03

 初恋にして、もう縁が断絶したと思っていた幼馴染。


 未だ彼女から情をもたれていたことに驚き、そして胸を高揚させながら、その日はなにも手づかずに終わった。


 寸前に行われたギルドの追放劇。


 そんなことも忘れるほどに、ただボーッとしていた。


 もしヴァルキュリヤに引きこもらなければ、あったかもしれない今。誰もが憧れるような可愛い幼馴染と、恋人として寄り添えた可能性。


 決してそれは独りよがりではなく、若菜の口からももたらされた、あったかもしれない幻想だ。


 学校ではきっと、多くの友人ができたかもしれない。


 若菜に相応しい男として、勉強だって頑張っていたはずだ。


 隣に並んで恥ずかしくないくらいには、おしゃれして、清潔感を出し、そんな自分をカッコイイと褒めてくれたかもしれない。


 そうやって手に入ったかもしれない未来を犠牲に、自分はヴァルキュリヤに捧げてきた。


 思ってしまったのだ。


 人生失敗した。


 村中若菜の隣に寄り添える人生を与えられながら、それを自ら放棄してしまった愚かさ。


 歩道橋ではきっと、俺が本当に死んでしまうのでは、と若菜の目に映ったのかもしれない。だから普段なら無視するところを、気にかけ話を聞き出し、今ならまだ人生をやり直せると諭してくれた。最後には死んだら泣くから死ぬなよ、なんて情までかけてくれた。


 ヴァルキュリヤとは縁を切ろう。


 人生をやり直し真面目に勉強をしよう。


 ……と、ハッキリと意識を切り替えられるほどの意思の強さはなかったようだ。


 勉強机に向かうものの、集中力はもたず、少しだけとヴァルキュリヤの情報収集を未練がましく怠らない。ちょっとのつもりが、気づけば何時間も経っている始末。


 ヴァルキュリヤにログインこそしないものの、時間だけは無為に流れていった。


 そうやって、本当に少しずつ、少しずつ勉強時間を伸ばしながら、一ヶ月ほど経っただろうか。


 朝のホームルーム前、がやがやと教室が賑わいきる前のことだ。


 前の席の佐藤。一度として彼より先に登校したことはなく、今日も変わらず佐藤が既に席へとついていた。


 席こそこうして近いが、彼とは必要最低限しか言葉を交わしたことはない。


 入学以来、佐藤は常に学年首位。噂では私事の時間を全て勉強に費やしているとのこと。俺の真逆をいく人間であり、根っこからして在り入れないのだ。というわけではない。


 なにせ佐藤の交友関係はスクールカーストの天下人から、俺の近縁種までと幅広い。来る者拒まずの博愛主義なのかもしれない。そんな佐藤に卑屈になっている俺が、会話を必要最低限に留めているだけ。


 そうして今日もまた、そんな佐藤の周りに二人ほど集まっている。揃って俺の近縁種だ。


「なんだ渡辺。今日はやけに機嫌がよさそうだな」


「これを機嫌のよさそうの一言で括るとか、佐藤はほんと聖人だな。渡辺、どうして今日はそんなキモいんだ?」


「ふっふっふ。なにせ今日は、ついに待ちに待った日」


 なんてやり取りを始めた三人。田中のキモい発言など聞こえぬとばかりの渡辺は、確かに声からして機嫌がよさそうだ。


「魂の嫁のルートが追加された、ファンディスクの発売日だ。今から放課後が待ち遠しくて待ち遠しくて仕方ない」


「ファンディスク……?」


「あー、文章ポチポチクリックゲーの話な。はいはい、解散、終了」


 疑問符を掲げる佐藤を横に、つまらん話を終わらすかのように田中は切り捨てた。


「くっ……! なにが文章ポチポチクリックゲーだ。それなら今貴様がやっているヴァルキュリヤも、マウスポチポチクリックゲーではないか」


 ヴァルキュリヤの名が上がり、ドキリとした。


 もし、追放騒ぎなんてなければ、つい話かけてしまったかもしれない。まさか田中もヴァルキュリヤプレイヤーだったなんて。


「ふっ、確かにそうだが一緒にするな。なぜこの俺様がわざわざ、マウスポチポチクリックゲーなんぞに興じていると思ってる。俺様の遊び方は既に、奴らとは一線を画してるんだ」


「また貴様は無辜の民を陥れているのか」


「ほんとカスだな、田中は」


 誇るような田中とは対象的に、渡辺と佐藤は呆れている。


 ヴァルキュリヤの一線を画した遊び?


 無辜の民を陥れている?


