第3話『偽物』



 時間は12時過ぎ。

 真城晴輝ましろはるきは、とある駅の前にいた。

 原田はらだとの待ち合わせ場所だ。


 次の日の朝、やはりと思い返し、待ち合わせ場所を原田側の街にしてもらった。

 原田をあの街に連れて行くのはまずいと考えてのことである。


 しかし、驚いたこともあった。

 話を聞けば、真城と原田の住んでいる街は、思いの外近い場所にあるようだった。

 隣町といっていいのかもしれない。

 残念なことに真城は地理に疎く、これこれの近くでどうの、などと言われた程度で原田の家を把握することは出来なかったが、最寄駅が隣であることからも偶然にも二人の家が近いことが判明した。

 そんなこんながあり、原田も考えを改めたのか、待ち合わせ場所の変更に文句もなく、淡々と事が運ぶに至った。


 時間を確認する。

 待ち合わせの時間は12時だ。

 もう数分過ぎているわけだが、まぁ遅刻なんてよくあることだ。

 そのうち来るだろう。


…… ……


 おかしい。

 30分たった。

 流石に疲れてきた。


 これだけ遅れるなら連絡の一つでも入るべきではなかろうか?

 真城は携帯を確認するが、原田からの連絡は入っていない。

 おまけに、こちらからの連絡も通じない。


 寝坊だろうか?

 こんな事なら大まかな場所ではなく、原田の家の住所を聞いておくべきだった。

 昨日のバイトが思いのほか長引いてしまい、あまり睡眠時間を確保できなかった事もあり、……眠い。



 くそぅ……。

 1時間たった。

 携帯に原田からの連絡もない。

 待ち合わせの日時は間違っていない。

 忘れているのだろうか?



 イライラしてくる。

 もとはと言えば原田のストレスが原因だ。

 言い方は悪いかもしれないが、今回真城は原田の狂言に乗っかっているに過ぎない。

 原田に「それは全てお前のストレスが原因だ」と言ってしまえば終わりである。



 そこまで考えて、真城は思考をストップさせる。


 いや、落ち着け。

 待ち合わせで待たされたくらいで、思考が良くない方向に進んでしまった。


 今日は半年ぶりに友人と会うのではないか。

 楽しく行こうではないか、楽しく。


 ……ふぅ。

 頭の中を整理して、真城は一息つく。

 こんな状態で原田と会うわけにはいかない。

 平常心、平常心。



 すると、それを見計らったかのように後ろから声をかけられる。

 後ろを振り返ると、そこには原田が立っていた。

 いつの間に後ろにつかれたのか?

 ……まったく気が付かなかった。


「……どうしたんだ? お前が遅れるなんて珍しいな」


「悪いな。……少し準備をしていたんだ」


 む?

 何だろう。

 心なしか原田の低い声が返ってくる。

 雰囲気も変わったように感じる。

 高校時代はもう少し明るい奴だった気がする。

 しかし原田とて、日頃のストレスからくる窶れもあるだろう。

 言わずもがな現在、原田は問題を抱えているのだ。


「話したい事があるんだ。ついて来てくれ。」


 そう言うと原田は、真城の返事を待たずに歩き始める。


「お、おい。待てって!」


 原田は真城の制止も聞かず、どんどんと先へ歩いていく。

 如何せん真城はこの街に詳しくない。

 はぐれてしまえばお仕舞だ。


 いったい何処に向かっているのだろう?

 あの連絡から三日。

 厳密にいうなら二日。

 その間に何かあったのだろうか?




 もう10分は歩いただろ。

 待ち合わせた駅はもう見えない。

 道行く人の数も減っている。



「次はこっちだ」


 やっと原田に追いつくも、再び歩きだされてしまい、訳を聞くことが出来ない真城。


 今度は人気のない横の細道に入って行ってしまう。

 どうやら路地裏へとつながっているらしい。

 こんな所まで連れてきて、いったい何の話をすると言うのか。

 よほど他人には聞かれたくないらしい。



「お、おい。そろそろいいだろ」


 真城は原田の肩を掴んで制止させる。

 もう十分奥に来たはずだ。

 人の気配も無い。

 これ以上奥に行く必要はないだろう。


「まぁ……、そうだな」


 原田も納得したのだろう。

 足を止めて振り返る。



「ここまで来れば……、 




 殺してもバレない」




「……え?」


 思わず真城の思考が止まる。

 原田は今、何と言った……?


 殺す?

 誰をだ?


