第2章 少弐の実力者

第7話 馬場頼周

主な勢力、登場人物


龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る弱小国衆。少弐氏に従う

龍造寺家兼 …康家の五男 主人公。龍造寺分家の水ケ江家当主


少弐氏 …龍造寺家を傘下に置く北九州の大名

     大内氏に滅ぼされたものの再興を果たす

少弐資元 …少弐家当主

馬場頼周 …少弐家家臣 綾部城主



大内氏 …山口を本拠に、中国、北九州に勢力を張る西国屈指の大名     

筑紫満門 …東肥前大身の国衆。少弐傘下だったが、大内に攻められて降伏する


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 龍造寺家が三家体制になってから、十数年の歳月が過ぎた。


 この間、肥前は比較的平穏な時代を迎えていた。大内氏が大友氏と和睦した後、上洛へと動き、大きな動乱が生じなかったためである。

 

 そして龍造寺家では代替わりが進んだ。

 与賀龍造寺家においては胤家の養子盛家が、村中龍造寺家では家和の嫡男胤和、そしてその死後、弟の胤久がそれぞれ当主に就任。


 しかし水ケ江龍造寺家では相変わらず家兼が当主の座に有った。この時彼は七十歳。

 その立場は五男坊の分家当主から、一族の長老として、甥である若き龍造寺当主達の補佐へと変わっていた。



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 迎えた大永三年(1523)秋、少弐資元の招集を受けた家兼は、評定のため勢福寺城へと向かった。

 龍造寺家は再興した少弐氏と再びよしみを通じて傘下に入り、評定に参加するようになっていたのである。



 その席上、一人の新参国衆が資元に対して、進言した事が事の発端だった。


「筑紫を討伐せぬかじゃと?」

「はっ、筑紫満門は西千葉家や、御館様(※資元のこと)に従う家臣、国衆達に睨みを効かせ、大内に尻尾を振る犬にござる。そしてあろうことに御館様より大きな領地を持ち、東肥前の脅威となっておりまする」


「無理なのじゃ」

「えっ?」

「すでに何度も討伐の話は議題に上った。が、奴に隙が無いと何度も先送りしてきたのじゃ、のう頼周よりちか


 そう言って資元は、下座の一番手前に控える壮年武将に声をかけた。少弐家臣で綾部城主の馬場頼周である。


 彼は「左様」と応じると新参国衆の方を向いた。

 目を細め、眉間に漢字の「川」に似た皺をよせて、である。怒っているのではない、もともとそういった顔なのである。しかし初めてみた者は一様に思うだろう、気難しいそうな人だなと。


「あまり褒めたくはないが、奴はひとかどの武将。ゆえに政資様は大宰府から落ち延びる際、嫡子の高経様を奴に預けた。大内は奴を肥前三郡(佐嘉、三根、神崎)の代官に任じた。家臣領民はよく服しており、隙が無いのだ」


「しかし、だからと言って指をくわえ、見ているだけで良いのか? 貴公は満門の娘婿であると聞いた。何ぞ調略でも試してみたのか?」

「当たり前だ。昔の様に御館様の元に戻って下され、と何度も書状を送っておる」


「何とまあ……ひとかどの武将に正直にお願いしてどうする、からめ手を使わぬか、搦め手を」

「搦め手? 満門家臣に内応を促したり、境目の砦を焼き討ちしたりとかか? 何度も考えてみたわ、隙が無いのじゃ。同じことを二度も言わせるな」



 それは満門に手の打ちようがない事への諦めからか、頼周の頼りなさを嘆いたものか。

 新参の国衆は皆にアピールするかのように、視線を逸らして大きな溜息を一つついてしまった。

 頼周はそれを後者と受け取ったのだろう。瞬く間に彼の眉は吊り上がり、新参国衆を睨みつけていた。


「何だ今のは! 筑紫の内情もろくに知らず、絵空事を並べただけの分際で無礼であろう!」

「絵空事とは聞き捨てならず! 現状を打破すべく進言したものを、無礼は貴殿であろう!」


「それがしは御館様旗揚げの時から奉公し、筑紫の内情をこの中で最も熟知しておる。間違いない! 新参者の猿知恵など聞く耳持たん!」

「と申しておきながら、実は舅を裏切る事は出来ないゆえ、無理だ、隙が無いと言い訳を並べておるだけではないか! 」

 

