だい〝よんじゅう〟わ【聖徳太子いる・いない論争】

「ふざけているの?」と徳大寺さんにつっかかっていく安達さん。


 しかし徳大寺さんも負けていない。

「『凡才貴公子厩戸皇子・の会』ではつまらないって思ったからです」


 安達さんは、不機嫌そうにふーんと言った後、

「『天才』とか言ってるくらいだから当然語れるのよね?」と、訊いた。


「もちろん!」と、かなり堂々徳大寺さんは答えた。


「じゃあお手並みを見せて欲しいんだけど」


「現状、聖徳太子は消えたり現れたりする幽霊みたくなっています」


 幽霊?

 なにボケをかましてるんだ、徳大寺さん。本当に大丈夫なのか?


「なに言ってるの? って思うでしょうけど聖徳太子は一時厩戸の皇子化して、いままた揺り戻しで聖徳太子に戻りつつあるようなそんな感じの人です」


「そうね、歴史教科書ってのもある意味自在よね」と安達さん。そして続行でこう訊いた。「『天才貴公子』なんて言ってるところからしてあなたは『いる派』みたいだけど、『いない派』にどうやって勝つの?」


「わたしは勝つとか負けるとか、そういう発想自体がおかしいと思います」


「こっちにそのつもりが無くても向こうから来るものよ」


 そうだね、いま正に来ているところだよね、と思う。それにしても〝双方丁寧語〟ってのがなんか怖いんだけど。


「そうですか」と徳大寺さん。目をつむりなにか考えているよう。そして目を開けやおら語り出す。

「それだったらまず最初に〝相手の言い分〟におかしな部分とか無理な部分が無いかどうかから考えます。『聖徳太子がいない』と聞くとまるで架空のキャラクターが歴史上の人物として登場していたかのように聞こえます。しかし『聖徳太子いない説』ってのは聖徳太子も厩戸皇子もいないという〝説〟じゃないです。これは『聖徳太子という名前の人物はいないけど厩戸皇子という名前の人物ならいた』っていう不思議なネタです。『〝聖徳太子〟が死後につけられた名前だから』というのがその理屈みたいです。たとえば『東照大権現はいないけど徳川家康はいた』って言うとこの不思議さが理解できると思います」


 うわっ! 徳大寺さんスゲェっ! 戦国をテリトリーにしていながらその発想は無かった。確か、死んだ後に天皇からもらった名だったよな、『東照大権現』。


「——つまりこれは呼び方の問題でしかありません。したがって厩戸皇子がいる以上、聖徳太子もいます。だってふたりは同一人物なんですから」


しかし安達さんはこう返した。

「だけどそれだとこういう反撃を許すんじゃない? 徳川家康のことを死んだ後の名前の『東照大権現』とは言わないで『徳川家康』と言うんだから、聖徳太子も同じにしようって」


「死後『聖徳太子』になったから、生きてるうちはその名前じゃないっていうのは一見もっともらしそうですけど、名前の定着率を無視した強引な主張だと思います」徳大寺さんが言い切る。


「ていちゃくりつ、って初耳だけど」


「『おおいし・よしお(大石良雄)』って言われても、その辺にいる普通の人にしか聞こえないじゃないですか。やっぱり『大石内蔵助』って言ってくれないと。『大石内蔵助』の方が名前の定着率が高いです」


 ここで『忠臣蔵』が来るとは! 意表を突かれた。徳大寺さん〝江戸時代〟でも良かったんじゃあ。 ってか大石内蔵助って『オオイシ・ヨシオ』が本名か! 初めて知った。これは惟任日向守これとうひゅうがのかみよりハードルが高い。


「ああ、そういうこと。でもそれじゃあ『それはあなたの感想ですよね?』と言われて終わりにされると思うけど」


「なぜかそれを言われると言った方が勝ったことになる不思議なことばですよね。でもわたしは〝わたしの意見〟を言っているんです!」


「あなたの言っていることは結局『昔からそう言っているからそれでいいじゃないか』って言ってるだけなの。それを解ってて新説をぶつけてきているのが解らない?」


「それならわたしはこう言います。そういうルールにすると『天皇』を語るときおかしなことになります、と。天皇って生きているときは誰でも彼でも今上きんじょう天皇です。死後に固有の名前がついて『ナニナニ天皇』になります。しかし『全ての天皇はいないが今上天皇はいた』というおかしな事を言う人はいません」


「でも『聖徳太子』についてだけはそういう人がいる。それはなぜか? そこまで掘り下げて考えられるかしら?」


「掘り下げるもなにも、単純にキライだから、としか考えられません」


「じゃあなんで嫌われてると思う? あなたの感想でいいけど」


 徳大寺さんは少しムッとしたような顔をしたがこう口にした。

「〝数多の天才伝説を伴う聖なる徳のある皇太子〟という表現がキライ、としか考えられません」


「なにげにとんでもないことを言うわね、徳大寺聖子」


「この会話の意味はなんですか? 安達閑夏」


 ヲイヲイ……


「あなたがどの程度のものか知りたいだけ。もちろん会長なんてやらなかったら興味は無いけど」


「もう興味は満たされました?」


「まだ。あなたの言うことは、聖徳太子を否定したがっている人を激高させるだけ」


「じゃあなにを言えばいいの?」


「黙らせること」


 徳大寺さんは一寸だけ間をとりこう口に出した。

「わたしは『厩戸皇子』の方こそできすぎた名前のような気がします。実は本名とされている『厩戸皇子』とか『厩戸王』の方も〝聖徳太子〟と同じく同時代の文献にその名が無いそうなんです」


「言うことが真逆よね」


「生まれるときお母さんが馬小屋の前で産気づいたから〝厩戸皇子〟って云われてると伝わっているけど、これってイエス・キリストが馬小屋の中で生まれたってのと妙に被るんです。『厩戸皇子』を仏教的に聖人化するために海外の聖人エピソードを取り入れたとしか思えません」


「〝後から〟って言ってもせいぜい日本書紀の頃よね? キリスト教伝来はもっと後、戦国時代の頃だと言われているけど?」


「でも可能性はあるって思ってます」


「それで『キセキの人・聖徳太子』ってわけ?」〝呆れ〟の入った語調で安達さんが言った。


「いいえ。『キセキの人・厩戸皇子』です。皇太子の名前が『馬小屋皇子』だなんてこっちの方が普通にヘンです」


「それだと遂には『厩戸皇子』までいなくなってしまって、いよいよ完全な架空の人になるんだけど」


「わたしが主催するのは『聖人貴公子厩戸皇子・の会』じゃなくて、あくまで『天才貴公子聖徳太子・の会』です」と、徳大寺さんはそこまで言い切ると、「まず誰からも否定されていない部分をハッキリとさせましょう!」と続けた。


 安達さんはなにも言わず徳大寺さんのターンが続いていく。


「推古天皇を叔母に、蘇我馬子を大伯父に持つ人物が摂政をやっていた事実だけは動かせません。どんな名前で呼ぼうとこの人物はいます!」


 さらに徳大寺さんは続けていく。


「あとは天才だとどうやって証明するか、です」


「そこまで言うってことは、証明できるのね?」安達さんが訊いた。


「もちろんです!」徳大寺さんは即決に断言した。


 そんな学者みたいなことが徳大寺さんにできるの?

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