ページ21 緒戦

「雅、あんたほんとばかじゃないの……?」


 俺の部屋に遊びに来た琴葉に皐月翔に宣戦布告されたことを教えたら、彼女は呆れたように言った。


 無理もない。


 皐月翔の宣戦布告に応じて、おまけに彼を負かしてやるとまで宣言したから、琴葉じゃなくても呆れるだろう。


 もちろん、俺も例外ではない。


 どうも皐月翔と話すときは調子が狂うんだよね。


 気づいたら、まさか彼の宣戦布告に乗ってしまっていた。


 渚さんは応援してくれたけど、どう考えても琴葉の反応のほうが普通だよね。


 俺はまだ小説家デビューが決まったばかりの高校生でしかないのに。


 えりことは釣り合わないよね。


「……でも、もう応じたんだよ?」


「そんなの破棄すればいいじゃん?」


「それはプライドが許さないかな」


 俺だってえりこのことが大好きだ。


 この気持ちは皐月翔にも負けてない自信がある。


 ここで逃げて、皐月翔に「えりこさんをどうぞ」というのはどうしてもできない。


 せっかくえりこと出会ったのだから……俺は後悔するような選択肢を選びたくない。


「呆れたわ」


「応援してくれる?」


「そんなトップアイドルじゃなくても、近くに彼女にできる子もいるのに……」


「えっ? 誰のこと?」


「わたし」


「……」


「……」


「琴葉も冗談言うようになったね、あはは」


「雅のばか……」


 琴葉の冗談に思わず笑ったら、彼女はなにかぶつぶつと呟いて、俺の頭に自分の足を載せた。


「ちょっと待って」


「ん?」


「RINEが来た」


 琴葉に頭を踏まれたまま、携帯を取り出したら、意外な人物からメッセージが来た。


『前はありがとうございました。それで今日ですが、時間はありますか?』


 皐月翔からだ。相変わらず礼儀正しいやつだな。


 えりこに話しかける時の軽々しさはどこに行ったのだろう。


『何か用ですか?』


 そう返信すると、まるで皐月翔に待ち伏せでもされていたかのように、すぐに次のメッセージが来た。


『バッティングセンターへ行きましょう』


 相変わらず、この人の言ってることはよく分からない。


 なんでこの前宣戦布告してきたばかりなのに、いきなりバッティングセンターに行く流れになるのかな。


『なんでですか?』


 皐月翔の意図がよく分からないので、素直に聞き返した。


「なになに? 誰から?」


 琴葉は足を俺の頭の上から下げて、ちょこんと俺の隣に座った。


「皐月翔からだけど、いきなりバッティングセンター行こうって」


「なにそれ? 罠?」


「その可能性もあるけど……」


「けど?」


「あの天然イケメン俳優が罠なんか仕掛けるなんて思えないかなって」


「雅……」


「うん?」


「あんた、どの口で人のことを天然って言ってるんだ……」


 そう言って、琴葉はまた呆れたようにため息をついた。


 琴葉は俺と皐月翔の電話のやり取りの内容を知らないからそう言えるんだよ。


 再現できるものなら、ぜひ琴葉にも皐月翔の天然ぶりを聞かせてやりたいものだ。


 再び携帯が鳴って、皐月翔からの返信が来た。


『男は野球で勝負するものでしょう?』


「こいつもばかかもしれないね……」


 俺の携帯を覗き込んでいる琴葉はそんな皐月翔の返信を見て、諦めたように遠くを見ていた。


 遠くと言っても、俺の部屋の壁だけどね。


『分かりました』


「えっ!? 雅、この馬鹿げた勝負に付き合うの? バッティングセンターでホームラン打ったからってえりこに振り向いてもらえるわけじゃないよ!」


 俺が皐月翔にOKの返事をすると、琴葉はびっくりしてまくしたててきた。


「俺も男だから」


「意味わかんないよー」


 自分でも意味のわからない理由を口走って、俺は着替える準備を始めた。


 だって、えりこに関して男の勝負をしようって言われたら、引き下がれないじゃん。




 待ち合わせの場所に着いたら、皐月翔は先にいた。


 渚さんと同じようにマスクをつけていて、パッと見、皐月翔だとは気づかない。


 でも、さすが若手イケメン俳優だけのことはあって、それでも女性たちの視線は彼に注がれていく。


 隣に女の子の集団が皐月翔を見てボソボソと何か立ち話しているのを見て、皐月翔はだいぶ前に着いてるのは容易に想像できた。


 こうなったらもはや、礼儀正しいだのモテるだの以前に、皐月翔みたいな芸能人はみんな暇なの? って思ってしまった。


 自分で言うのもなんだけど、このしょうもない野球勝負に、仮にも旬の俳優がこんなに贅沢に時間を割いていいものなのだろうか。


 努力家のえりこならきっと今頃必死に稽古とか歌の練習とかを頑張っているだろう。


 そう思った時に、携帯が鳴った。


 皐月翔と合流する前に急いでチェックする。


『プリン美味しいね~ 今たくさんの種類のやつを食べ比べしてるの~』


