27. ひざまずいてプロポーズを〜心を決めて

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タクシーの中でレベッカは、アンドリューへの思いをかみしめていた。クラクションが鳴り響き、窓をたたく音にハッとする。アンドリューが窓の外に立って、降りてくれと手招きしているではないか。


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 タクシーの中でレベッカは考えていた。その目はもう濡れていない。

 彼女が伯父や伯母を助け、プチホテルを運営し、満ち足りた日々を送っていたのは、ほんの1カ月前のことだ。

 ホテルに関しても、キルトに関しても、自分の将来に関しても、少しの迷いなどなく自信をもっていた。

 だが、もうあの頃には戻れない。

 アンドリューと出会う前の自分には。

 彼と出会ったこと、彼と過ごした時間を後悔しない。たしかに生きているという実感があった。これまでにない充実感があったのだ。

 アンドリューがどういう気持ちであったにせよ、レベッカ自身の気持ちに迷いはない。彼は生まれて初めて愛していると感じた人だった。

 彼を愛している。

 今も。そしてたぶん、これからも。

 この思い出があれば、この先も生きていけるわ。前と同じじゃなくても、強く生きていける、たぶん。

 きっと。


 クラクションが鳴り響く。

 窓を叩く音に、レベッカははっとした。アンドリューが降りろと手招きしている。

 私を追ってきたの?

「お客さん、降りたほうがいいんじゃないですか? 彼氏なんでしょ? なにをしたのか知りませんが、もう許してやりなさいよ。あんなに汗だくになって走ってきてるんだから」

 気づくとタクシーは大渋滞に巻き込まれ、先ほどから1ミリも動いていなかった。

 おまけにタキシードで全速力で走って行くハンサムな男性の姿はよほど人目をひいたらしく、物見高い人たちが何人も歩道からながめている。

「アンドリュー! いったい……」

 レベッカがドアを開けると、アンドリューが手を伸ばし、料金とたっぷりのチップを払った。それからレベッカの腕をつかむと、彼は歩道へと引っ張っていった。

 歩道の人垣が割れて、その中心にレベッカはいた。

 だがアンドリューはそんなことなど少しも気にせず、レベッカの両肩をつかみ、彼女の目をまっすぐに見た。

「どうして逃げ出したんだ?」

 ざわざわとまわりがどよめく。

「やっぱり撮影なんじゃない?」

「しっ!」

「ねえ、きっとそうよ」

 観光客らしい老女三人がささやき合う。

 レベッカはきっとして顔をあげた。

「別に逃げたわけじゃないわ。ただ、人いきれで気分が悪くなったし、キルトをゆっくり見ることもできないから、帰ろうと思っただけ」

「なんでそんな強がりを言うんだ」

 さらにまわりがざわめく。

「あら、恋人同士の喧嘩みたい」

「若いっていいわねえ。あたしの若いころは……」

「しっ!」

「それにしてもいい男ねえ」

 すっかり見物人にかこまれてしまい、レベッカの頬は燃え上がりそうに熱くなった。

 黄金色に燃える瞳をアンドリューに向ける。

「強がりなんかじゃないわ!」レベッカはきっぱりと言い張ったが、彼から目をそらした。「あなたこそなんで追ってきたの? フィアンセが待っているのに」

「僕はだれとも婚約していないし、したこともない。セシルのことなら彼女の真っ赤な嘘だ」

「嘘? あの人がどうしてそんな嘘をつくの?」

「僕が彼女の思い通りにならないからだ。それに君の美しさに嫉妬したんだろう」

 まだ何か言いたそうなレベッカを、アンドリューは手で制した。あたりは、しんと静まり返っている。

「彼女の父親の頼みもあって、何度かエスコートした。そして、彼女は自分の思い通りにならない僕をどうにかしたかっただけなんだと思う」

「でも、婚約話が進んでいるって言っていたわ」

 軽卒なセシルの言動に、アンドリューは歯がみした。

「きみに会うまでの僕は、だれとも結婚するつもりがなかった。だから、エスコートにもつきあったが、彼女の父親から婚約の話が出たところで、きっぱり断らせてもらったよ」

 レベッカの心は大きく揺らいだ。アンドリューを信じたい。

「でも、あの男性もあなたは女性とは1回限りのつきあいをするって……」

 ブランドンのやつめ! タイミングの悪い冗談にもほどがある。この借りはいつかきっちり返してもらうからな。

「パーティには女性を同行することも多い。だが、もちろん、相手も同行されることによるメリット優先だ。だが、はたから見れば誤解を生む行動だったかもしれない。僕にはきみがいる。だから、これからはそんなことはいっさいしないつもりだ」

 そんなことのために、レベッカとのあいだに生まれた気持ちを犠牲にすることなどできない。

 アンドリューは、周囲の見物客などかまわずまっすぐにレベッカに向き合っていた。

「でも、でも……」

「レベッカ、僕が愛しているのは君だけだ。信じてほしい。これまでだれにもこの言葉は言ったことはない」

 ふいにアンドリューはレベッカの前にひざまずき、彼女の手を取った。

「レベッカ・ポーター、君を愛している。きみだけが僕をこんな気持ちにさせた。僕と結婚してほしい」

 レベッカは言葉を失い、呆然とした。

 ぱちぱちぱちぱち。

 囲んでいた見物客からふいに小さな拍手がおこった。

 そして、全員がしんとして、かたずを飲んでレベッカの返事を待っている。

 アンドリューなしで生きていこうと決めたばかりなのに、あまりにも急な展開にレベッカの気持ちはついていけない。

 ひざまずいたまま、アンドリューは言葉をつづけた。

「こんな形でプロポーズしてすまない。だけどさっき、きみの後ろ姿を見たときに、ぜったいにきみを離したくないと思ったんだ。結婚してほしい、レベッカ・ポーター」

 レベッカは声も出せず、ただうなずいた。

 アンドリューを、彼の気持ちを信じてみよう。

 ふたたび拍手が起きると、それがさらに大きくなり、あたりは大きな歓声に包まれた。

「おめでとう!」口々にあたりの人たちが声をかける。

 老女たちは目をうるませながら、うっとりとふたりを見守っている。

「いいんだね?」アンドリューは立ち上がり、レベッカを抱きしめた。

「ぼくはきみをこれからも全力をあげて愛していく。ふたりの世界をこれからいっしょに作っていこう」

 レベッカはまたうなずいた。「ええ」

 歩道には見物人があふれ、車道は相変わらず渋滞の車でいっぱいだ。だが、いまのレベッカの耳に届くのはアンドリューの声だけ、目に映るのは彼の姿だけだった。

 アンドリューの顔がさらに近づき、ふたりは熱い口づけをかわした。


 レベッカとアンドリューは、もう一度昨晩のホテルで一夜を過ごした。

「アンドリュー、ぜいたくすぎるわ」

 こんな部屋があったのかと驚くような極上のスイートに、最高級のシャンパンが用意されていた。

「僕の殺風景な部屋じゃ、とてもじゃないが味気ない」

 そう言うと、アンドリューはたっぷりキスしてレベッカを味わった。

「んむむ……、アンドリュー待って」

 少しだけ口をはなすとレベッカが言った。

「いいや、待てない。もう遠慮はしないことにする」

 わが者顔でアンドリューがレベッカをむさぼっていく。少しだけ抵抗をこころみたレベッカも、すぐに愛情あふれる快感へと溺れて行った。

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