第4話 ハーフとハーモナイズ

 最近、手持ちの手術道具(もっぱら人外関連用具)の消耗が激しい。もちろん発端はエスト君絡みではあるが、ここ数十年さかのぼって考えても直近のひと月以内で消耗した道具類の数には目を見張るものがある。もっとも、バゼラの定期検診で使う医療道具が次々と使い物にならなくなっているのが一番の原因だろう。


 ちょうど色々と確認したいこともあったので、私は協会へ赴くことにした。もちろん二人にはしっかりと留守番をお願いしたうえで。


 バゼラが入院したての頃はちょっとしたことでお互いが対抗心を燃やしていたが、例のパン屋の少年の件で、最近はバゼラがエスト君に少し心を開いたようだ。理由はわからないが、今の二人なら安心して出掛けられそうである。


 さて、今日は荷獣のレンタルなしで協会へと向かう。天気もいいし、何より金がない。市場までは徒歩で行き、そこから乗り合い車でほぼ直通だ。いつものカバンも白衣も今日は置いて、眼鏡一つで外に出る。強い日差しがそろそろ本気で照らしだす時期だ、熱中症には気を付けないとな。



  乗り合い車を降りると視線の先に『ハーモナイズ協会』と看板の掲げられた建物が目に入った。協会の正式名称だ。


 "調和"を掲げた名前は長いと言う理由から単に『協会』と呼ばれているこの団体は、人間と人外を繋ぐことを目的として組織とされ、もうすぐ設立から四百年は経とうとしているらしい。


 その用途はほぼ人外のための施設であり、分かりやすく言うと人外の病院であり、ハローワークであり、役所である。表向きは特殊な人材派遣組織として存在し、人間社会に馴染めないが人外として独立した生活を送れない者たちのための組織となっている。


 かくいう私も、表向きは人間を診る個人診療所を経営している善良な人間として生活している。私を人外と知る者はここの役員以外ではほぼいない。……いや、ルシオンとエスト君あたりは知っているか。


 そもそも何故人外であることを隠すのか。


 理由は明白。人外の個々の能力は、確かに人間より優れている。だが、集団生活を行い、長く繁栄を築くにはどうしても人外の生態は不向きなのだ。ごくごく一部の人外にはそれでも生きていくだけならば問題ない個体もいるだろうが、どうしても人間と関わらなければ生活がままならないものが大多数なのである。そのうえ、そのごく一部の人外が人間に害をなしたり、尊大な存在であるかのように振る舞っているせいで、他の人外までが差別の対象となって迫害されている現実は、多くの善良な人外を窮地に追いやってしまっている。そんな人外たちを救うためにも協会の存在は必要なのである。


 いつも通り、大きな木製の扉を開く。木は貴重品なので何度も修理して使われているためか、重く鈍い音を立てながら奥へと押し込まれていく。


 前回医療品の補充で来たっきりなので半年ほど来ていないが(基本的なものは配達にて補充されるが、対人外医療備品は口頭手渡しなので直接出向かなければならない)、以前と比べて妙に人の往来が多く感じ、何やら賑やかになった印象である。


「お、銀縁先生じゃないですか」


 医療品発注カウンターの奥の方から聞きなれた声がしたのを聞き、そちらへ目を向ける。


「カートス君じゃないか、久しぶりだね」


 カートスは人間の協会職員で、対人外医療品発注担当部署の、とりわけ外部診療所担当者、つまり私の担当だ。見た目は私よりも老けて見えるんだが、あちらの方が若い。そんな彼が慌ただしく人が行き来する波をかき分けて、カウンターまで来てくれた。


「すいませんね、ちょっと騒々しくて」


「いや、構わないが、もしかして何かあったのかい?」


 お互いカウンターに着いて、用事も横に世間話を始める。


「いえねぇ、どうにも。ちょっと盗難事件がありまして」


 カートスは日常の場面であるかのようにとんでもないことを話し始める。おいおい、一大事じゃないのか?


「管轄は、ある意味ウチなんだけど、盗られたモノがちょっと頭二つくらい上の扱いになってて、実質管轄外なんで。だからこの辺はまだ人の出入りは激しいんですけど、我々はヒマなんです」


「穏やかじゃないじゃないか。そんな極秘情報を盗まれて、大丈夫なのか?」


「どちらかと言うと全く。……盗られたの、カルテなんですよ。主に人外の。それも、『三祖』を含む、古いものが中心なんで」


 この『三祖さんそ』とは、世界で最初に記録された人外のことだ。ちなみにバゼラがそのうちの一人とされている。未だに信じられないが。


「ああ、そのうちのバゼラのカルテはウチにあるよ」


「え、そうなんですか? まあ、彼女のカルテは少し前に持ち出し申請されてましたからいいんですけど、残りのやつはほぼ根こそぎやられたみたいなんですよ」


 三祖は歴史の教科書にも載るくらい有名で、バゼラの他はレムリアス、フランベールと続く。このうちレムリアスは現在所在不明、フランベールは残念ながらもう亡くなっている。その三祖が生まれたのが大厄災の前後というから、バゼラは平気で数百年を生きていることになる。年代からしてレムリアスも亡くなっていることだろう。


