ファントムシップ 〜アレータの竜騎士〜

中村仁人

第1話「海の武人と空の武人」

 ここではない別の世界——


 そこはモンスターたちの領域。

 人はモンスターの脅威に晒されながら暮らしていた。

 加えて、夜になれば死者たちが生者の血肉を求めて彷徨う。

 モンスターに対抗する術を持たない人々は住処を奪われていった。


 陸を自由に往来できなくなった人類。

 彼らは海を往くしかなかった。



 ***



 広いセルーリアス海に浮かぶイスルード島。

 かつてそこには海の覇者と恐れられたリーベル王国があった。

 いまはもうない。


 この強大な海洋王国は内なる敵に滅ぼされた。

 革命だ。


 その後、議会派と呼ばれた一部の有力貴族たちがリーベル共和国の建国を宣言。

 表向きは腐敗しきった王政をリーベル人自身の手で正したように見える。


 だが革命は彼らの力だけで成し得たのではない。

 外国が彼らを支援していた。


 彼らに革命を起こすよう促した外国。

 大洋セルーリアス海の西の果て——

 リューレシア大陸東側の支配者、ブレシア帝国だ。


 帝国は強力な騎兵を有する陸の覇者だったが、海軍は脆弱。

 リーベル王国に海戦を挑めば、敗北は必至だ。

 ゆえに海戦は避け、謀略で滅ぼす作戦をとった。

 議会派はその謀略に利用されたのだ。


 裏切らせておいて何だが、帝国は甘言に乗って国を売るような輩を信用しない。

 連中とイスルード島を共同経営する気など毛頭なかった。

 時を置かず、共和国も滅ぼした。


 全島に帝国旗が翻る——


 各国は一斉に非難の使者を帝都へ送り、同時に艦隊を派遣する用意を急いだ。

 傀儡の共和国もまだ認めていないのに、イスルード州など断じて認められるはずがない。


 いまや竜の時代。

 アレータ海海戦以後、各国も竜騎士団に力を入れている。

 こんなときこそ、艦隊より竜の機動性が活きるのではと思うのだが、そうはいかなかった。


 竜は本来、館の様に大きな生物だ。

 そんな巨大なものを乗せたら昔の戦艦でも沈んでしまう。

 現状、船に乗せて運べるのは小型種だけなのだ。


 イスルード島に竜が生息できるような山はない。

 また王国も共和国も、魔法に拘って竜騎士団を持とうともしていなかった。


 島から竜が飛んでくることはない——

 各国は安心して艦隊を派遣しようとしていた。


 だが帝国はそれを読んでいた。

 リーベル攻略作戦は島に旗を立て、帝国領だと言い張って終わりではない。


 州政府の統治を妨害しに集まる各国艦隊と、遠からず、そして必ず立ち上がってくるリーベルの残党軍。

 帝国にはこの両者を黙らせる手段があった。


 船で運べる軍艦の天敵。

 海軍小竜隊だ。


 各国使者が宮殿で皮肉を述べていた頃、帝都の港では竜母艦を中心とする艦隊が、島へ向けて出港する日を迎えていた。



 ***



 帝国第三艦隊提督ロイエスは、これから出航する竜母艦を背に、顎鬚をいじって考え込んでいた。


 彼は第二艦隊提督だったのだが、つい先日その任を解かれた。

 そのことは良い。

 ……いや、良くはないのだが……


 同時に、新設第三艦隊の提督に任命された。

 考え事はそのことだった。


 ——これは体のいい島流しなのではないか?


 そこまで憎まれるほどの悪事を働いただろうかと、心当たりを探っていたのだ。


 第三艦隊の母港はウェンドアだ。

 その提督に着任するため、自身もウェンドアに移り住まなければならない。


 どう考えても島流しではないか。

 然も、第二艦隊で育ててきた部下たちも道連れに……


 ——わしはともかく、どうしてあいつらまで……


 不服だ。

 気に入らない。

 だが命令は正式なものだ。

 島に配備する竜母艦に同乗し、直ちに着任せよと言われたら、黙って行くしかない。


 一方で、巻き込んでしまった部下たちには悪いが、ウェンドアに行くのが楽しみでもあった。


 門外不出だったリーベルの魔法艦に乗れるのだ。

 敵として外側からしか見ることができなかったが、内部はどうなっているのか?