 佐藤にカスだと言わしめた田中は、一体ヴァルキュリヤでどんな遊び方をしているのか。


 俺はそのとき耳を傾けるのを止められずにいた。


「聞いてくれよ。この前さ、ヴァルキュリヤの大手ギルドを一つ陥落させたんが、そんときの話が傑作ったらありゃしない。ネット無知な初心者として潜り込んでよ。いつものように女匂わせ、囲わせ貢がせてたんだが、それをギルマスに咎められるわけだ。俺は殊勝な態度で『ごめんなさい』『初めてのことばかりでわからないことだらけで』って言うわけだが、当然やめるわけがない。囲いにギルマスの注意を大袈裟に吹いたら、我こそは姫を守る剣とならん、とばかりに熱り立ったんだ。そっからの動きが早いのなんのって。囲いたちがギルメン全員束ね、ギルマス一人残してギルド脱退。ここからが爆笑ポイントよ。ギルマス呼び出して『おまえをギルドから追放する』だぜ。ギルドから抜けておいて、なーにがおまえを追放するだ。しかもそのギルドを明け渡せとか、おまえら俺を笑い殺す気かよ。ギルマスは当然、ギルドを明け渡すことなくログアウト。『その後、誰も彼の姿を見ることはなかった』ハッピーエンド、完、ってな。たった一ヶ月でこれとか、己の才能と手腕が恐ろしいな」


 ギャハハハハと笑う田中に、ドン引きの音が二人から漏れ出す。


 どこかで聞いたことがあるその話。


 見に覚えがありすぎて、鈍器で殴られたかのような衝撃が走った。


 昏睡とまではいかないが、手足が動かなくなるほどの金縛りがこの身を襲う。


「ま、うるせえ奴がいなくなったら後は俺の天下だ。一通り囲いから貢がせ絞り尽くした後は、待っているのはお楽しみ。囲いを対立させ、煽り争わせる。それを見て叫ぶんだ。『止めて、自分のために争わないで!』ってな。裏では草生やしながら大爆笑よ。それを一通り楽しんだら、他のギルドに相談女の形で、ギルマスが追放された顛末を語るわけよ。人望溢れたギルマスだっただけに、そんな身勝手な理由で追放した囲い共を許すわけがない。囲い共の名は拡散され、今ではどこのギルドやパーティーにも入れて貰えないってわけだ。そして『自分のせいでこんなことに……もうネットゲームなんてやらない』なんて悲劇のヒロインぶりながら、貢物と一緒にヴァルキュリヤからおさらばよ。アカウントは当然、RMTで俺様のお小遣いとなるわけだ」


「RMT?」


「リアルマネートレードの略だ。ネットゲームのアカウントやアイテムを、現金化する行為だ。罰せられる犯罪でこそないが。規約違反だから褒められた行為ではないな。むしろ叩かれるべき行為だ」


 佐藤の疑問に渡辺がすかさず答える。


「ちなみに今回の稼ぎは三十万だ。いやー、マジで良い稼ぎになったわ」


「三十万!?」


 あの佐藤も、その金額に驚きをこらえきれず叫んでいた。


「流石最大手のネトゲってところだな。何十人もがドブに捨ててきた、何百何千ものその時間。それら全てを絞りに絞った、珠玉の旨味汁だ。たった二ヶ月でこれだとか、しばらくはヴァルキュリヤにどっぷりかな」


「……おいおい、そんな簡単にいくもんなのか」


「普通、いかんだろうな。女キャラや女を名乗る奴は、まずネカマ扱い前提のはずだ」


 渡辺の言うことは正しい。


 最初から中身が女なんていうのは考えていない。ヴァルキュリヤはキャラを飾り、クリエイトできるアイテムが豊富である。むしろそれで課金を促すくらいだ。


 プレイヤーのほとんどが女キャラであり、俺のように男キャラを使うのは二割といったところ。中身が女であるなんて、初めから誰も考えていない。


 あまりなも初めこそネカマですらなく、ただ丁寧な言葉を扱う女キャラとして認識していた。それがある日から、あまりなの中身は女だと皆が騒ぎ出すようになったのだ。


 なぜ中身が女だと信じ込んだのか。


「ま、この道一筋四年ってな。俺のキャラには女が宿る。まさに匠の技ってやつよ」


 下品にギャハハハと笑いながら、田中は腕をポンポンと叩いている。


 どうやら田中が芸術的なまでに、ネカマとして天才すぎただけのようだ。その姿はまさに天災の擬人化である。


「このカス、その内刺されるんじゃねぇか」


「むしろ刺されるべきだな」


「下半身直結野郎に、そんな度胸なんてありやしねーよ。なにせあいつら脳みそ空っぽだからよ。親が入院していて、爺さんは家で寝たきり。その介護の傍ら学校へ行き、バイトをして、兄弟たちの飯や弁当を作ってる。そんな苦労人設定で通したらよ、あいつら全部信じやがって、ますます貢ぎにかかってくるんだ。バーカ、そんな奴がネトゲやってるかっつーの! あー、また世界ランクが上がっちまったよ」

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