「まあまあ、両名とも落ち着け。筑紫については特効薬はない。じっくり相対するしかないのじゃ」


 と、慌てた資元が仲裁に入る。

 しかし二人の意見の相違はやがて感情のもつれと変わり、醜い罵り合いになってしまう。

 困った資元は、ついに家兼に目で合図を送ってきた。

 長老の家兼に何とか場を収めてほしい、と言う事なのだろう。そう察した家兼は、「いい加減にせぬか!」と大喝すると、新参の国衆に告げた。


「そもそも筑紫討伐と言っても奴の城、勝尾城は巨大。我らの兵力では長期戦は避けられまい。すると筑前守護代あたりが、筑紫に援軍を差し向けてくるであろう。そうなれば終いじゃ。逆襲を喰らい、政資様と同じ道を歩む事だけは避けねばならん」


「では御老公(※家兼のこと)も、このままで良いとお考えでござるか⁉」

「短期で大きな打撃を与えられれば最良であろうが、頼周が出来ぬのなら……」


 と、家兼が頼周の名を口にした途端だった。待ち構えていたのか、脊髄反射の如く頼周はその発言を遮って告げた。


「だから何度も申した通り、隙が無いのでござる!」

「分かっておる。筑紫に詳しいそなたが無理だと言うなら、それまでの話じゃ。だが一つだけ確認しておきたい。そなた、正門とは話合ったのか?」

「正門?」



 首をかしげている新参国衆に対し、家兼は正門について説明した。


 筑紫正門、筑紫一族の宮尾城主である。


 実は大内の攻撃を受けて降った筑紫氏だったが、この時より家中が二つに分裂していた。一つが大内についた満門派、そしてもう一つが少弐を支え続けていた正門派である。

 以後、永禄二年(1559)に統一されるまで、筑紫氏家中ではこの二派が対立して存在し続けることになるのだった。



「知らなんだ、我らに味方する筑紫一族がいたとは。御館様、その者と連携を取れば、満門を亡き者に出来るのではござりませぬか?」

「難しいと思うがのう…… それでも我こそが満門を討ち取ってみせる、と名乗り出る者がおれば止めはせぬが」


 と資元は広間にいた家臣、国衆達に呼びかけてみる。

 しかし一人一人名指しで意見を求めても、返事はどれも同じだった。


「いやあ、ここは馬場殿しかおりますまい」

「馬場殿なら上手くやりましょう」

「それがし策謀は不得手ゆえ、馬場殿の方が適任にござる」


 どの者からも馬場、馬場の連続逆指名だった。予想外の展開だったのだろう、思わず数名の口から笑い声が零れ落ちる。

 興奮冷めやらぬ頼周がそれを見落とすはずがない。彼の顔は再び真っ赤になった。


「もうよい! 貴公等は、それがしを侮辱し陥れるために、口裏を合わせて参ったのであろう、きっとそうじゃ、間違いない!」

「落ち着け頼周、無理な事は重々承知しておる。わしから強いることはせぬ」


「いいえ御館様、男たるもの侮辱されたからには、必ず見返してやらねば恥でござる。それがし今より拠城に戻り、作戦を練った上で見事満門を謀殺し、ここにいる諸将の度肝を抜いてみせまする!」


「え、出来るのか⁉ そなた隙が無いと何度も……」

「では、これにて御免!」



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「と、言うわけじゃ。全く、その場に大内や満門と内通している者がいるやもしれぬのに、堂々と謀殺宣言とは。粗忽そこつと言うか、大胆不敵と言うか」

「聞くだけなら面白き御仁にござりますな。関わるのは御免蒙りたいですが」



 水ケ江城に帰ってきた家兼は、長男家純に評定の次第を告げていた。

 顔こそ家兼にそっくりだが、大人しく心優しい性格の持ち主だった家純は、この時すでに中年の域に達し、子供も数人儲けていた。

  


「頼周の父親は、政資の時から再興まで付き従った忠臣じゃ。その姿勢を見て育ったゆえ、奴も父の様にありたいと思っているのだろう。しかし如何せん怒りやすい上に、脇が甘い。あの言動では危うすぎる」

「では、忍びを使い見張っておきますか?」




 家兼は深く頷いた。自分の心配が杞憂であればいい。

 そう思う一方で、得体の知れない危機感を拭い去る事が出来なかった。


(将来、少弐の家を危機に陥れるのは、あのような者ではないのか?)



 ところが翌大永四(1524)正月、水ケ江城に届いた急報に家兼は驚愕した。


 頼周が満門を綾部城に誘い入れて、見事討ち取ったというのである。



 

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