第4話 男は何者であるか


「別の世界、っていうのは何かの比喩ですか?」

「いいえ。本当に、別の世界から来たと思うんです。ただ……確証が持てない、というか」


 もじもじとする男を見ながら、少女は友人の一人がしていた与太話よたばなしを思い出していた。どこぞの国の軍部がわざわざ異世界から人間を引っ張ってきて兵員として利用している、という荒唐無稽こうとうむけいにもほどがある話だ。


 異世界の存在は周知の事実である。しかし、あくまで観測されているだけのはずだった。物質の転送はまだ研究段階であり、それも”こちら”から”あちら”への一方的な転送で、危険を伴う生命体の行き来には十年単位の研究が必要であるとされていた。人間の転送に十分な安全性の確立に至るにはどれだけかかるかもわからない。だからこそ、少女は友人の話をでまかせだと判断したのだ。


 男の頭がおかしい可能性は十分にある。しかし、彼の言うように別の世界から来た、すなわち異世界から転送されてきたという説が間違っていると断言することもできない。

 思考を巡らせる中で、少女の頭に一瞬男が意図的にうそを吐いている可能性がよぎった。しかし、明らかにコミュニケーション能力に問題のある彼が器用に嘘を吐けるとは思えずにすぐさま切り捨てられた。少なからず人を見てきた少女に見抜けないほど高度な嘘を言えるはずがない。少女はそう考えた。



 これは、想像していたよりも厄介やっかいな人間を拾ってしまったかもしれない。薄汚れた男を見て少女は思った。事の重大さを知らない男は必死で次の言葉を紡ごうとしており、少女が真剣に考えている様子など目にも入っていないようだった。

 このままではらちが明かないと少女は男に尋ねる。


「サンドウィッチの名前を聞いてきたのは、ここが別の世界か確かめようとしたからですか?」


 ぱっと目線を上げた男の顔には、その話があった、と書かれている。少なくとも少女にはそう見えた。


「あっ、はい。その……そう、そうです」

「なるほど。固有名詞に違いがあれば別の世界だと確信が持てますからね」

「そうなんです。でも、私はあれをサンドウィッチだと思っていて、この世界でもあれはサンドウィッチで……」


 ふむふむ、と少女はうなずいた。そして、彼女の頭に一つのアイデアが浮かんだ。


「オニイサンの認識では、『サンドウィッチ』ってどういう意味ですか?」


 男は少女の言葉の意図を探り、言葉そのものの意味を尋ねているのだと察したらしかった。いつだかに聞いた話を思い出して男は口を開いた。


「えっと、確か……そういう名前の貴族がいて、その人が語源だったと思いますけれど……」

「『サンドウィッチ』さんがいたということですか?」

「あー、いや……何か、違うような気がします」

「名前が少し違うということですか?」

「そうではなくて、『サンドウィッチ』という名前ではなかったような……でも、そのままの名前だったと思うんですが……」


 少し混乱している様子の男を傍目に、少女は一つの仮説を立てた。それを証明するべく少女は男に話しかける。


「『サンドウィッチ』というのは、ククメナ語で『挟むもの』を意味します。元はククメナのパンの一種を指す言葉でしたが、そのパンがもっぱらサンドウィッチに使われることから『サンドウィッチ』という言葉として定着したそうです」

「ククメナ?」

「ククメナは主要国と呼ばれる大国の一つです。公用語はククメナ語で、第二外国語としてそこそこ人気のある言語ですね」

「あ……そうなんですか」


 男は何か言いたげである。むしろ先程までの話の内容を忘れるほどに低能であってもらっては困ると思いながら、少女は男の言いたい内容を伝えるために話を続けた。


「つまり、私とあなたでは『サンドウィッチ』という言葉に対しての認識が異なる。さらに、あなたの言うサンドウィッチは……『サンドウィッチ』ではないのではありませんか?」


 男が考え込むように下を向いた。口をわずかに開き、言葉を探すように少し動かすと、何かに気付いた様子で再び少女の方を見た。


「……そう、かもしれません。確かに、私の認識しているサンドウィッチは、『サンドウィッチ』という言葉ではなかったはずです」

「でも、あなたの知るサンドウィッチを表す言葉は思い出すことが出来ない……違いますか?」

「違いません…………名前や出身地を表す言葉を言葉として思い出せないように、サンドウィッチも、私の母語で表現することが出来なくなっています」


 男の目が不安そうに揺れた。当然だろう。生まれてからずっと当たり前に使ってきた母語が、突然に頭から零れ落ちてしまったのである。迷子になった子供が親の顔を忘れたようなものだ。アイデンティティーの崩壊をも招きかねない事態、不安にならないほうがおかしいくらいだろう。


