第5話:縁を結ぶ

「フェイさん。すまんけど、ちょいええか?」


 ヨキがフェイの借りている客室にやって来たのは、翌日の午後過ぎ。フェイがトランクの荷解きをしていたときであった。

 フェイは一旦作業の手を止め、急いで扉を開けに向かう。


「っすみません、お待たせして」

「いや、そんな待ってへんよ。気にせんといて。そっちも荷解きとか大変やろうし。入ってもええ?」


 フェイはこくりと頷き、「少し散らかってしまってますけど、どうぞ」とヨキを部屋へ迎え入れる。一言小さく断りを入れてから、ヨキは部屋へ入った。

 散らかっている、と評したフェイだが、ヨキの視点からはそうは感じられなかった。きちんと整理整頓しながら、テキパキとトランクの中のものを引っ張り出しているようである。

 ヨキが気分を害さない程度に視線を彷徨わせていると、フェイがその背に声を掛けた。


「よろしければ花茶かちゃはどうですか? 故郷の物を少し持って来ているので、お嫌いでなければ」

「あー……じゃあ少し貰ってええ?」

「はい! それじゃあ準備するので、椅子に座っててください」


 そう言って、フェイは客室に備え付けてある給湯室へ入って行く。嬉しいのだろう、足取りも軽やかだ。そんな彼の様子に、ヨキは苦笑を零すと共に少々呆れてもいた。

 もし、ヨキが悪人であったら。今、フェイの持ち物は取り放題である。金銭関係はもちろんのこと、魔術師にとって重要な道具──マギアを奪うことすらも出来てしまう。


「……シャルルは、魔女の隠れ里の出やって言うてたから、同郷のフェイさんも同じ教え、受けてそうなもんやけど」


 それにしては危機感があまりにも……、と思いつつ、ヨキは椅子に腰を下ろし、視線を動かして危険物が無いか目を配る。衣服、下着類、トランク、数冊の本、茶葉の入った瓶、携帯食料……。有り触れた旅の道具ばかりが目に付く中、ふとヨキの目にある物が止まった。

 書き物用机の上。透明なガラス瓶が、アルコールランプの上に置かれている。瓶の八分目まで液体が入っており、ぶくぶくと音を立てていた。沸騰しているその液体の中、小さな丸いものがくるくると踊るように回っている。丸いそれは、眼球だ。瞳は白濁とした乳白色。その色に、ヨキは見覚えがあった。


「準備出来ました。って、あ」


 柔らかな香りを立たせる花茶の入ったティーセットを持って来たフェイ。彼はすぐにヨキの視線の向く先に気付き、慌ててテーブルの上にティーセットを置いて、書き物机に駆け寄った。ランプの火を手早く消し、傍の黒布を掛けて隠す。手慣れた所作だ。

 ふ、とフェイの強ばっていた体から力が抜け、くるりとヨキの方へ振り返ると同時に、申し訳なさそうな表情を浮かべて頭を下げる。


「すみません、お見苦しい物をお見せして」

「いや、俺は気にせん。……あれ、昨日の風を起こした時に左目に嵌めてたやつやろ? あれが、あんたのマギア?」


 ヨキの問い掛けに、フェイは素直に頷いた。


「そうです。こちらの目、私にはないので。どうせ義眼を嵌めるのであれば、何もない義眼よりもマギアにした義眼の方が有効活用出来るかな、と。他のマギアよりは手がかかりますけど」


 ふ、とフェイは口元を緩める。その姿は儚げで、ヨキは一瞬押し黙ってしまう。その間に、フェイはトレイの上に乗せていたティーカップをテーブルに置き、紅茶をゆっくりと注ぎ入れていく。ふわりと柔らかな花の香りが、ヨキの鼻をくすぐった。


「ミルクか砂糖、入れます?」

「いや、ストレートでええよ。俺、あんま紅茶とか花茶の嗜みっちゅうのがないからよう分からんけど、これ珍しい?」

「どうでしょう? 私の住んでいたところでは、ポピュラーな花茶の一つです。スノウティア――雪涙花せつるいかと呼ばれる花を使った花茶で、渋みが少ないので飲みやすいですよ」


 にこにこと笑いながら、得意げに言うフェイ。そこに先程見せたような笑みはなかった。幼さの残る雰囲気に、ヨキは苦笑を浮かべつつティーカップを口に運ぶ。ふわと鼻を抜ける香りと渋みが少ない故の飲みやすさに、ヨキは赤眼を見開いた。その様子を見てから、フェイは自身用に用意していたカップに注ぎ、もう一つの椅子に腰を下ろす。


「美味いわ」

「良かったです。それじゃあ、えと、お話の方お願いします」

「あぁ、そやったわ。すまんすまん。話したいことは、あいつのことについてなんや」


 ヨキは服の胸ポケットから、昨日と同じ篆刻写真フォトグラフを取り出した。


「直接会わせたいのはやまやまなんやけど、こいつ初対面の人間に上手いこと話せへんタイプやからさ。軽く俺から先に言うとこかなと思って」

「なるほど。……お優しいんですね、ヨキさん」

「ま、弟分みたいな奴やから。……こいつの名前は、エルムグリーン。エルムって自分では略して名乗っとる。周りはそのまま、エルムって呼んだりエルって愛称で呼んだりやで」

