第6話(挿絵公開予定)

「ほら、タオル。軽く拭いてから上がって。脱衣所はそこのドアだから」

「はい。ありがとうございます」

「その荷物も預かっておくよ。シャワーの使い方はわかる?」

「はい。大丈夫です」

「じゃあ、ゆっくりしていいから……」


 司は美也孤の持っていたビニール袋を預かり、代わりにバスタオルをかぶせた。

 家に入って室内照明のもとで見ると、美也子は思ったよりひどい状態だったとわかる。顔はもちろんのこと、肩から胸にかけてまんべんなく雨に打たれた跡がある。はいていたスニーカーもこれでは浸水は免れられないだろう。

 美也孤が脱衣所に入ったのを確認して、司もリビングへ。荷物をソファに放り投げ、コンロのヤカンに火をつける。


「姉さんは帰ってきてないか」


 大学生の姉はまだバイトから帰ってきていないようだ。父と母は出張兼旅行中。

 司は内心ほっとした。年頃の女子を家に連れ込むだけでも面倒くさいのに、その子にケモミミがついているとなったらさらにややこしい。

 シャワーを浴びて、服が乾いたらさっさと帰ってもらいたい。


「でもあいつ、家ないって言ってたよな……」


 どうしたらいいものやら。

 二杯分のコーヒー豆をミルに入れ、ガリガリと砕いていく。

 正直、司としては家が無いというのも信憑性のない怪しいものだ。だが、先ほどのバケモノ犬のことといい、限りなく本物っぽいケモミミといい、状況証拠だけで昨日の彼女の言葉がウソではないようにも思えてくる。


「さすがにじっくり聞いてみるか」


 コーヒー豆を挽き終えた司は、ソファーに転がっていたテレビのリモコンに手を伸ばす。ちょうどニュース番組をやっていた。内容にはさほど興味はない。いつになればこの雨がやむか知りたかったのだが、都合よくお天気コーナーはやっていない。

 テレビを消し、スマホを取り出す。


「……あれ?」


 いつもスマホを入れているはずのポケットにスマホが見当たらない。

 犬に襲われたときに落としたか? いや、傘を拾い上げた時に道路を軽く見たが、落としていなかった。ではその前からなかったのか?

 そういえば、二尾の家でスマホを一回だけ取り出した。勉強前に机のわきに置いたことを思い出す。


「後で取りに行くか」


 面倒くさいがそうするしかあるまい。借りた傘も明日返すつもりだったが、スマホを取りに行くついでに返そう。


「――さーん」

「ん?」


 呼ばれた気がした。だが、雨の音にかき消されてよく聞こえない。加えて、リビングと脱衣所まではドア二つ隔てている。ここにいたままでは何を言っているかわからないだろう。

 司はリビングのドアに手をかけたところで止まった。


「まぁ、脱衣所のドアを開けなければ問題ないか」


 そっちに興味がないわけではないが、覗きは犯罪だ。万が一つに事故でもあったら最悪だが、リビングにいては会話もままならない。今もこうして呼ばれているが、何を言っているのか聞こえない。

 リビングのドアを開け、脱衣所の前に立つ。脱衣所のドアはスライド式なので少しずらせば中は見えるが、そこからは目をそらす。

 明後日のほうを向きながら、コンコンと二回ノックをする。


「あ、シャワーありがとうございます。温まりました」

「そうか。それは良かった」

「それで、私の持っていた荷物なんですけど――」


 ガラッ――。

 脱衣所の扉が開いた。

 司は手をかけていない。何なら脱衣所から一歩下がって壁に背を付けている。

 ドアの隙間から風呂場の温まった湯気が噴き出した。

 中から出てきたのは白いタオルを体に巻いた美也孤。

 タオルで隠せていない湿った肌、ほのかに赤みがかっている肩、しっとりと肌に張り付いた髪。吹きかけだったのか、濡れた髪からはぽたぽたと水を滴らせている。

 ふわっと広がる温かい香りが目の前の光景が夢じゃないと教えてくれる。


「ぁ……」


 美也孤の口から微かに声が漏れた。

 脱衣所の前に司がいると考えていなかったのか、美也孤は司を見て固まってしまう。

 そして、首から上が一気に赤くなった。


「ごめんすぐ閉め――」

「あ、いえ!」


 司は目を閉じて引き戸を閉めようとすると、その手を美也孤に捕まれる。


「つ、司さんが見たいとおっしゃるのならば! は、恥ずかしいですけれども……」


 震える口から出た言葉を一瞬理解できなかった。

 そして、美也孤も自分が何を言っているのか分かっていなかった。

 「何を私は言っているのですか⁉」みたいな見られても、それこそこちらが聞きたい。

 司は混乱する頭をどうにか動かして、


「え、いやそれは」


 ――ピンポーン。


 ダメだろう、と言う前にチャイムが鳴った。

 心臓が喉から飛び出るかと思うほど暴れだす。


「先輩。忘れ物届けに着ました」


(二尾⁉ なんで、このタイミングで――あ、スマホ⁉)


 疑問から答えが出るのは一瞬だった。

 司はどこかでスマホを忘れた。それはひなたの家で、彼女の家は司の家と一分と離れていない。そして、しんせつな彼女は司の家まで届けに来た。


(ありがたい。だけどタイミングが悪い!)


「司さん、私が持っていたビニール袋知りませんか? そこに着替えが入っているのですが」

「え、まじか。リビングにあるよ! すぐとって行って」

『先輩? いるんですか? 開けてください。スマホ持ってきました』

「ありがとう! ちょっと待ってね!」

「あ、ごめんなさい。まだ体拭き切れてなくて、床が濡れちゃいます……」

「そんなのいいから! そのまま奥の部屋で隠れてて!」

『誰かいるんですか……?』

「待ってね! 二尾、ちょっと待ってね!」

「なんで私、隠れるんですか?」

「いいから! 緊急事態!」

「ひゃ⁉ ちょっと司さん⁉ 押さないでください⁉」


 玄関からの二尾の声と目の前の美也孤と交互に会話するが、わけがわからなくなる。とりあえず、ひなたに見つかっては不味いと、美也孤をリビングへ押しやろうと肩をつかむ。

 すると、ずるっと美也孤の体が大きく傾いた。拭き切れていない水滴が美也子の足を滑らせたのだ。

 美也孤は頭から床に落ちていく。彼女の手を握っていた司もそれに引っ張られ、前のめりに倒れる。美也孤のもう片方腕は体を隠すバスタオルを握っている。

 司はとっさに腕を伸ばし、美也子の後ろ頭を守る。

 そして、大きな音が家中に響く。当然、それは玄関前のひなたにも届いた。


「先輩⁉ 大丈夫ですか? 開けますよ――ッ!」


 司が待ての言葉をいう前に扉が開いた。

 ひときわ大きくなる雨の音。

 畳んだ折り畳み傘を手に、勢いよくドアを開いたひなた。

 彼女の目に飛び込んできたのはよく知った先輩と、それに押し倒されるバスタオル一枚の女の子。


「せ、先輩……」


 違う。誤解だ。と言おうにもそれだけじゃ何も伝わらない。

 どうしてこうなった。

 司の混乱する頭では自問しながら後悔することしかできなかった。

 ひなたも目の前の光景に一瞬目を見開いた。しかし、すぐにそれだけで人を殺せそうなほど冷たい目をして――。


「先輩の……ケダモノ」

「…………誤解です」


 ひなたの言葉が胸に突き刺さる。司はすぐにでも言い訳をしたいが、下唇を噛みながら短く言うしかなかった。

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