 暗い表情を浮かべる男には同情を誘う何かがあった。被虐的と言おうか。保護欲をき立てるような、同時に嗜虐心しぎゃくしんるような雰囲気が彼にはあった。

 少女は男に同情した。まだ二十年も生きていない少女が察するには余りある状況下に置かれているのだ。それもおそらく、自身の行動の原因としてではなく、どうしようもない不運によってもたらされただろう状況に。




 男が口を閉ざしてからしばらく沈黙が続いた。晴れ晴れとした屋外の様相とは対照的に、息が詰まるほど重々しい沈黙だった。

 男はうつむいていて少女から表情をうかがい知ることは出来なかった。男が思いつめて首の垂れる角度を増していくにつれて、少女もまたうつむきがちになっていった。ちらりと少女が目だけで男を見る。男のつむじが見えた。伸びた前髪が視線を遮っていた。

 硬直状態が何分か続いた後、先に口を開いたのはやはり少女だった。


「別の世界から来た、という話ですけれど」


 男は少し顔を上げた。おそらく男の視界には少女が入っているだろう。しかし、少女側から男の顔が見えるほどには上げないままだった。

 それでも少女は男が話を聞いていると判断して話を続けた。


「私たちは異世界の存在を確認しています。ただし、物質を転送したなどということは報道されていません。ましてや人の行き来なんて……せいぜい信用できない噂話うわさばなしといった程度です」

「…………でも、私は……ここにいるじゃありませんか」


 男がかすれた声でつぶやいた。消え入りそうなそれを拾い上げて少女は会話をつなげる。


「ええ。私も人から聞いた話になるんですが……どこかの国が異世界から人間を連れてきて兵員にしている、と」

「兵員?」


 男の視線が少女の顔をとらえた。少女はやや下の方を見ていたために目が合わなかった。そのことに少しだけ安堵あんどしていたのも束の間、視線に気付いた少女が男を見つめ返し、男は思わず顔をそらした。

 男が会話できる状態になったと思った少女は、男の疑問に答えながら自分の考えを話す。


「世界では戦争が広まりつつあります。この国に住んでいるとあまり実感できませんが、徴兵制度が復活した国もあるくらいです。戦争によって急速に技術が発展しているとも聞きますし、あるいは……」

「……この世界に連れてこられた人間がいるかもしれない、と」

「はい。もしそうだとすれば、あなたもその一人だという可能性は否定できません。母語が置き換えられているのも、転送後に何らかの施術をしたのかもしれませんし……」


 ああ、と少女は思い出して言った。


「まだ聞いていませんでしたが、どういう経緯でここに来たんですか? 何日前に、どこに転送されたのかは覚えていますか?」

「それは……」


 男は記憶を探るように目で宙をなぞっていくが、次の言葉はなかなか出ない。少し待ってみるが、男が思い出したようなそぶりを見せることはなかった。


「思い出せないようなら、直近の記憶は何ですか? ここに辿たどり着いた記憶はありますか?」

「……あります…………森の中を歩いていて、白い塀が見えて……どうしてかすごく体が重くて、苦しくて……倒れこんだような……」

「それ以前の記憶はありますか?」

「……ない、ですね」


 「うーん?」と首をかしげて少女は男を見た。男の故郷の文化は知らないが、髪やひげを中途半端に伸ばしたままにするものだろうか。そうでなくとも、髪や服の汚れを見るに、最低でも三日程度はさまよっていたように見える。


「では、ここに来る前、元の世界での最後の記憶は何ですか?」

「それは……通勤途中でした。確か、電車に乗っていて……」


 男は自分の服装を確認した。男は薄汚れたワイシャツに濃灰色のスラックスを穿いていた。


「ネクタイとジャケットが無い……手荷物も消えています」

「記憶が無くなっているんですね。原因が何かわからない以上どうしようもありませんが…………」



 少女は一転、ぱっと表情を明るくして男に言った。


「ま、悩んだって仕方ないですよ。とりあえず、いつまでもそんな恰好かっこうじゃあれですし、シャワー浴びてきてください」


 少女はソファーから立ち上がると男の側に寄り、「立てますか」と言いながら男が立ち上がる補助をした。ゆっくりと立った男は少女の想定よりもしっかりとした足取りで歩いた。

 念の為にと他人にしては近い距離感を保ちながら少女はドアを開けて男を案内する。


「隣の部屋が客人用の寝室になっています。バスルームもあるのでそちらに移りましょう。着替えは……まあ、何か探しておきます」



「……あの」と、男が少女に声を掛けた。

「何か気になることでもありましたか?」と一歩後ろを歩く男を振り返って少女が愛想よく首をかしげると、絞り出すような声で男が言った。

「あなたの、名前は……」

「ああ、確かに。尋ねておきながら自己紹介を忘れていました」


 少女は男に向き合って、自信ありげな笑みを浮かべて言う。


「私の名前は、フローミラ・リタットロ。幅広く美術品を取り扱う美術商です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る