第8話 紅葉狩 ―もみじがり―

 峰のもみじ葉は山吹に、だいだいに、唐紅からくれないに染まる。秋は美しい衣をまとって、ここにも歩みを進めてきた。

 深山しんざん幽谷ゆうこくも今はそうとは言い難い。先程から女達の楽しそうな笑い声が聞こえてくるのだから。


更科さらしな姫様、御覧なさいまし。あれ、あのように葉が色づいて」


 侍女の指す先に紅葉がはらはらと踊る。


「ほんに。美しいのう」

「姫様の美しさも負けてはおりませんよ」


 また別の侍女が扇で口元を抑えて微笑んだ。


「これは嬉しいことを言いおる。どれ、褒美ほうびに菓子を取らそうぞ」


 更科姫が言うと、ひさごを抱えた侍女が頬をふくらませる。


「まあ、わたくしだって、そのように思っておりましたのに」

「ほほ、怒るでない。そら、おまえもお食べ」


 侍女達と軽口を言い合い、ほろほろと笑うのは更科と呼ばれた姫である。侍女達と山に遊ぶさまは、色づいた木々の中にあってもきわ立って美しい。


 そこへ、がさがさと落ち葉を踏む音と、話し声が近づいてきた。


維茂これもち様、こちらに少し開けた場所がありますよ」

「これ、斯様かように急ぐな、右源太うげんた。少しはゆるりとこの錦秋きんしゅうでよ」


 木々の間を抜けてくる姿がちらちらと見え隠れする。


木陰こかげれ落ち葉は滑ります。維茂様、足元にお気をつけ下さい」

「わかっておる、左源太さげんたは私を子ども扱いしすぎだ」


 言った言葉も消えぬうちに、あっと声が上がる。どうやら足を滑らせたらしい。

 小道から公達きんだちが姿を見せた。余吾よご将軍と呼ばれた平維茂たいらのこれもちと、その従者である。


「これは失礼、先客がおられたか。私は平維茂と申す」


 維茂は慌てて従者の手を払い、身なりを正して言葉をかけた。

 名乗られたからには、彼女達も名乗らぬわけにはいかないだろう。侍女は少しだけ苦い顔をした後、きっと顔を上げた。


「こちらは貞観殿じょうがんでんにお務めの上臈じょうろう、更科姫様にございます。お忍びでの遠出とおでにござりますれば何卒なにとぞ……」

「なるほど。いや、我らも鹿狩りの下見をしておりましたところ、お恥ずかしいことながら少々迷ってしまいまして。川沿いにくだれば里へ出られるかと、こちらへ参った次第でございます。できましたら、このことはご内密に」