「エルムグリーン……。色の名前なんですね、珍しい」

「あいつの目の色にちなんで、リンさんが付けたからな」


 ピクッとフェイの指先が動く。それをヨキは見逃さなかったが、言及することはしない。黙ったままのフェイにちらと視線を投げてから、ヨキは話を続ける。


「あいつのマギアは、ナイフ。魔力を刃に込めた状態で相手に当てると、爆発を起こすことが出来る代物や。あまりにも近いところで爆発すると、自分にも跳ね返ってくるんやが、それを抜きにすればかなり強力なマギアやな。一緒に行動することになったら、気ィ付けてな」

「肝に銘じます」

「……それともう一つ、あいつのことについて言うとくことがあ」

「ヨキ~、リーンハルトが早く来いって言ってるまう~」


 ヨキの言葉を遮るように、扉の開閉音が鳴ったかと思うと、第三者の声が入って来た。二人の視線が、部屋の出入り口の方へと向く。そこには、一人の女が立っていた。彼女はヨキの姿を確認すると、ふうと大きく息を吐き出す。


「んもう、ちょっと早めに呼びに行ってくるんじゃなかったまう? もうエル、お部屋で待ってるまう。暇って言って、ナイフ研ぎ始めそうよ」

「あ、悪かったわ。話し込んでた」


 フェイはヨキの大きな背に隠れつつ、相手の女性をちらりと見た。

 整った容姿をした女性だ。見た目から察すると、二十代前半か半ばほどの年齢だろう。明るい茶髪はアシンメトリーで、右側が鎖骨辺りまで伸びている。左目の下にある涙黒子なみだほくろは、彼女に色気を与えているように思えた。

 観察するようなフェイの視線に気づいたのか、女の顔がぱっとヨキからフェイの方へと移動した。


「わあ! 君が、エルの先生になる子?」

「は、はい、その予定? です。フェイ・エインズリーと申します」

「可愛い顔立ち~、色白まうね。ここ育ち? それとも、別のトコ?」

「ええと、田舎村です。ルベルレットの森の傍、ランソンヌ村というところで」

「へー、初めて聞く村の名前。あ、そうそう、あたしのこと言ってなかったね。あたしは、パトリシア・ル・ヴェリエ。パトリシアって呼んでもいいしトリッシュでもいいから。よろしくまう!」


 ウインクと共に手を差し出してきたパトリシアに、フェイは慌ててその手を取る。


「よ、よろしくお願いします」

「ん、礼儀正しい子は好きまうよ〜。それじゃ、さっさと管理長室に行こ! リーンもエルも待ちくたびれちゃってるだろうから」

「わ、えと、まだ花茶の残りが」


 フェイが言うことを胃に介さず、パトリシアは腕を組んでずんずんと進み始めた。彼女の言動はまるで嵐のよう。そんな彼女にオロオロとするフェイの後ろを、申し訳なさそうな表情をしたヨキが、のそのそとついて行く。その表情を読んで、フェイは小さく呼吸をして息を整え、彼女の足の動きに合わせて進む。

 昨日出迎えられた応接室と同じか、あるいはそれ以上に飾られているように感じる両開きの扉の前でパトリシアは立ち止まり、こんこんと軽やかにノックした。中からの応答も待たず、彼女は勢いよく扉を開く。


「やほやほ、リーン! 例の子、連れて来たまうよ~。進んで呼びに行ったはずのヨキが、普通に紅茶飲んでたんですけど、これって職務怠慢じゃなーいー?」

「こちとら、普段死ぬほど資料さばいてんねんぞ。少しくらいの休憩、もらってもええやろが」

「もー、冗談まう☆」


 怖い顔しないで、とパトリシアは可愛く人差し指を頬に添えて、ウインクをしながら言う。ヨキの顔に疲労の色が濃くなったのを尻目に、フェイは部屋の中を見やる。

 部屋の中には、昨夜出会ったリーンハルトが黒革のソファに腰を下ろしており、その背後の窓のさんにもう一人——くすんだ緑色の外套のフードを深くかぶり、相貌を隠している青年がいた。その手にはナイフが握られており、白い布で丁寧に拭いている。写真の人物だと悟り、自然とフェイの背筋が伸びた。

 リーンハルトはフェイの姿を確認すると、くいっと口角を上げる。それから「エルム」と後ろの男へ軽く呼びかけた。


「おん?」


 ナイフに向けられていた顔が上がる。リーンハルトが、くいっと顎でフェイを指し示す。それを受けて、青年の顔がフェイの方へと向いたのだが、それでもフードと長い前髪に隠れて彼の相貌を窺うことは出来なかった。


「エルム、彼がシャルルが連れて来た魔術師だ。お前の先生として働いてくれる人でもある。そしてフェイ、彼が昨日紹介したエルムだ」


 名を呼ばれ、エルムが腰を上げる。フェイはそっとパトリシアに組まれていた腕をそっと取り、一歩彼の方へ近づいていった。そして、胸の中心に手を当て、小さく頭を下げた。


「初めまして、フェイ・エインズリーといいます。よろしくお願いしますね、エルムさん」


 にこりと。フェイの出来得る限り最大級の笑みで、フェイはエルムへ笑いかけた。

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