 メッセージと共に、渚さんがプリンを食べている自撮りが添えられていた。


 思わず口角が上がってしまった。


 皐月翔との勝負を前に、先まで張り詰めていた神経が緩んで、心まで癒されたような気がする。


 渚さんはほんとに天使だね……改めてそう思ってしまった。


『俺もプリン大好きだから、半分くらい残しといてよ』


 冗談半分で渚さんに返信したら、俺は意を決して皐月翔のいる戦場に赴いた。




「はあはあ……一ノ瀬さん、君やるね」


「はあはあ……皐月翔さんこそ」


「翔でいいですよ」


「じゃ、俺のことも雅で」


「そう呼ばせてもらいます、雅くん」


「はい、翔くん」


 俺と皐月翔の間に名状しがたい友情が芽生えたような気がする。


 激しい戦いは引き分けに終わった。


 誰もボールに当てることなく、俺らはバッティングセンターを背にした。


「って! 違うでしょう! なんで翔くんから誘っといて全然ボールが当てられないんだよ!」


「そう言わないでくれ、僕も初心者なんだ」


「えっ、じゃ、なんで勝負の場所をバッティングセンターにしたの?」


「僕が有利なことで勝負したら卑怯でしょう?」


 一瞬、皐月翔がかっこよく見えてしまった。


 ふと思った。俺は色眼鏡で彼を見ていたのかもしれない。


 何人もの芸能人が皐月翔のことを好きって公式に発表しているから、彼自身は軽い男だと思っていた。


 でも、電話するときから薄々と思ってることがある。


 ほんとの皐月翔は礼儀正しくて真面目な人間なんじゃないかなって。


「なあ、翔くん、ひとつ聞いてもいいかな」


「なに? 雅くん」


「なんでえりこに話しかけた時は軽々しい口調だったの? 翔くんを見ていたら、とてもそんな軽い男だとは思えないというか……」


 俺は心に引っかかっている疑問を翔くんにぶつけた。


 彼は少し溜め込んで、口を開いた。


「……軽い男を演じないと、えりこちゃんに話しかけられないから」


「それってつまり……」


「うん、えりこちゃんのことが大好きだから、素の自分じゃまず話しかけられないかな」


 不覚にも、俺は皐月翔に共感してしまった。


 彼は芸能人である前に、1人の男の子。


 今は普通にある女の子に恋してるだけ。


 たまたまその女の子がえりこであって。


 俺も初めて佐渡川文庫の会議室でえりこに会った時、なにも喋れなかった。


 別にえりこがトップアイドルだからじゃない。えりこがよくテレビに出ているからでもない。


 ただ、彼女に恋しているだけ。


 それだけ。


 だから、こういう意味では、俺と皐月翔は同じなのかもしれない。


「負けないから」


「うん?」


「負けないから、翔くんに」


 だからこそ、余計に負けられない。


 皐月翔の想いに応えるためにも、自分の想いに応えるためにも。


 今の俺と皐月翔との勝負は、高校生ラノベ作家と若手イケメン俳優とのものではなく、ただの同じ人に惚れた似たもの同士の2人の男の子の戦いなんだ。


 皐月翔は若手イケメン俳優だから、俺より彼の方がえりこに釣り合うと思うのは今になって思えば、彼の気持ちへの冒涜かもしれない。


「僕も負ける気ないよ」


「あはは」


「ははは」


 俺らはヘトヘトになった身体を引きずりながら、2人して空を仰いで笑った。


「あっ、渚さんから返信が来た」


 渚さんとのRINEのトーク画面を開いたら、山のように積まれているプリンの空のカップの後ろで舌なめずりをしている渚さんの自撮りが表示された。


『ごめん~ 一ノ瀬くんの分を残そうと思ったけど、気づいたら全部食べちゃった~』


 こいつは確信犯だ。その美味しいものをいっぱい食べて満足そうに笑っている顔がなによりの証拠だ。


「この子って誰?」


「俺の友達」


「えりこちゃんにそっくりな友達だね」


「そうだよね」


「でも、髪はえりこちゃんより短いね」


「そこが可愛いんだけどね……というか、なんで翔くんは普通に俺の携帯を見てるの?」


「あっ、ごめん!」


 忘れてた。こいつド天然だった。




「あんた馬鹿じゃないの?」


 本日2回目の琴葉の罵声。


「えー、いきなりなんで?」


「はあ……意気揚々に出ていったと思ったら、ボール1つも当てられなくて、それでなぜか皐月翔と友達になったって……普通、ありえなくない?」


「……そう言えばそうかも」


 やばい。さっきのこと思い出したらすごく恥ずかしくなってきた。


 確かに、琴葉の言う通りで、「俺も男だから」って息巻いて出ていって、その結果、バッティングセンターでボール1つあてられず、その挙句、俺は雰囲気に酔って、「負けないから」とか言っちゃって……普通に考えたらかなり恥ずかしいやつだ。


 俺はしばらく恥ずかしさのあまりに悶絶していた。

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