 あまり人の口にはのぼりたくないと、互いの侍女と従者が頷き合う。

 くすりとおうぎの奥から姫が笑った。


「申し訳ありませぬ。忍び笑いなど、お恥ずかしいところをお見せしてしまいました。内緒にしてくださいませね」


 参ったなと維茂が苦笑を返す。


「いや、こちらこそすまぬ。そんなわけで紅葉狩に予定を変えたのだが……更科殿は良い場所をご存知だね」

「ええ、ほっかりとひらけて日当りもよく、秋の山での一日にはことほかよろしいのですよ。維茂様もご一緒されませんか」


 突然の申し出に維茂主従は、いやそれは、と遠慮をみせた。


「更科殿の気に入りの場所に、我らのような不調法者ぶちょうほうものが邪魔するのははばかられる」

「ここでお会いしましたのも何かのご縁でございましょう。それに、女子おなごの誘いをお断りなさるのは無粋ぶすいでございますよ」

「やあ、そこまで申されるのをお断りするのもよくないな。では、共に秋の日を楽しむと致そう」


 そういうわけで、更科姫と維茂は共に錦繍きんしゅうの秋を愛でようということになった。



「さあ、維茂様、もう一献いっこん

「右源太様も、左源太様も。もっと召し上がれ」


 美女に酒を勧められて、結構と断るような堅物かたぶつでもない。一杯また一杯とさかづきを重ねる。


「ああ、業平なりひら和歌うたそのままだね、本当に神代かみよの頃からも見たことがないだろう。秋の山も貴女方も美しい」


 酔いにまかせて維茂が戯言ざれごとを口にする。

 だが、とってつけたような褒め言葉に侍女達は口元を覆ってまぜ返した。


「確かに美しゅうございますものね、紅葉は山神やまがみの髪飾りなどと申しますもの。わたくし共が美しいなどおこがましゅうございますわ」

「その美しい景色の中で、愛しい相手を呼ぶ鹿を狩ろうとなさっていたのですか?」

「まあ、怖い」

「いけませんわ。そのように恋路を邪魔なさっては馬に蹴られてしまいますわよ。あら失礼、鹿でしたわね」


 はらはらと落ちる紅葉に侍女達の笑いが乗る。


「しまった。これはかなわぬ」


 顔をしかめおどける維茂の様子に侍女達はまた笑った。


 維茂の手にした盃に、すい、と紅葉のひとひらが舞い降りた。

 ほう、と思わず声を上げる。

 しばらくあでやかな紅葉を楽しんだ維茂は、


「良き風情ふぜいであることよ」


 そう言って酒を飲み干した。



「……もし、維茂様」

「右源太様も、左源太様も起きてくださいまし」

「維茂様、斯様かようなところでお休みになられてはお風邪を召されますよ」


 侍女達は口々に維茂主従に声をかけたが、どうにも起きそうにない。


「姫様……」

「眠ってしまわれたようですね」

「はい」


 更科姫と侍女は目配せをすると、そっと立ち上がった。


「一度、鬼無里きなさへ戻る」

「はい、姫様」

「このままみやこへ帰れば良し。そうならぬ時は」


 扇で隠す更科姫の口元に長くとがる牙が光った。




 ◇◇

 夢現ゆめうつつ彷徨さまよう維茂は、誰かの呼ぶ声に揺り起こされる。


「維茂、起きよ。ここは敵陣ぞ」

「うっ……だれ、だ……ここは?」


 ぼんやりと霞むかすむ頭を振って、目の前にいるはずの声の主を振り仰ぐ。


「私は八幡大菩薩はちまんだいぼさつよりつかわされし武内たけうちの神。そなたが帝より将軍位を受けたは、鬼神を討伐する為であろう。それがあの女よ。更科と名乗るあれが鬼の化身ぞ」

