短編集「山小屋にて」

青切

山小屋にて

 その山小屋は、いつ建てられたのか見当もつかない代物であったが、すきま風が吹くこともなく、四人の男たちを吹雪から守っていた。


 小屋は、夏に男四人が寝るには狭すぎたが、今は真冬である。

 防寒具を着込んだ男たちが、寒さから身を守るには具合がよかった。



 天井に吊るされた電池式のランタンが、男たちを照らしている。

「もう午後二時だよ」

 デジタル時計を見ていた男の一人が、まくったブルゾンの袖を戻した。


 小屋には窓がなく、外の様子は一切わからなかったが、その点について難癖をつける者はいなかった。

 いまも、小屋の壁を吹雪が叩いている。

 もし窓などがあれば、とっくの昔に、窓ガラスは割れていたかもしれない。



「もう一日以上、この中にいるわけか」

 別の男が、諦めた口調でため息をついた。

 それに対して、言葉を返す者はいなかった。



 四人の男たちは知り合いではなかった。

 それぞれが単独で山に入り、悪天候のために、この山小屋で足止めを受けていた。


 ひとりが小屋で体を休めていたところ、天候が一気に崩れだし、別のルートで登って来たふたりが加わり、最後のひとりが山頂から下りて来た。



 四人は身を寄せ合いながら、自己紹介をしたが、出身地や学校に加え、職業も異なっていた。

 ただ、出身県こそ同じではなかったが、全員が豪雪地帯の生まれであった。


 年は、全員が四十代前半だった。

 四人とも、すでに社会的な成功を果たしていたが、現時点で独身であり、子供はいなかった。



 小屋の中は冷え切っていた。

 一斗缶とまきが、小屋の隅に置かれてはいた。

 しかし、一酸化炭素中毒の恐れがあったので、火は焚かずにいた。



 登った山での体験、仕事、その他の趣味。

 男たちは様々な話をして、寒さを紛らわし、時間を潰した。


 だが、山小屋に閉じ込められて一日が過ぎると、話すことがなくなってしまった。

 前夜に、四人は睡眠を十分に取っていたので、さらに寝て時間を潰すわけにもいかなかった。



 長い沈黙ののち、だれかが新しい話題を思いつく。

 その話題が一段落いちだんらくすると、また、吹雪の音だけが、小屋の中を支配する。

 朝からその繰り返しであった。



「おや、いいものがあるぞ」

 立ち上がって屈伸をしていた男が、積まれていた薪の裏から、水色の大瓶を三人に見せた。

 それはウオッカであった。


「飲んでも大丈夫そうだな」

 別の男が恐るおそる味見をした結果を告げると、だれから言うでもなく、食事の用意がはじまった。



 四人は車座になり、それぞれのコップに酒を注いだ。

「これはうまそうだ」

 輪の中心に携帯コンロが置かれ、その上の鍋には、持ち寄った具材で作られたスープが煮えていた。

 その周りに、男たちは、各種の缶詰や木の実を並べた。


 吹雪の壁を叩く音が激しくなる中、男たちは、黙々と腹を満たし、杯を進めた。



 やがて、最後の一杯が、それぞれのコップに注がれ、酒瓶が空になると、男のひとりが立ち上がり、瓶を元の場所に戻した。

 その際、紙幣を四枚、瓶の下に置いた。



 料理もすべて片付き、携帯コンロの火が消された時だった。

 ゴン、ゴゴン。

 誰も口を開く者がいない中、コップに残っている酒に目を落としていた男が、彼の背後で小屋を突いた強風の音に驚き、思わず、何もない壁を振り返った。


 しばらく凝視したのち、男は三人の方へ振り返り、苦笑いを浮かべた。

 そして、口を開いた。

「どういうわけか、今の音で思い出した。きのうの、なぜ結婚をしないのかという話の中で、仕事が忙しいからと答えたけれど、もう一つ、理由があったよ」

 三人の視線が、男に集まった。


「小学校六年生の秋の終わりに、ひとりの転校生が来たんだ。確か、ユキコちゃんだったかな。肌が真っ白でね。周りは陰で、本当に日本人なのかと噂をしていた」


 聞き役の一人が「真っ白」とつぶやくと、男はひとつうなづいた。

「冬のある日、その子とふたりきりで、学校の帰りに僕の家へ向かった。白い肌に白い服の女の子が、雪道ゆきみちを歩いているものだから、長い黒髪だけが宙に浮かんでいるみたいで、不思議な光景だった。なのに、今の今まで忘れていたなんて、年は取りたくないね。ここだけの話、その子が僕の初体験の相手でね。彼女が忘れられないというのも、女性と深い付き合いをしてこなかった理由だと思う」


