第24話 大内の圧倒
この回の主な勢力、登場人物(初登場を除く)
龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る国衆。少弐氏に従う
龍造寺
少弐氏 …龍造寺家を傘下に置く肥前の大名。大内氏と敵対
少弐
少弐
馬場
大内氏 …本拠は山口 中国、北九州地方に勢力を張る西国屈指の大名
大内義隆 …大内家当主
大友氏 …本拠は豊後府内、北九州に勢力を持つ有力大名 少弐氏と友好関係にある
大友
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天文二年(1533)四月六日、神埼郡石動村、大曲村にて、少弐勢と陶道麒、天野隆重らの大内勢は交戦──
戦は少弐勢の敗北に終わった。
急ぎ勢福寺城へと退かなくてはならない。
ところがその時、無情の雨が少弐勢には降りかかっていた。
雨と返り血と泥にまみれ、次第に水分を含んでいく衣服。
重たくなった足取りの我等を、道麒が見逃してくれるだろうか?
募る不安を抱いたまま、家兼は勢福寺城へと退いていった。
そして城も大内勢の襲来に備え、守りを固めなければならない。
家兼と諸将は城に着くと、すぐに興経と資元に謁見し、各々持ち場を決めて城の各所に散っていったのだった。
しかし──
「本当に殆どの兵が、無事に戻ってこれたのか?」
「はい、死傷者は僅かにござりまする」
算を乱して退却する少弐勢を、何故か大内勢は追撃しようとしなかったのである。
消耗がそれだけ激しかったのか? 土地勘がないため無理を避けたのか?
憶測が頭の中を巡る家兼に対し、さらに二日後、驚きの報せが届いた。
「申し上げます! 敵陣、すでにもぬけの殻にござりまする!」
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「我らの抵抗に道麒は恐れをなしたのだ」
笑みを浮かべ誇らしげに語る興経の声が、広間に響き渡る。
軍勢を解散してから十数日が過ぎたある日、今後の戦略について話し合うため、再び評定は開かれていた。
しかし興経の言葉に場は静まり返ったまま。
居合わせた家臣や国衆達の多くは、痛手を被り陶勢の強さが身に染みている。そのため当時、勢福寺城に居座っていただけの、彼の言葉を真に受けようとはしなかった。
白けた空気の中、家兼は興経に進言する。
「恐れながら、始めから道麒は、我らを滅ぼすつもりはなかったものと思われまする」
「何?」
「道麒は戦後、大宰府へと退き、西筑前へと派兵しておりまする。奴の目的はあくまで筑前平定。その際に我らが大友と連携を取らせぬよう、強襲してきたのでござる」
「ほう、何故そう言い切れる?」
「大内に対しては、我らと大友の連携こそが有効である、と指摘した者がおりまする。これをご覧下さりませ」
家兼はそう言って懐から一通の書状を取り出し、家臣を通じて興経と資元に披露した。
書状は対馬を治める宗氏からのものだった。
当時宗氏は、大内と少弐、両方に従属する「両属」の立場を取っていた。
しかし長年の友好から、重きを置いていたのは少弐であり、大内の実情を知らして来ることがあったのである。
書状には、大内に対し少弐は、大友と更なる連携を勧めるべきと記されていた。
「御館様(※興経のこと)、実はそれがしの所にも、同様の書状が届いておりまする」
そう言って書状を差し出したのは頼周だった。
宗氏は念のため書状を二つ用意し、少弐家中の有力者二人に届けていたのである。
「宗氏の申す事、真に
「おお、それは大宰府を奪回出来るかもしれぬという事か! ならば大友とすぐにでも協議を始めねばならんな!」
頼周の言葉に機嫌を良くした興経が、興奮気味に語る。
しかしその光景を、家兼は仏頂面で眺めるだけ。
やがて彼と視線が合った興経は、その意を察して途端に表情を曇らせた。
「頼周すまぬのう。目の前にいる爺が、それはなりませぬ、と目で訴えておるわ」
「早めに察して頂き恐縮でござる。先の戦で痛手を負った我らは今、とてもそれどころではござりませぬ」
「口を開けば、なりませぬ、ござりませぬ…… そなたの言葉はいつもわしを萎えさせる。もっとやる気を起こさせるような事を言えぬのか?」