「あれが、鬼……あの姫君が鬼?」

「そなたに神剣『小烏丸こがらすまる』をさずける。これならば鬼神の力にもあらがうことができよう」


 頼むぞと言った山神の声は小さく、小さくなっていった。

 ◇◇




「更科姫……いえ、紅葉もみじ様」

かえでか、どうであった」

「やはり、あの者共は我らを討伐うちに来た様子」


 楓と呼ばれた侍女は、姫の名を言い換え、下げていた頭をあげる。そのひたいには二本の角が生えていた。


討手うってが眠りこけるなど笑止しょうしなこと」

「迎え撃つ支度を致しましょう」


 口々にそう言う侍女の額には、いずれも二本の角があり、きりきりと引き結ばれた口元から牙がのぞく。


はぜにしき、岩屋においてある薬や武器道具は、すべて里の者にくれてやれ。われはもうここには戻らぬ」

「紅葉様!?」

「なに、うれいが残れば戦いにくいだけのことよ。元よりここには我らが勝手に住み着いただけ。里の者人間には関わりもないことゆえな」

「お優しいこと」


 はぜは口元を押さえて笑う。


「では行って参ります」


 錦ははぜと共に腰を折ると急いで出ていった。


「楓とまゆみは戦支度を」

「はっ!」


 支度を命じ終えた紅葉はみやこの方角へ目をやり薄く笑った。


「帝め……よくも邪魔をしてくれた。たかが鎮守府ちんじゅふ将軍ごときに、この紅葉がやぶれると思っておるなら、やってみるがいい」




 維茂が目を覚ますと、辺りは異様な雰囲気に包まれていた。

 先程までのあでやかな様子とは違う。いや、見た目は変わらないのだが、どうにも風が生臭い。

 右源太、左源太も、そろそろと辺りを警戒しながら維茂を背後にかばう。


「維茂様、これは」

「うむ、やはり間違いない。あの女達が戸隠とがくしの鬼女。帝のご命令通り、鬼を退治する。お前達も覚悟せよ!」

「ははっ!」



 帝は朝廷にて不浄ふじょうの気配を感じ、陰陽寮おんみょうりょう卜占ぼくせんを頼んでいた。

 その結果は「貞観殿じょうがんでんに鬼が住まう」というもの。鬼が何故なにゆえそこに住まうようになったかはわからないが、帝としてはこれを放ってはおけない。


 そこからまた気配を追っていくと戸隠は鬼無里に辿り着いた。

 ひなの地なれば退治たいじることに遠慮はいらぬ、と武勇をもってなる維茂に大役が言い渡されたのだった。



「油断するな。どこから来るかわからぬぞ」


 辺りに目を配る維茂を、侍女達の声で鬼があざける。


「これだから人間は」

「わたくし達が不意打ちなど、つまらぬことをするものか」


 目の前に現れた侍女、いや鬼女きじょ達は、ニッと笑って牙を鳴らす。 額に伸びる二本の角。そのさまおぞましくも美しい。

 続いてゆるりと現れた紅葉は維茂へ顔を向けた。


「帝の使い走りよ、我を倒せるというなら、かかって参れ」


 右源太が先陣切って太刀を抜く。


「帝にあだなす妖鬼あやしおにたわけたことを」


 気合を込めて参陣を吠えた。

 

