第17話:返すために

「なあ、エル。僕、手持ち無沙汰だからさ、昔話聞いてくれる?」


 蒸気機関の稼働する音だけが聞こえている部屋の中。シャルルの声が、その音に重なる。その声に答える声はない。それでも構わなかった。ただ、聞いてくれる相手が欲しかっただけだからだ。

 シャルルはベッドの傍に置かれていた椅子に腰を下ろし、すやすやと眠るエルムの背を眺めながら口を動かす。


「僕、フォルティア国出身なのは知ってるよね? そこで結構僕、いじめられてたんだよねー。ほら、僕のマギアがお人形さんだからさ、それが女っぽいって、馬鹿にされてたんだよね」


 物心ついたころから、シャルルは磁器人形ビスクドールと触れ合っていた。それは、マギアに人形を選んでいた母の影響もあったが、人形の衣服の美しさに幼いシャルルが心奪われたのが大きな要因でもある。

 きらきらの石がちりばめられ。ふわふわのフリルが身を彩り。色鮮やかな布地で作られたドレスを美しい陶器の白肌が纏う。その様が、好きだった。

 しかし、それを理解してくれる同年代の友人を、残念ながら作ることは出来なかった。魔術師であること関係なしに、だ。それが原因のイジメがあまりにもひどくなってきたため、シャルル一家は、国境を越えてすぐにあった魔女の隠れ里へ住居を移した。

 そこが、ランソンヌ村。フェイの暮らす村だった。


「最初、村に来た時は、フォルティアと同じ感じになると思ってたんだよね。人形なんて女の趣味だって馬鹿にされて、気持ち悪いって遠巻きにされるんだろうなって。それが嫌だったから、僕は家の近くの林とかでドミニクの衣装を作ったり、ドミニクの操作をしたりしてたんだよね。そこにたまたま来たのが、フェイちゃんだったんだ」


 シャルルは小さく笑い、そっと目を閉じる。瞼の裏には、あの日の情景が今でもありありと思い浮かぶ。


『あ、あの、こんなところで何されてるんですか?』


 声を掛けられ振り向いた先にいたのが、たまたま薬草を摘みにシャルルの家の近くの林へと来ていたフェイ。透き通るような白い肌と、きらきらとした宝石のような銀のが特徴的で。

 突然の人間の登場に目を丸くしていたシャルルを放って、フェイはその手の中にあったドミニクに興味を示した。


『素敵なお人形さんですね! それが、貴方のマギアですか?』

『そ、だけど……』


 面食らうシャルルの様子に気付くことなく、フェイはシャルルの傍へ寄ってきて、手の中にいたドミニクのことをまじまじと観察し始める。それを見て、シャルルは思わず彼へ問いかけていた。


『君……、これ、馬鹿にしないの?』

『ほへ?』

『その、今までは、人形なんて女の子が遊ぶようなもんだって、言われてたから……』


 それを聞いたフェイは、パチパチと瞬きを繰り返し、それからふにゃりと柔らかな笑みを浮かべる。


『人の好きな物を馬鹿になんてしませんよ。だって、貴方にとって大切なものなんでしょう?』


 ふふ。フェイは笑顔を見せたまま、シャルルへそう言う。フェイは何でもないような顔をしているが、シャルルにとっては目を丸くするような言葉でもあった。

 その言葉をどれほど待っていたか。両親以外は、誰も投げかけてはくれなかった言葉。それをまさか、初対面の人間に言われるとは。その時の衝撃は未だ忘れられない。


『……なあ、君、名前教えてくれる?』

『っあ、そ、そうですね、は、はい! わ、私、フェイといいます。フェイ・エインズリー。よろしくお願いしますっ』

『ん、仲良くしてな。僕は、シャルル』

『は、はい! え、えと、そのお人形さん、一緒に見てもいいですか? シャルルさん』


 そうして、シャルルとフェイは知り合い、二人は長い付き合いになっていくのだ。あの日交わした言葉そのものは、些細なものだ。だがしかし、そうであったとしても、シャルルにとっては彼を特別扱いするには十分な出来事だった。

 シャルルは当時の情景に思いを馳せつつ、ぺらぺらとかいつまみながら語り続ける。普段、シャルルと共に行動する相棒レオンが聞けば、そんなに喋るのかと目を見開くことだろう。空想上の相棒に、「お前が喋り過ぎなんだよ」と文句を付けつつ、くつくつと笑い声を零す。


「フェイちゃんって、誰に対しても真摯で優しいんだよ。そして、決して偏見の目を持たず、自分の思いを伝えてくれる。これってな、誰でも出来ることじゃない。心が強くないと出来ないことなんだよ」