「恐れながら、大宰府を奪回などと軽々しく申されるのは、大事なことを一つ、御館様が忘れておられるからでござる」
「何ぃ!」
「道麒は立花山城攻略の最中に、兵を割いてやってきたのでござる。当然、主力は立花山に残しているため、こちらに向かわせた兵はいわば余り物。それにすら敗れた我らが大宰府奪還するなど、夢のまた夢にござる」
「おのれ……したり顔でほざくでないわ!」
怒気を含んだ言葉と共に、興経は家兼目掛けて、所持していた扇子を投げつける。
しかし家兼は咄嗟に頭を下げ、難なくそれを避けると、平然と興経に向き合った。
殺伐とした空気が辺りを包む。その様子を見かねて仲裁に入ったのは、資元だった。
「止めんか、興経! 御老公はただ事実を述べただけ。負け戦の直後に、もう一度集まれと傘下の者達に命じるのは、確かに酷じゃ。しかし──」
そこまで言って、資元は家兼に向き直って尋ねる。
「御老公、ただ守りを固めておるだけではまずい。道麒の不意の侵攻に対応できる手立てが必要じゃ」
「御意にござりまする。それについて、それがしに考えがござる。ぜひ
「三根郡?」
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一方、前年から続いている筑前の大内、大友の抗争は、大友方の拠点の一つ、立花山城陥落により転機を迎えていた。
大内勢は勢いのまま西筑前へと向かうと、大友の筑前におけるもう一つの拠点、
これにより筑前全域を勢力下に収めることに成功し、九月、続けて筑後に攻め入ったのである。
さらに勢いに拍車を掛けたのは、同盟を結んでいた、肥後の菊池義宗(後の義武)の筑後出陣だった。
義宗は元は大友義鑑の弟で、菊池家を大友傘下に収めるために、当主に迎えられていた。ところが、義宗は独自の権力を確立しようと企み、大友家と手切れをし、大内と結んでいたのである。
翌天文三年(1534)閏一月十六日、大内勢は菊池勢と合同で、筑後の大友方国衆、星野親忠の
城は落ちて、親忠は逃亡を余儀なくされた。
また豊前においても、二月二十日、宇佐郡佐田荘において、大内方の国衆、佐田朝景の小勢に大友勢が敗北。名のある武将の首を十四挙げられてしまい、この方面の戦局も大内優勢へと傾いていった。
北九州における二強──大内と大友の抗争。
それは約一年半続いた末に、大内勢が大友領内を蹂躙する段階へと移っていったのである。
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そして同年二月──
陶道麒の軍勢が再び肥前に向かって進軍している、との報せが勢福寺城にもたらされた。
道麒は前回同様神埼郡に入ると、北部の三津山にある
「来たか。御老公、道麒の意図をどう読む?」
「以前とは違い、我らの殲滅を狙っておるやもしれませぬ。傘下の者達は出撃を避け、各々城に籠るべきかと存じまする」
「よし、ではそう皆に伝えよう。三根郡も抜かりなく頼む」
「心得ましてござる」
資元の命を受けた家兼は、すぐに三根郡の関係者に対し使者を走らせた。
三根郡は肥前でも東端に近い、肥前と筑後の国境に位置する郡である。
家兼はこの地で一揆(国衆や地侍達による連合軍)を新たに形成していた。大内勢の再侵攻に備え、国境の者達の動揺を抑えるためである。
計画は家兼の発案と、資元の指示により進められた。
まず東肥前において広大な寺領を持ち、少弐氏の祈祷寺である光浄寺に働きかけ、同寺に一揆の中心となってもらった。
その上で周辺の国衆、地侍達に参加するよう説得していったのである。
(肥前を大内の意のままにしてなるものか!)
資元との謁見を終えた家兼は、三根郡一揆に思いを馳せて、東の空を睨む。
おそらく肥前の東端はこれで大丈夫だろう。
一方、道麒は今回山に陣を張った。長期戦も辞さないつもりなのだ。
この城で我らはどこまで持ち堪えられるだろうか?
家兼はその後、水ヶ江に使者を遣わし、軍勢をこちらに派遣するように命じた。
龍造寺にとって避ける事の出来ない戦が、まもなく始まろうとしていたのである。
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