第8話 紅葉狩 ―もみじがり―
峰のもみじ葉は山吹に、
「
侍女の指す先に紅葉がはらはらと踊る。
「ほんに。美しいのう」
「姫様の美しさも負けてはおりませんよ」
また別の侍女が扇で口元を抑えて微笑んだ。
「これは嬉しいことを言いおる。どれ、
更科姫が言うと、
「まあ、わたくしだって、そのように思っておりましたのに」
「ほほ、怒るでない。そら、おまえもお食べ」
侍女達と軽口を言い合い、ほろほろと笑うのは更科と呼ばれた姫である。侍女達と山に遊ぶ
そこへ、がさがさと落ち葉を踏む音と、話し声が近づいてきた。
「
「これ、
木々の間を抜けてくる姿がちらちらと見え隠れする。
「
「わかっておる、
言った言葉も消えぬうちに、あっと声が上がる。どうやら足を滑らせたらしい。
小道から
「これは失礼、先客がおられたか。私は平維茂と申す」
維茂は慌てて従者の手を払い、身なりを正して言葉をかけた。
名乗られたからには、彼女達も名乗らぬわけにはいかないだろう。侍女は少しだけ苦い顔をした後、きっと顔を上げた。
「こちらは
「なるほど。いや、我らも鹿狩りの下見をしておりましたところ、お恥ずかしいことながら少々迷ってしまいまして。川沿いに
あまり人の口には
くすりと
「申し訳ありませぬ。忍び笑いなど、お恥ずかしいところをお見せしてしまいました。内緒にしてくださいませね」
参ったなと維茂が苦笑を返す。
「いや、こちらこそすまぬ。そんなわけで紅葉狩に予定を変えたのだが……更科殿は良い場所をご存知だね」
「ええ、ほっかりと
突然の申し出に維茂主従は、いやそれは、と遠慮をみせた。
「更科殿の気に入りの場所に、我らのような
「ここでお会いしましたのも何かのご縁でございましょう。それに、
「やあ、そこまで申されるのをお断りするのもよくないな。では、共に秋の日を楽しむと致そう」
そういうわけで、更科姫と維茂は共に
「さあ、維茂様、もう
「右源太様も、左源太様も。もっと召し上がれ」
美女に酒を勧められて、結構と断るような
「ああ、
酔いにまかせて維茂が
だが、とってつけたような褒め言葉に侍女達は口元を覆ってまぜ返した。
「確かに美しゅうございますものね、紅葉は
「その美しい景色の中で、愛しい相手を呼ぶ鹿を狩ろうとなさっていたのですか?」
「まあ、怖い」
「いけませんわ。そのように恋路を邪魔なさっては馬に蹴られてしまいますわよ。あら失礼、鹿でしたわね」
はらはらと落ちる紅葉に侍女達の笑いが乗る。
「しまった。これはかなわぬ」
顔をしかめ
維茂の手にした盃に、すい、と紅葉のひとひらが舞い降りた。
ほう、と思わず声を上げる。
しばらく
「良き
そう言って酒を飲み干した。
「……もし、維茂様」
「右源太様も、左源太様も起きてくださいまし」
「維茂様、
侍女達は口々に維茂主従に声をかけたが、どうにも起きそうにない。
「姫様……」
「眠ってしまわれたようですね」
「はい」
更科姫と侍女は目配せをすると、そっと立ち上がった。
「一度、
「はい、姫様」
「このまま
扇で隠す更科姫の口元に長く
◇◇
「維茂、起きよ。ここは敵陣ぞ」
「うっ……だれ、だ……ここは?」
ぼんやりと
「私は
「あれが、鬼……あの姫君が鬼?」
「そなたに神剣『
頼むぞと言った山神の声は小さく、小さくなっていった。
◇◇
「更科姫……いえ、
「
「やはり、あの者共は我らを
楓と呼ばれた侍女は、姫の名を言い換え、下げていた頭をあげる。その
「
「迎え撃つ支度を致しましょう」
口々にそう言う侍女の額には、いずれも二本の角があり、きりきりと引き結ばれた口元から牙がのぞく。
「
「紅葉様!?」
「なに、
「お優しいこと」
「では行って参ります」
錦は
「楓と
「はっ!」
支度を命じ終えた紅葉は
「帝め……よくも邪魔をしてくれた。たかが
維茂が目を覚ますと、辺りは異様な雰囲気に包まれていた。
先程までの
右源太、左源太も、そろそろと辺りを警戒しながら維茂を背後に
「維茂様、これは」
「うむ、やはり間違いない。あの女達が
「ははっ!」
帝は朝廷にて
その結果は「
そこからまた気配を追っていくと戸隠は鬼無里に辿り着いた。
「油断するな。どこから来るかわからぬぞ」
辺りに目を配る維茂を、侍女達の声で鬼が
「これだから人間は」
「わたくし達が不意打ちなど、つまらぬことをするものか」
目の前に現れた侍女、いや
続いてゆるりと現れた紅葉は維茂へ顔を向けた。
「帝の使い走りよ、我を倒せるというなら、かかって参れ」
右源太が先陣切って太刀を抜く。
「帝に
気合を込めて参陣を吠えた。
「参る!」
走り寄る右源太の前に
太刀を打ち込む右源太。それは払い除けられ、長く伸びた右手の爪が襲いかかってきた。右源太の頬を掠めた爪の跡から、ぬるりと赤い血が落ちる。
「右源太! 大丈夫か」
崩れそうになる右源太を支え、左源太が叫ぶ。太刀を走らせる。
着物の袖を切り裂かれ露わになった