 中身の少ないコップに向かって、話をしていた男が視線を上げると、三人の誰とも視線が合わなかった。

 三人とも、何か考えている様子であり、小屋の中に、今までとちがう沈黙が訪れた。



 ゴン、ゴゴ、ゴゴン。

 静けさを破ったのは、今までにない突風であった。

 ランタンが大きく揺れた。


「すごい風だな」

 話し終えた男のつぶやきに応じない代わりに、三人のうちの一人が尋ねた。


「それで、その子とはどうなったんだい?」

 しばらくの静寂ののち、問いかけへの返答が、山小屋の中に響いた。

「どうだったかな……。そうだ。卒業式の直前に姿を消したんだ。突然。あいさつもなく。あんなに落ち込んだのに、なぜ、今のいままで忘れていたのだろう」


 別の男がさらに質問を加えた。

「ゆきこは、どういう漢字?」

「確か、有る無しの有るに、希望の希だったと思うよ。それにしても、変な質問をするね?」


 続いて、黙っていた最後のひとりが、男をまっすぐに見据えてたずねた。

「その子には何か、口癖みたいなものはなかったか?」


 問いかけられた男に、三人の視線が集中した。

 男は不審の眼差しで彼らを見返した。

「どうしたんだい。三人とも?」



 ゴオ、ゴオ、ゴゴン。

 吹雪の音が強くなる一方だったので、自然と男たちの話声も大きくなった。

「何かあったかもしれないけど、忘れたよ。なにせ、三十年前の話だからね。僕が話し出してから三人ともおかしいぜ。いったいどうしたんだよ?」


 別の男が、三人に向けて手招きした。

 四人の顔が近づいた。

「実は、私も、似たような体験をしたことがある。私の場合は中学校二年生で、女の子の名前は、自由の由に、貴族の貴で、由貴子だった。急に転校してきて、突然いなくなった。何か約束のようなものをしていた気もするが、思い出せない」

「そんなバカな。本当か?」


「悪いが、俺も同じだ。俺は高校一年生の時だった。女の下の名は、確か、優勝の優に、樹木の樹で、優樹子だったな。なぜ、今まで忘れていたのだろう。あと、まだ、思い出せないでいることがある。彼女を抱くたびに、何か同じ話を聞かされていた気がするのだが」


「信じられない。似たような体験をした三人が、偶然、この山小屋で出会うなんて」

 最初に思い出を語った男が、荒れ狂う吹雪の音に負けない大声で叫んだ。


 ユキコとの遭遇を彼に打ち明けた二人は何も答えず、先ほどから黙っている四人目の男へ、ゆっくりと顔を向けた。



 吹雪の小屋に対する攻撃は勢いを増すばかりであった。

 ガン、ガガガン、ガン。

 風が当たるたびに、吊り下げられていたランタンが激しく揺れた。


 乱れた光に映される男たちの顔は、四人とも蒼白であった。

 その中で、最も色素を失っていた、四人目の男が口を開きはじめると、激しい風がピタリと止んだ。


 ボソボソとした声が、小屋の床を這うように広がって行った。

「僕は、大学一年生の時だったよ。名前は、そのまま、今僕たちを襲っている雪の雪だった。ユキコは、僕がいま思い出し、君たちが忘れたままの約束を、彼女を抱いている間、何回も何回も僕にささやいて……」



「なにを約束したんだ。僕たちはユキコと?」

 三人が男に近づき、問いつめたときだった。



 ドン、ドン、ドン。

 小屋の重たい引き戸が、ハンマーを打ち付けるような突風に襲われ、数瞬ののちに、彼らの方へ静かに倒れてきた。


 その様子を見ながら、四番目に話した男が、独り言のようにつぶやいた。

「必ず守るように。守らないと……、必ず……」


「必ず、どうなるんだ?」

 四番目に話した男は質問に答えず、自分に声をかけている三人の背中、山小屋の戸口を指さした。

 三人は振り返り、男の指し示す方向を見た。



 戸口の先、吹雪舞う真っ白な景色の中に、黒い点が浮かんでいた。

 点は徐々に大きくなっていく。


 しばらくすると、四人には、それが何なのかがわかった。

 それは、女の長い黒髪であった。


 ユキコがこちらに、やって来る。

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