 一船乗りとして、好奇心を抑えられずにいた。



 ***



 提督といえば高級軍人だ。

 下位の者たちより軍服が立派だ。

 そのなりで、難しい顔をしながら髭いじりなどしていれば嫌でも目立つ。

 一人の老人が近付いてきた。


「あまり同じところばかりいじっていると、そこだけ髭が薄くなってしまうぞ?」


 不意に話しかけられ、考え事が止まった。

 声の主を見ると、頭一つ分小柄な老人がロイエスを見上げていた。


「よう、ロイエス」


 気さくな老人だ。


「おう、じいさん!」


 不機嫌丸出しだった鬼提督の表情が綻んだ。


 老人の名はレッシバル。

 古い知り合いだ。


 二人は海軍士官学校で出会った。

 ロイエスは学生、老人はそのときの教官。

 じいさん呼ばわりしているが、提督にとって恩師と呼ぶべき相手だ。


 恩師に向かってじいさん呼ばわりは大変失礼だが、今も昔も先生と呼んだことはない。

 これからも呼ぶことはないだろう。


 昔は教官をじじい呼ばわりする荒れた学生だった。

「じじい」が「じいさん」になったのだから、これでも随分丸くなったと言える。


 どれくらい荒れていたかを数字で表すと、以下のようになる。

 五段階評価で礼儀作法は「一」

 それ以外はすべて「五」

 もし市街地での喧嘩という科目があったら「一〇」

 ……そういう学生だった。


 退学の危機も一度や二度ではない。

 その度に、学校と負傷者たちに頭を下げて許しを乞うてくれたのがレッシバル教官だった。

 ロイエスを信じていたからだ。

 大怪我にばかり目がいってしまうが、悪漢から困っている人を助けようとした結果だ。


 そこまで信じ、庇ったのは悪ガキ可愛さだけではない。

 他の学生にはない、将才を見出していたからだ。


 誰に対しても分け隔てなく、困っている人がいれば己の損を顧みずに助ける。

 そういう人物の周囲に人は集まってくる。


 ロイエスがまさにそうだった。

 いつも多種多様な友人たちに囲まれている。

 こういう奴がやがて将になるのだと見込んでいた。


 時は流れ……

 悪ガキは第二艦隊提督になり、南方ネイギアス海より北上してくる海賊共から海を守り続けてきた。


 それが此度の急な左遷……

 これまでのロイエスの頑張りを否定するかの如き仕打ちだ。

 さぞ落ちこんでいるだろうと、旅立つ教え子を励ましにやってきたのだった。


 だが、いらぬ世話だったようだ。

 髭は立派になったが、中身は学生の頃と少しも変わらない。

 腐らず、諦めず、常に前向き。

 彼は第三艦隊提督という立場を肯定的に捉えていた。


「必ずや魔法艦を乗りこなし、第三艦隊を最強の艦隊にしてみせる!」


 教え子は落ちこむどころか、まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のように目を輝かせている。


 レッシバルにはそれが微笑ましく、そして頼もしかった。


 ——そうだ、将というものはそうでなければ。


 一緒にウェンドアに付いて行く部下たちも不安なはずだ。

 彼らを率いる将が落ち込んで下を向いたり、名残惜しく帝都を振り返っていてはいけない。


 将は目標に向かって前進あるのみだ。

 そうすれば、部下たちもつられていつの間にか元気になっている。


「その通りだ。あれは素晴らしいものだぞ。これからの帝国にぜひとも必要なものだ」


 レッシバルは教え子の語った目標に賛同した。

 老人にとっても我が意を得たりだった。


 国中に竜騎士団最強論が蔓延しているが、竜は雨天や夜闇を嫌がる。

 そういうときは魔法艦の出番だ。

 ゆえにこれからの帝国には竜と魔法艦、両方が必要だと考えていた。


「…………プッ」


 恩師の話を大人しく聞いていたロイエスだったが、矛盾に気付かないまま堂々としゃべっているので、思わず吹き出してしまった。


「ワハハハハッ! 何が素晴らしいものだ。ぶっ壊した張本人が矛盾したこと言ってんじゃねぇよ!」

「笑うな! わしは真面目な話をしとるんじゃ!」


 一度ツボにはまったら簡単には治まらない。

 ロイエスの爆笑と老人の怒鳴り声はしばらく止みそうになかった……



 ***



 老人と提督の揉め事はまだ続いているが、誰も止めようとしない。

 止められるはずがない。


 一方が海賊狩りの名提督だから?

 それもある。

 だが誰も仲裁に入らない真の理由は、老人もまた只者ではなかったからだ。


 いつまでもうるさいので、周囲にいた市民たちが気付き始めた。


「お、おい、あの爺さん、もしかして……」


 ロイエスが海の武人なら、老人は空の武人。

 元帝国海軍竜騎士団初代団長。

 彼こそが小竜隊の生みの親であり、すべての海軍竜騎士たちの師である。


 団長引退後は教官になり、それも引退していまは余生を過ごす身だ。

 それでも彼を御隠居さんと呼ぶ者はいない。

 皆、畏敬の念を込めてこう呼ぶ。


 竜将レッシバル。

 無敵艦隊を滅ぼした竜騎士、と。

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