 シャルルは、エルムの背に向けてそう言う。その背はピクリとも動かない。だが、それで良かった。


「エル。お前が出来るようなことが、フェイちゃんには出来ないことが多い。でも、逆も同じ。今のエルには、フェイちゃんの出来ることが出来ない、絶対に。それが、フェイちゃんしか持ってない強さだから。リーンの奴もそれを分かってるから、フェイちゃんとお前を組ませたいんだろうね」


 シャルルは小さく笑いかけ、ゆっくりと椅子から腰を上げる。


「あ、最後にお願いがあるんだけどさ。フェイちゃんのこと、本気で嫌いじゃないなら、ここに居るように引き止めてくれない? 僕の口から出る言葉、どうにも薄っぺらいみたいでさ、フェイちゃんの心に響いてないみたいだから」

「………なん、で?」


 そこでようやく返ってきた言葉に、シャルルは僅かに面食らい肩を揺らす。

 ベッドの中で静かに寝息を立てていたはずの青年──エルムが、じいっと長い前髪の合間から覗く緑の瞳で、シャルルのことを見つめていた。


「……なんで、ここに、おっ居らせたいん? あ、アイツが、かっ帰りたいんなら、かか帰らせたら、ええやんか」

「……今のあの村は、静か過ぎる。何も無いんだよ。変化のない生活って、一見は聞こえは良いけどさ、それが一年、二年とどんどん続いていったら、どこかのタイミングで発狂する。僕はそうなる気がして、早々にあの村からは離れたけど、フェイちゃんはあの精神力を持ち主だからね。今のところは苦ではないみたいだけど……」


 シャルルのそこで言葉を止めて、エルムの方へと改めて視線を向けた。


「僕はね、フェイちゃんに一人では出来ない楽しみを知って欲しいんだよ。ここに来るまでの単調な生活から、毎日誰かと関わり合う生活を楽しんで欲しいわけ。……エルも、そう思わない?」

「ぼ、僕は、べ、別に……」

「そう? リーンちゃんに連れて来てもらって、ヨキちゃんやトリッシュ達から色々教わってた時に、急に世界が色付いて見えなかった?」


 エルムはパチと瞬いて、それからふいっと視線をシャルルから外した。

 エルムの頭を巡るのは、掃き溜め通りローグ・ストリートからリーンハルトに連れ出され、<ふくろう>という場を通じて、様々な人間を感じ取った瞬間のこと。

 エルムの目が僅かに煌めいたのを見て、シャルルはエルムに笑いかける。


「僕はね、エルも感じたであろうその感情を、フェイちゃんにも知って欲しいんだよ。僕の心を救ってくれたお礼にね」


 シャルルの表情を、エルムはただただ見つめた。それは、勉強を教えてくれていた時の顔とも、レオンやヴァイオレット、ノーマと一緒になって遊ぶ時とも違う。初めて見る、柔らかな表情だった。エルムは驚くことしか出来ない。

 そんな時。バンといきなり扉が開かれ、中に一人入って来た。靴音を鳴らして入って来たのは、ヴァイオレット。

 帽子の下の顔が普段よりも強ばっているのを見て、シャルルがこてりと首を傾ける。


「どうしたの、ヴィーちゃん。いつもと様子が少し……」

「共鳴石が、割れたんす」


 そう一言。しかし、それだけでエルムとシャルルの体に緊張が走る。

 共鳴石は、ヴァイオレットとノーマの二人が、お互いの安否確認の為に、それぞれが所持しているマギアのことだ。相手の石が壊れると、それに連動してもう一人の持っている石も割れるような仕組みになっている。つまり、それが割れたということは、石を割らなければならないようなことがノーマに起こったということ。


「シャルルさん、今から会議室に向かってください。俺は、石の割れた場所探しに行くんで」

「ヴィーちゃん一人で分かるもんなの?」

「はい。今日、フェイさんとノーマで行く店は、俺も一緒になってあれこれ考えたんで、絶対にそこら辺には行ってると思うんで、その辺りを中心に見回るつもりっす。それに石の共鳴も使うんで、そこまで難しくないっすよ」

「ん、分かった。気を付けてね」

「っす」


 ヴァイオレットは短い返答を口にし、そのまま足早に部屋から出て行った。その様子から、彼が常よりも急いていることが伝わってくる。


「……それじゃ、お呼び出しかかったし、僕行くね。早めに行かないとヨキちゃんに怒られるし」

「ぼ、僕も、行くっ」


 エルムの声に、シャルルは目を丸くする。それに負けずに、エルムはもう一度声を上げた。


「も、もう僕、げ、元気やから! い、行きたい!」

「……リーンちゃんが止めたら、即ベッドに戻りだからね。ほら、着替えな」

「おん」


 素直にエルムは返事をし、のそのそとベッドから出てクローゼットの方へと向かう。その後ろ姿を、シャルルは嘆息しつつきちんと待つ。

 そして、ものの数分で普段の服に着替え終えたエルムを連れ、シャルル達は会議室へと向かって行った。

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