場にいて、私とカメラを持った坂木の間に何があって、それで何が出来上がるのだろう。その出来上がったものは、写真の形となって表れるのだろうか。私はモデルになることや坂木の頼み事に付き合うことよりむしろ、写真そのものや撮影という形式が引き出すものに惹かれている気がした。それが今、知りたい。

 私は坂木に返信することにした。

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