 こんな路地裏だ。

 人通りも無ければ、人の気配もしない。

 ここにいるのは原田と、……そして、真城だけ。


「ど、どうしたんだ? いったい……、何を言って」


 声が強張る。

 動揺を隠せない。


「何って、そりゃぁ……」


 原田が右手を前に伸ばし、人差し指を真城へと向ける。


「殺すんだよ。お前を」


 突如、原田の右手が黒く染まったように感じて視線を向ける。

 右手を包み込む黒いモヤ。

 それは次第に、右手の先から肘の辺りまでを完全に黒く染め上げる。

 手の原型が分からなくなる程の黒いモヤに覆われた腕を満足げに見つめる原田。


 その手はいったい何なのか?


 聞きたいことは色々ある。

 しかし、あの黒いモヤ。

 明らかに人間に出来ることではない。


 真城が思考を巡らせる中、原田の右腕を覆う黒いモヤは形を歪ませ、その姿を、鋭いナイフのような形状へと変化させる。


 あれはヤバい。

 真城の本能が警笛を鳴らす。


 逃げないと……!!


 真城は原田に背を向け、一目散に走り出す。

 逃げなければ、……出来るだけ遠くへと。


 ……しかし。



「死ね」


 原田がその言葉を囁くと同時、ナイフの形状になったモヤが無防備となった真城の背中へ向かって伸びる。

 ……そんなこともできるのか。


 急いで体を傾けるが間に合わない。


 ……ぐっ!!

 苦痛に顔をしかめる真城。

 直撃は避けたものの、完全にかわす事が出来ず、“それ”が左肩を掠めてしまう。

 元はモヤだったはずだが、肩から飛び散る鮮血が、直撃はマズイと告げている。



 原田は不敵な微笑を浮かべながらこちらを見ている。

 少なくとも、真城の知る原田はこんな顔をしない。


 ……ならば、答えはただ一つ。

 あの原田が別人という事になる。



「お前は、……誰だ」


 原田は一瞬不思議そうな顔をするが、再びモヤを集結させ、ナイフ状に変えながら真城へと告げる。


「何を言ってる? 原田だよ、お前の親友の」



 いや、違う。

 お前は原田じゃない。

 原田ではない何かだ。


 姿形は間違えない。

 真城の知る原田と瓜二つ。


 だが違う。

 そう思う何かがある。


 そこまで考えて一つの可能性に行きついた。



 “ドッペルゲンガー”


 本人とそっくりの存在。

 それこそが、目の前にいるこいつの正体か。


 だが……ならば、本物の原田は何処にいる?


 今日は元々、駅で原田と待ち合わせをしていた。

 しかし、原田は待ち合わせの時間に現れなかった。

 それどころか現れたのはあの偽物だ。


 原田から連絡があったあの日、原田は「殺されかけた」と言っていた。

 詳しくは聞かなかったが、もしかすると原田もこのような目にあったのではないだろう

 か?


