第20話 女敵(1)真昼の立ち回り

「待て!」

 旅装の武士と武家の女の格好の若い男女を、武士3人が取り囲んだ。そして、刀を抜く。

「うわああ!」

 ここは江戸の街のど真ん中、人通りも多い。そばにいた町人は、驚いて距離を取った。

 すぐに、彼らを取り囲んで人垣ができる。

「飯田!貴様を斬る!」

「末次様のなさりよう、非道でございます!」

「どうか、見逃して下さい、お願いします!」

「ならん!#女敵__めがたき__#である!」

 追手の男達は言い放ち、追われていた方の男は、女をかばって睨み合う。

 女敵。人妻を連れて出奔した男の事で、夫はこれを追い、敵として斬ってもいい事になっている。これが女敵だ。

 勝ちを確信したような追手らだったが、その飛びかかろうとした姿勢が揺らいだ。

 足に石つぶてが投げつけられ、小指の骨が折れていたのだ。そのせいで、踏み込めないでいた。

 しかも折悪しく風で飛んで来た大きな傘が視界を遮って、次に気付いた時には、2人の姿は消えていた。

「くっ!どこに逃げやがった!」

 そう言って、足を引きずりながら、仲間と去って行った。

 それを見送って、八雲は背後の2人に笑いかけた。

「行きましたよ」

 若い2人は安堵の息をついた。


 男は飯田正太郎、女は倉品沙織といい、結婚の約束を交わした仲だった。

 ところが沙織の父の上司である末次甚右衛門が沙織の美貌に目を付け、娘ほども年の違う沙織を強引に妾にしようとしたのだ。それで2人は脱藩し、江戸へと逃げて来たのだった。

 ねこまんまで久しぶりという定食をしっかりと食べた2人は、心労が重なっているようだが、取り敢えずはほっとしたらしかった。

「しかし、これからどうするんです?」

 たまたま来ていた大家は、心配そうに2人を見て訊いた。

「逃げ続けるにも金子がかかるし、疲れも溜まっているようだし」

 疾風もそう言い、狭霧は疲労回復の効能を持つ薬草茶を淹れて出した。

「その末次とかいうやつ、腹が立つわ。何でこっちが逃げ回らなくちゃいけないのよ」

 八雲が文句を言うが、世の中、そういう事は珍しくもない。

 飯田と沙織は、苦笑しながら目を見交わした。

 何か考えていた大家は、そこで大きく頷いた。

「うちの長屋にいらっしゃいませんか。1部屋空きがあります。追手も、江戸を離れたと思うんじゃないですか」

 そう上手く行くだろうかと、各々考えてみたが、

「今は疲れがたまっているようです。しばらくの間だけでも、体を休めて行かれたらどうですか?」

と大家が勧め、飯田と沙織もその気になった。

「では、お言葉に甘えて」

「ええ。お隣は敵討ちのお武家様ですよ」

 ニコニコする大家に、

「いや、中平様は討つ方だろ」

と疾風がぼそりと言った。


 飯田と沙織を見失った3人は、しばらく辺りをうろついていたが、見付からず、宿屋に戻って来た。

「どこに行ったんだ」

「北の方かな。あの道を先へ行けば、平泉の方へ行く道になるだろう」

「うむ。今日は傘に邪魔をされたが、次はこうはいかん」

 それで、気分直しだと酒を持って来させた。

「しかし、末次様も御無体な事をする」

 中の1人、末次の息子がトイレに立つと、しんみりと1人が肩を落とした。

 女敵と言えど、この末次のやり様に賛同している者ばかりではない。郷の者も、末次が権力と金を握っているから声高に言えないだけで、飯田と沙織に同情する者は多い。

 末次はこうして息子と配下の者に2人を追って始末するようにと命じたが、息子はともかく、残る2人は命令で仕方なくというだけで、気は進まなかった。

 まあ、武家社会ではこういう話も珍しい事ではないので、2人は運が悪かったと思うばかりだ。

「適当なところで、見失ったと戻ろう」

 そう言い合ったところで末次の息子が戻って来て、殊更に楽し気に声を上げ、酒を飲んだのだった。


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