「ああそうだ、事件と言えば」


 私は、少し前にパン屋の少年が協会関係者を謳う者に、体に合わない薬を受け取り飲用した事件を話した。


「ちょっと、おかしいですね。それ。バッジは協会の職員であることを証明するものなんで、部外者には手に入らないもののハズです。よく似た偽物って可能性が高いでですね。それより、その症状の方が気になりますよ。なんですか、患部が結晶化するって……」


 こういった特殊な症状は、私の立場としても協会へ報告する義務がある。一応あの時の症状をまとめた資料を持ってきていたので、カートス君にカルテの束を渡す。なお、余談だが普段からカルテに使う書類は、ある獣の体毛繊維から作られている。安くて丈夫なんだが、インクのノリが悪い。唯一の難点である。


「さすが銀縁先生。仕事が早くて助かります。こういうのは、盗まれたりしたら困りますから、すぐに情報の共有もしますね」


 カートス君はその資料をすぐ後ろにいた別の職員に『何部か複製して、他の人にも配っておいて』と言づける。


「じゃあ、ついでに頼まれものも用意してくるのでちょっと待っててくださいね」


 立ち上がったついでに、彼も本来の用事を全うしてくれる気になったようだ。近くにあった金属製のコンテナをひょいっと持ち上げ、カウンターに置く。見た目に対して軽そうだが、それは彼だからだ。私にとってはとてつもない重さになっているだろう。彼のためにも弁解しておくが、彼は人間だ。私がとてつもなく非力なだけで。


「珍しい注文内容ですよね? 確かバゼラさんの経過観察もそうですけど、手術用のもいくつか注文されてますよね?」


「人間の執刀が少し続いてね、備蓄在庫がなくなったんだよ。それと、例の結晶化サンプルの調査にもいくつか使ってるうちに使えなくなってね」


「あ、結晶の調査もしてもらってるんですね。それも何か分かったら情報共有お願いしますよ」


 カートス君は残りのコンテナをどすどす置いたあと、小さな箱を持って席に戻る。


「で、これですね」


 箱をあけて中身を確認する。


 眼鏡だ。もちろん、銀縁の。


「その眼鏡も結構長いですもんね。確かもともと、タント先生のものでしたっけ?」


 私は無意識に自分の眼鏡に触れる。指に微かな電流が走り、羽白白銀が使われていることがわかる。


「……そう、だったね」


ある意味、形見。ある意味、呪い。私が今だに医者にこだわる理由。


「わざわざ羽白白銀での注文をされてますけど、ご自身で使われるにしてはサイズが少し小さくないですか?」


「いいんだ、私が使う物じゃないんでね」


「そうですよね、その眼鏡似あってます…… って、もしかして贈り物ですか!?」


 カートス君が本気で驚いている。そりゃそうだ。私が自分で使わないものをわざわざ注文して取り寄せてもらうなんてこと、彼が生きてきた間で遭遇したことがないはずだ。


「……頑張ってください!」


 そう言いながら、どこから出てきたかちょっとこじゃれた袋に、眼鏡を大事に箱に戻してそこへ入れる。


「ただの退院祝いだよ」


 私は帰りの荷獣予約を考えながら、ふと知った声を聞いた気がした。


   *  *  *


「ただいま」


片道とはいえ大荷物だったこともあり、そこそこの出費をしたな、と考えながら、コンテナを唸りながら診療所へと放り込む。


「遅かったのう。途中でエストに会わなんだのか?」


「え? エスト君も出かけてたのかい?」


「うむ。屋敷から連れが迎えに来てのう。行先も協会がある方向、なことを言っておった故、てっきり途中で逢引しておるものだと思ったが、……違ったか」


 バゼラは何とも言えない表情をしている。まだ彼女の体力からは一人であの距離を移動するのは難しい。ただ、主治医の私に断りなしに遠出するのはちょっと困る。


 とはいうものの、彼女の回復具合はここ最近でかなり良い傾向にある。食べ物が良くなったからなのか、生きる希望が出てきたのか、そこまで私が関わることではないが、人が健康になっていくのは医者冥利に尽きる。


「ただいま、戻りましたわ」


 ルシオンに連れられてエスト君が戻ってきた。いいタイミングだ。手には何冊か本(ちなみに本は紙製ならとんでもなく高価だ)を持っているが、これから伝える内容によってはタイミングが悪いな。


「随分とたくさんお買い物をされたのですね。まだ外に大きな箱が置かれてますの」


「ああ。ちょっと協会で色々と仕入れをしてきたからね」


 と、私はそれと一緒に受け取ってきたものを思い出した。


「エスト君、ちょっと」


「はい、なんでしょう」


 別に初めてではないが、自分の体が妙に緊張しているのを感じる。いや、他者に贈り物をする機会はそんなにない。きっとそれが理由だろう。


「退院、おめでとう」


 私は、別の袋に入れていた箱を取り出し、エスト君に差し出す。


 あの新しい銀縁眼鏡が入った箱だ。


 それを、エスト君は嬉しいとも悲しいとも取れない、不思議な顔でその箱を受け取ってくれた。

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