「参る!」


 走り寄る右源太の前にまゆみが立ちはだかる。

 太刀を打ち込む右源太。それは払い除けられ、長く伸びた右手の爪が襲いかかってきた。右源太の頬を掠めた爪の跡から、ぬるりと赤い血が落ちる。


「右源太! 大丈夫か」


 崩れそうになる右源太を支え、左源太が叫ぶ。太刀を走らせる。

 着物の袖を切り裂かれ露わになったまゆみの左腕に、左源太は返す太刀で赤い線を作った。


「鬼も、その血は赤いのだな」

「まあ、左源太様はそのようなこともご存知なかったのですか。わたくし達もあなた様も同じ、赤い血が流れているのですよ」


 まゆみに並んでかえでが言う。


「額に角があるというだけで、あなた様はわたくし達を討つと言われる。わたくし達が何をしたというのです」


 左源太の構えた太刀が震えた。


「だ、黙れ。お前達は維茂様の、帝の敵なのだ。降参すると言うのなら……」

「助けてくださる、と?」

「う……」


 かえで妖艶ようえんで悲しげな目が左源太を見つめた。


「助けてはくださらないでしょう。ですから……」


 吊り上った口から牙がのぞく。


「ここで死んでください」


 低い声と長い黒髪が左源太の首に巻きつく。


「鬼女の髪は容易たやすくは切れませんよ。ふふ、あなた達は紅葉様に手を上げたのです。この牙で噛み砕くような慈悲を与えはしません」


 髪がぎりぎりと巻きついて締めつけてくる。抗っていた左源太は、やがて太刀を取り落とし白目をいた。


「この……っ! よくも左源太を!」


 右源太が太刀を向ける。

 かえでは左源太を放り、まゆみと二人、右源太にその力を向けた。

 ……はずだった。


「……? な、何?」

「楓!?」


 かえでの腹から背を、刃が貫いている。維茂が吠えた。


「鬼めが調子に乗るな!」


 があっと血を吐くかえでの体が地に伏した。

 維茂が左源太の体を抱き上げる。


「左源太、しっかりしろ! 左源太!」

「楓!」


 まゆみの悲痛な叫びがそれに被る。


「人間ごときが我らを傷つけるなど。許せぬ!」

「檀……待ちゃれ」

「なぜ力が戻らぬ、なぜ傷がふさがらぬ! 楓! 気をしっかり持て」

「この太刀、先程の、ものとは違う……心して……も、紅葉……様……」

「おのれ……おのれ維茂、殺してやる!」


 まゆみが拳を握り飛び出した。右源太が避ける。その拳の逆から、また爪が襲い来る。

 右源太の太刀がそれを止める。

 もう一度放たれる拳が、先程裂けた頬に当たった。


「檀、すまぬ、遅うなった」

「楓⁉ これは……維茂が仕業か⁉」


 その場に到着した錦とはぜが太刀を構える。

 維茂は鬼女二人と斬り結ぶ。切り落とし、巻き上げ、あしらいつつも徐々に押し込む。

 さすがに技量は維茂が上のようだ。


「錦!」

「あ、あ……」


 はぜの構える太刀を折り、手を返して伸ばした維茂の太刀がにしきの首を貫く。

 引き戻してその首を跳ね飛ばす。


「おおおおお!」


 振り絞るように声をあげた維茂は、血振るいもせず眼前に迫るはぜの両手を切り飛ばし、刃を胸元に突き入れた。


「右源太! そちらは大丈夫か」

「こちらはお任せ下さい。維茂様は紅葉めを!」


 維茂は刀身を拭い、改めて紅葉に対した。


「更科姫、いや鬼女紅葉、帝の命により討たせてもらうぞ」

「フン、たかが人間が何を言う」


 どれ程に太刀をひらめかせようと、紅葉には軽くあしらわれる。

 捌いても捌いても紅葉の太刀は維茂を切り刻む。


「それ、どうした。鎮守府将軍なのであろう? 少しは骨のあるところを見せよ」

「チッ」


 さしもの神剣も紅葉には効かぬのであろうか。

 切り上げた太刀を、がちりと紅葉が止める。


「我はのう、宮中を見てみたかったのだ。女達は衣を縫い、菓子をつまみ、小鳥のようにさえずる。帝の寵愛ちょうあいを競って足を引っ張り合うのは我の趣味ではなかったのでな、それには関わらなんだが、はたから見る分には随分と面白いものだったぞ」

「なぜ、そんな話をする」

「そういう暮らしをしてみたかったのだ。ひなの暮らしには飽いたのでな、みやこの暮らしをしてみたかった……それで」


 きいんと高い音を立て、刃が離れた。


「それで、とは」


 二人は仕切り直しとばかりに構え直す。


「帝はなぜ我を追う? 我は帝に災いをもたらしてはおらぬぞ」

「帝は不浄の鬼を追い討てと仰せになられた」

「不浄……不浄か、なるほどあやしの者はきよくはない、か。それだけで我を追うたか。ふふ……ふはははは!」


 紅葉の目が少しだけ憂いを帯びたように見えたのは気のせいか。


「人間の世界に妖がいてはならぬか……うむ、そうかそうか。くふふふふ……」

「なにが可笑しい!」

「いや、すまぬな。のう、維茂。妖の世界も悪くはないぞ。せっかく来たのだ、お前は我の元においてやろうか」

たわけたことを」


 言葉だけは軽々と、じりじりと足をにじらせ切っ先は互いの急所を狙う。


「我と共に在るのも満更悪いものでもないと思うがな」

「ふざけた事を言うな!」

「……そうか」


 紅葉はため息をつくと困ったように微笑んだ。


「お前は、ほとほと厄介な男よの」

「どういう、意味だ」


 そういうところだと心のうちで紅葉は呟く。


「さてと、もうたわむれはよいわ。そういうことなら、もはや我の世界にも人間はいらぬ。来い、殺してやる」


 維茂の太刀が動いた瞬間、二人の間に風が割り込んだ。


「紅葉様!」


 維茂が突き入れた太刀をまゆみの体が止める。


「檀!?」

「もみ……じ様、お気をつけ、ください。これは、ただの太刀では……」

「檀! しっかりいたせ、檀!」


 紅葉は事切れたまゆみの体を横たえた。

維茂はぎちぎちと音を立てて燃えるような紅葉の視線を受け止める。


「その太刀……」

「これは八幡大菩薩より授かった神剣小烏丸よ」

「どうもおかしいと思っていた。そこらの太刀では傷すら負わぬ鬼の体、回復せぬのはそれのせいか!」

「鬼女紅葉、覚悟せよ。参る!」


 紅葉の太刀になぜか先程までの余裕がなくなった。

 維茂はじりじりと崖の際に紅葉を追い詰めていく。不意に何を思ったか、紅葉はだらりと太刀を持つ手を下げた。


「何のつもりだ?」


 維茂は慎重に小烏丸を構え直す。


「どうした、太刀を下ろした我には攻撃できぬか? やはり、帝の木偶でく人形は甘いのう」

「うるさい!」


 あざける紅葉の声にかっとなった維茂は、気合と共に紅葉を貫いた。

 紅葉はニッと口の端を上げるとつかごと維茂の手を掴む。


「これは……きついのう、命が吸われてゆく」

「離せ! 離さぬか!」

「のう、維茂。お前、北面ほくめんの警護にいていたことがあったろう」

「ああ」

「凛々しい若武者であったぞ」

「……紅葉?」


 不意に昔のことを言われ、維茂の抗う力が弱まった。


「共に逝こうかとも思ったが、やはり、やめておこう」


 その瞬間、紅葉は更科姫の顔で微笑むと、維茂の手を離し、とん、とその体を突いた。


 急に力が抜けて倒れた維茂が目を上げると、そこにはもう、紅葉の姿はなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る