好意?②



「遊び行けば良かったのに」


 いきなり酒井からそう言われたもんだから、思わず身構えてしまう。授業中のような小さな声。でも、その威力は桁違いである。

 すっごく間抜けな顔をしていたせいか、彼女は呆れた顔で問い詰めてくる。


「聞こえてないと思った?」

「いやなんというか……」


 放課後の図書室。こうなることは半分分かっていた。分かっていたけど、来てしまった。ご丁寧に、山岸が下校したのを確認した上で、この子は俺をこの場所に誘った。


 三階にある図書室。放課後は割と空いていて、窓際にある長机を二人で陣取った。陸上部が走るグラウンドを見下ろしながら、俺たちは隣り合って言葉を投げ合う。俺たち二人とも帰宅部のせいか、グラウンドでの出来事にはあまり興味なさげである。


 それはそうと、なんでここなのだろうと思った。話すだけなら教室でも良かったのに。彼女なりの意図があるのだろうか。まぁ今は下手に口出すと面倒なことになりかねないか。


「でも断ったじゃん」


 と、思った矢先だ。

 彼女の呆れた顔を見ていると、我慢できず言い返してしまった。反論と言えば聞こえは良い。だが今の状況は、どちらかと言うとである。

 横を向くと、彼女と目が合う。何を考えているか分からない不気味な顔をしていた。


「私はそんなの気にしないよ。別に二人で遊びに行くぐらい」

「え、まじ?」

「……なんで嬉しそうなの」

「あ、い、いや……」


 別に嬉しくはない。ただ想定外の発言だったせいで、つい声のトーンが上がっただけ。でもそれで狼狽えてしまうということは、つまり。そういうことなのである。

 言い訳したところで事態は改善しないだろう。キリッと俺を睨みつける彼女。美しい顔のせいで、あまり怖くはない。


「ばか」

「イテッ」


 俺の二の腕をつねる。彼女の細い腕に似合わない力。こうやって手を出してくるタイプだとは。入院していた時の彼女とは打って変わって、ある意味積極的である。


「真村くんは何も分かってない」


 それにしても、放課後の図書室は静かだ。呼吸することを忘れてしまいそうになる。息が詰まる感覚というのか。

 分かっていないのはどっちだ。俺だって、何が何だか混乱しているのに。それなのに、君が恋人になっていた。


「嘘つきは嫌いだ」


 別に酒井のことを否定したわけじゃない。ただこれまで溜まり切った不満が、こうして言葉に変わってしまっただけなのだ。


「なに、それ」

「思い当たる節があるのか?」

「……そんなんじゃない」


 ムカつくほど綺麗な夕陽。それが図書室に差し込んで、橙色に染まる。そんなコントラストに真っ向から逆らうような、重い空気が俺たちを包む。

 多分、彼女も俺に対してストレスが溜まっていたのだ。そりゃ入院中毎日顔を合わせていれば、人間悪いところの一つや二つ目につく。でも、それをぶつける相手が居ない。必然的に溜め込んでいくしかない。

 何も分かってない、というのは彼女なりの不満だったのだろう。


「……悪い」

「……ごめん」


 そう考えれば、自然と出てくる謝罪。彼女も同じように。


「俺さ」

「うん」

「恋人を差し置いて女の子とは遊ばないよ」


 君のことを恋人と呼ぶのは、やっぱり気が引ける。嘘つきは俺なんだ。本当は。

 もし。もしだ。君が本気で俺を好きでいてくれるのなら、俺はどんな顔で愛せばいいのだろう。恋人の愛し方さえ知らない男なのに、どうして君はこうして俺のそばに居てくれるのだろう。


 俺は、本当に嘘つきだ。


「……ばか」


 少し嬉しそうに、顔を背ける君。

 そんな君に甘えて、俺は今日も隣にいる。まるで本当に恋人だったように。知った顔をして、いま君を見つめている。


「知ってるよ」

「優しいんだね」

「そうかな」

「だから、も言い寄るんだと思う」


 あの子、というのは山岸のことだろうか。酒井の声に、少し寂しさが混じっている。


「言い寄るって」

「多分だけど、真村くんのことが好きなんだと思う」

「まさか」

「あの態度見たら誰だってそう思うよ」


 どうだろうか。何とも言えない。

 そもそも、山岸は誰にだってあんな感じだし、おかげで男子にもモテる方だ。だが彼氏が居るとは聞かない。もし居て俺を誘ったとすれば、中々だなそれは。


「……」

「な、なに?」

「ニヤついてる」

「んなわけないだろ……っておい」

「帰る」


 酒井は立ち上がって、その場を離れようとする。別に怒っているようには見えないが、元気というわけでもない。イラついているのだろう。俺にか? それとも山岸にか?


「待てって」


 咄嗟だった。右手が酒井の右手首に伸びる。掴んだそれは、俺が思っていたより細かったのである。


「どうしたんだよ。なんか変だぞ今日の凪沙」

「……知らない」

「おい……」

「真村くんは……知ってるの?」

「何を」


 少しの沈黙。やがて。


「私のことを」


 言葉が出てこなかった。ゴクリと固唾を飲んで、ただ俺に背を向けた彼女のことを、眺めるしか出来なかった。

 そしてそれは、体にも伝達されてしまう。唯一、俺と彼女を繋いでいた腕が、引き裂かれたように力尽きた。彼女の問いかけに対する、答えでもあった。


「……ごめんねっ。私、面倒な女で」

「あ、いや……」

「少し頭冷やして帰るね。また明日」


 喧嘩別れのようになった。

 通常なら、この先は無いなんて思うであろうこの場面。でも俺は、もっと君のことを知りたいと思うきっかけになった。



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