ドッペルゲンガー

 助手は今、あろうことか山中で遭難しかけていた。山の中にある博士の研究所は大変迷いやすく、道が複雑であった。そのためいくらその道を通っていようと、たった一つ道を間違えてしまったら研究所へ辿り着くのは至難の技なのだ。しかし時刻は昼近くだったため、助手はそれほど焦っていなかった。獣道を進み、なるべく上を目指してのんびりと歩くのだった。歩きながら観察する木々の中に、隠れている小鳥や動物、虫が姿を現すのを助手は一つの楽しみにしていた。完全にそれらに夢中になっていた助手は、後ろから声をかけられ驚いた。それも特別聞き馴染みのある声だった。助手は声の違和感に気付きながらも、ゆっくり後ろを振り返る。助手はその声の主を見て、一歩後ずさった。


 目の前の彼は、助手そっくりだった。服装も、顔も、体格も、そして声も。鏡写しのように感じるほど容姿がにていた。その瞬間、助手は子供の頃に聞いたそれをふと思い出した。

 『ドッペルゲンガー』


他の名では『自己像幻視』とも言われるそれは、自分自身の姿を自分で見る幻の事である。助手はそのようなことを反芻し、「これは幻覚である」と言い聞かせた。しかしどうにも幻とは思えないほどリアルだった。服のたなびき、そこから聞こえる音。全てが本物だった。そして助手はまた、不吉な噂を思い出した。それは、ドッペルゲンガーに会うと死ぬ。と言う子供が好きそうな幼稚な都市伝説であった。助手の子供の頃からあったその噂が、今目の前で起きようとしている事に恐怖を覚えた。助手は不意に気分が悪くなった。身体中から冷や汗が出ているように感じ、助手は身震いした。

「どうか、しましたか?気分悪そうですけど…」

その声を聞くだけで助手は焦燥感が増した。しかしまだドッペルゲンガーと決めつけるのは良くない、と助手は思った。まだ助手は、彼の名前を知らないのだ。同名であってこそのドッペルゲンガーであり、それを知らない以上はドッペルゲンガーになり得ない。そんな都市伝説の穴を見つけ、助手はとにかく早くここから逃げることを選んだ。

「…いえ、すいません。体調が、悪いもので…それでは」

「ああ、ちょっと待ってください」

全てを知っているかのように、彼は笑って助手に話しかけた。

「道に迷ってるんです。街にはどうやって行けば良いでしょう?」

助手は彼を遠ざけるチャンスだと信じ、早口にでたらめな道順を言った。

「ありがとうございます。では…」

手を振りながら見えなくなっていく彼の姿を見終わり、助手はがくりと腰を降ろした。額の汗を拭い、深呼吸してからまた歩き始めた。しばらくして、念願の研究所にようやく辿り着いた。助手は博士にあの不可解な現象を話し、解明してもらう事にした。すると博士はこんな事を言った。

「ああ、会ってしまったか。実は見た目人にそっくりな自立歩行ロボットを作ったのだが、そのモデルを君にしていてね。勝手にどっか行ってしまうものだから困った物だったよ」

肩の力が抜けた感覚を味わった助手は、その後博士に怒りの意を露にした。博士はそれとなしにやり過ごし、研究の続きをするようだった。助手はうんざりし、自分も仕事を進める事に専念した。しかし博士は首をかしげ、不満の声を漏らした。

「何もしてこない無害なロボットのはずなのになあ…そんなに怖いかね」

「いやいや、声をかけてくるだけでも十分有害ですよ」

博士は何かがおかしいと言う顔をし、続けてこう言った。

「話しかける…?話す機能もつけてないはずなのだが…」

「じゃあ、僕が見たものは一体…」


 この山はよく狐が見られると言う。



 

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