「鬼も、その血は赤いのだな」
「まあ、左源太様はそのようなこともご存知なかったのですか。わたくし達もあなた様も同じ、赤い血が流れているのですよ」
「額に角があるというだけで、あなた様はわたくし達を討つと言われる。わたくし達が何をしたというのです」
左源太の構えた太刀が震えた。
「だ、黙れ。お前達は維茂様の、帝の敵なのだ。降参すると言うのなら……」
「助けてくださる、と?」
「う……」
「助けてはくださらないでしょう。ですから……」
吊り上った口から牙が
「ここで死んでください」
低い声と長い黒髪が左源太の首に巻きつく。
「鬼女の髪は
髪がぎりぎりと巻きついて締めつけてくる。抗っていた左源太は、やがて太刀を取り落とし白目を
「この……っ! よくも左源太を!」
右源太が太刀を向ける。
……はずだった。
「……? な、何?」
「楓!?」
「鬼めが調子に乗るな!」
があっと血を吐く
維茂が左源太の体を抱き上げる。
「左源太、しっかりしろ! 左源太!」
「楓!」
「人間ごときが我らを傷つけるなど。許せぬ!」
「檀……待ちゃれ」
「なぜ力が戻らぬ、なぜ傷が
「この太刀、先程の、ものとは違う……心して……も、紅葉……様……」
「おのれ……おのれ維茂、殺してやる!」
右源太の太刀がそれを止める。
もう一度放たれる拳が、先程裂けた頬に当たった。
「檀、すまぬ、遅うなった」
「楓⁉ これは……維茂が仕業か⁉」
その場に到着した錦と
維茂は鬼女二人と斬り結ぶ。切り落とし、巻き上げ、あしらいつつも徐々に押し込む。
さすがに技量は維茂が上のようだ。
「錦!」
「あ、あ……」
引き戻してその首を跳ね飛ばす。
「おおおおお!」
振り絞るように声をあげた維茂は、血振るいもせず眼前に迫る
「右源太! そちらは大丈夫か」
「こちらはお任せ下さい。維茂様は紅葉めを!」
維茂は刀身を拭い、改めて紅葉に対した。
「更科姫、いや鬼女紅葉、帝の命により討たせてもらうぞ」
「フン、たかが人間が何を言う」
どれ程に太刀を
捌いても捌いても紅葉の太刀は維茂を切り刻む。
「それ、どうした。鎮守府将軍なのであろう? 少しは骨のあるところを見せよ」
「チッ」
さしもの神剣も紅葉には効かぬのであろうか。
切り上げた太刀を、がちりと紅葉が止める。
「我はのう、宮中を見てみたかったのだ。女達は衣を縫い、菓子をつまみ、小鳥のように
「なぜ、そんな話をする」
「そういう暮らしをしてみたかったのだ。
きいんと高い音を立て、刃が離れた。
「それで、とは」
二人は仕切り直しとばかりに構え直す。
「帝はなぜ我を追う? 我は帝に災いを
「帝は不浄の鬼を追い討てと仰せになられた」
「不浄……不浄か、なるほど
紅葉の目が少しだけ憂いを帯びたように見えたのは気のせいか。
「人間の世界に妖がいてはならぬか……うむ、そうかそうか。くふふふふ……」
「なにが可笑しい!」
「いや、すまぬな。のう、維茂。妖の世界も悪くはないぞ。せっかく来たのだ、お前は我の元においてやろうか」
「
言葉だけは軽々と、じりじりと足を
「我と共に在るのも満更悪いものでもないと思うがな」
「ふざけた事を言うな!」
「……そうか」
紅葉はため息をつくと困ったように微笑んだ。
「お前は、ほとほと厄介な男よの」
「どういう、意味だ」
そういうところだと心のうちで紅葉は呟く。
「さてと、もう
維茂の太刀が動いた瞬間、二人の間に風が割り込んだ。
「紅葉様!」
維茂が突き入れた太刀を
「檀!?」
「もみ……じ様、お気をつけ、ください。これは、ただの太刀では……」
「檀! しっかりいたせ、檀!」
紅葉は事切れた
維茂はぎちぎちと音を立てて燃えるような紅葉の視線を受け止める。
「その太刀……」
「これは八幡大菩薩より授かった神剣小烏丸よ」
「どうもおかしいと思っていた。そこらの太刀では傷すら負わぬ鬼の体、回復せぬのはそれのせいか!」
「鬼女紅葉、覚悟せよ。参る!」
紅葉の太刀になぜか先程までの余裕がなくなった。
維茂はじりじりと崖の際に紅葉を追い詰めていく。不意に何を思ったか、紅葉はだらりと太刀を持つ手を下げた。
「何のつもりだ?」
維茂は慎重に小烏丸を構え直す。
「どうした、太刀を下ろした我には攻撃できぬか? やはり、帝の
「うるさい!」
紅葉はニッと口の端を上げると
「これは……きついのう、命が吸われてゆく」
「離せ! 離さぬか!」
「のう、維茂。お前、
「ああ」
「凛々しい若武者であったぞ」
「……紅葉?」
不意に昔のことを言われ、維茂の抗う力が弱まった。
「共に逝こうかとも思ったが、やはり、やめておこう」
その瞬間、紅葉は更科姫の顔で微笑むと、維茂の手を離し、とん、とその体を突いた。
急に力が抜けて倒れた維茂が目を上げると、そこにはもう、紅葉の姿はなかった。
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