 あの時は逃げられたと言ってはいたが、次もうまくいくとは限らない。


 視線を感じるとも言っていた。

 その視線が本当に、こいつのものであったのなら……。


 あんな力があるのだ。

 人を一人殺すくらい簡単なことだろう。



 ……嫌な予感がする。

 こいつには一つ、確実に聞いておかねばならないことがある。



「……本物の原田を何処へやった?」


 ……ピクッ。

 その言葉を聞いた原田の動きが止まり、驚いた表情に変わる。


 今日、原田は待ち合わせの時間に遅れてやって来た。

 しかも、やってきたのは本人ではなく偽物だ。

 それは本物の原田の身に、待ち合わせ時間に来れなくなるような何かがあったということになる。


「へぇー……。まさか、気付かれるとは思わなかった……」


 原田は怪しげな表情を浮かべる。

 嫌な予感が強くなる。


「原田にいったい何をしたんだ!! 答えろ!!」


「死んだよ。あいつなら」


「……っ!!」


 頭に血が上っていくのがわかる。

 アイツの言っていることは間違いないのだろう。

 何故、原田は殺されなければならなかったのかは分からない。

 いったい原田が何をしたというんだ。


 気付いた時にはもう遅い。

 真城は右手を握りしめ、原田に向かって駆け出していた。


「うおおおおおおおおおおおお」


 真城は容赦なく原田の顔面を狙うと、力いっぱいに拳を振り下ろす。


 が、その拳が当たることはない。

 あっさりとかわされてしまう。

 元々、喧嘩は得意な方ではないのだから仕方がない。

 そもそも真城自身、喧嘩なんてしたことがあっただろうか。


 その上カウンターを貰い、後方に吹っ飛ばされる真城。

 全く予想をしていなかったわけではない。

 とは言えカウンターに対してどう対処したらいいのか、なんて知らない。


 みぞおちに肘鉄を受けた為、その場でのた打ち回る。

 あまりの一撃に呼吸すらままならない。

 喧嘩、暴力といった事柄を避けてきた真城。

 挫折に次ぐ挫折から、馬鹿にされても、殴り掛かる気力も沸かずに、受け入れるだけの日々。

 元々、そういう事が嫌いな性格であった真城は、誰かを殴るなどしてこなかった真城は、幸運にも、誰かから殴られるような事もなかった。


 そんな真城が初めて知る苦痛、痛み。

 これはきっと、人を殴ろうとした罰なのかもしれない。

 誰かに害を成すのであれば、それを自身も受ける覚悟を持たねばなるまい。


 覚悟。

 そう、人を殴り、殴られる覚悟だ。


 ゼェ……。ハァ……。

 呼吸を整え、ふら付いた足取りで立ち上がる真城。


 そして、視線を原田へ向けようとして……気づいてしまう。



「……影が……ない?」


 普段、人間は人の足元なんて見ないだろう。

 それに、あることが当たり前なのだ。

 だからこそ気にしない。


 しかし、原田の足元に影はなかった。

 いや、厳密にいえば影は存在する。

 原田の纏っている服の影・ ・ ・だけが……。


 目の錯覚などではない。

 光の加減で影の濃さが変わることは分かっている。

 しかし、目に映る異様な光景。

 それはズボンと靴、あるいは靴下を繋いでいるはずの脚、袖から生えているはずの腕、襟元より先にあるはずの頭、その全ての影が紛失し、まるで衣服の影のみが宙を浮くように残っていた。


 ……そう、原田自身の影は完全に無くなっていたのである。



「なんだ。知らなかったのか?」


 再び驚いた顔をする。


「お前は俺を偽物か何かと勘違いしているようだが、それは違う」


 原田は神妙な顔になり語りだす。


「俺は原田の影。つまりは、俺も本当の原田なんだよ」


「何を言って……」


「お前の足元にも付いているそれだよ」


 原田は真城の影へと指さし、告げる。


「まあ俺が手を下さずとも、そのうちお前の影がお前を殺しに行くんだろうが……、せっかく表に出れたんだ。お前は俺の手で殺してやる」


 原田はそう呟くと体を黒いモヤが覆い、滑るような勢いで真城の懐へと突っ込んでくる。


「……!!」


 真城は反応する事が出来ず、原田に一瞬で距離を詰められると、胸ぐらを掴まれた勢いのまま、近くの壁へと打ち付けられた。


 ガハッ……。


 肺に溜まっていた空気を全て吐き出すほどの衝撃を受け、目を白黒させる真城。

 原田は真城の体を黒いモヤで拘束して身動きを封じると、余った左手でモヤを操り、ナイフの形状を作り出した。

 不敵な笑みを浮かべる原田。


 まずい……。

 このまま攻撃を受ければ、真城は只ではすまない。

 真城は頑張ってもがくものの、しかし黒いモヤを振りほどくことも出来ない。

 それどころか、驚く事に黒いモヤに触れることすら不可能だ。

 押さえつけられているのは確かだと言うのに、こちらから触れようにも雲を掴むようで一向に手ごたえが無い。

 原田の言う事が事実なら、影には実体が無いのだから触れないのも当然か。


 しかし向こうは触れるというのに、こちらは触れないというのは不公平極まりない。


「んじゃ、さよなら」


 原田が別れの言葉を告げる。


(ヤバッ。……死っ!!)



 原田が動き、真城は死を覚悟する。



 が、その刹那、原田と真城の間に割って入る者がいた。

 その者が、何処かで拾ったであろう鉄パイプを振り回し、原田の攻撃を叩き落としたのだ。


「……なんだ、お前?」


 原田がその男を睨む。


 男は、髪がボサボサで髭の剃り残しのある……、全体的に見てだらしのない男だった。

 年齢はざっと二十代後半くらいだろうか。

 夏だというのに茶色いロングコートを纏っているものの、流石に暑いのか、前は閉めていない。

 しかし中に見える白いワイシャツに所々、妙に皺が入っており、そのだらしなさに拍車を掛けている。


「まさかこんな所で、影人に出会うとは思わなかったよ」


 原田は、真城の拘束を解くと距離をとり、男は鉄パイプを構え直す。

 影人とは原田の事だろうか?

 分からない事がまた一つ増えた瞬間だ。

 嬉しくない。


 男は真城を横目で確認すると、真城に向けて告げる。


「ここは引き受けてやるよ。

 死にたくなけりゃ、とっとと失せな」



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