第3話:魔術師の秩序を守る者

 外観は、煤でくすんだ色合いになっている赤茶けた煉瓦で出来た建築物だ。

 シャルルは、慣れた手つきでその前に建てられている黒門を開ける。羽ばたく二羽の鳥が対になるように意匠された黒門だ。フェイがそれをまじまじと見ていると、シャルルが「こっち」とその背に声を掛ける。

 シャルルは金のドアノブを回し、厚い扉をゆっくりと押し開けた。扉の先は広い玄関ホール。二階まで吹き抜けになっており、中央にはゆるりと巻き上がった螺旋階段が据えられている。天井にはくすんだシャンデリアが揺れ、ホールをぼんやりと照らしていた。

 シャルルはばさりと外套のフードを外し、がしがしと乱雑に髪を掻く。フェイもまた、己のケープコートのフードを脱ぐ。

 ランタンの薄明かりが、さらりと揺れる亜麻色と銀の隻眼に降り注いだ。それを見て、シャルルが口を開く。


「……相変わらず、いい色だよね」

「……そう言ってくださるの、シャルルさんだけですよ」


 これまでとは違う、顔に咄嗟に貼り付けた笑みだ。フェイの反応に気づき、シャルルが口を開こうとした時。


「おお、梅毒無能屑男。ようやく帰って来たんか」


 地を這うような低い声が降ってくる。フェイが見上げた先、ランタンを手に持った男が一人、廊下からこちらを見下ろしていた。

 黒縁眼鏡をかけた背の高い大柄な男だ。白シャツと茶革のベスト、黒のパンツスタイルのフェイとは異なり、彼は黒いシャツにくすんだ緑色のパンツという帝国軍人のようなスタイルをしている。その見目は、天日てんにち人らしい濡れた烏の羽根を思わせるほどの真っ黒な髪と、透明度の高い赤い瞳という珍しいものを持っていた。

 その双眸は今、フェイの隣に立つシャルルに向けて注がれている。目に籠められているのは、当事者ではないフェイですらぞくりと背筋を震わせるほどの殺気。

 フェイがぐっとトランクを持つ手に力を籠めるのと、シャルルがびくっと勢いよく肩を跳ねさせるのはほぼ同じタイミングだった。


「んぎっ! へ、あは、ははは……。や、やっはあ、ヨキちゃんに出迎えてもらえるなんて、ボクウレシーナァ……」

「そうかそうか、嬉しいんか、無能野郎。じゃあ、これから俺の部屋で一緒に仕事しよな? 終わるまでカンヅメで」

「そ、それは勘弁! ぼ、僕、今日の夜は『妖魔娼館 デビデビ・ラヴリンス』でちょっと予定があ……」

「え、何、ケツの穴に氷柱つららブッ刺されたいって?」

「言ってない言ってない言ってない!」


 テンポの良い会話を繰り広げる二人を、フェイはぽかんとした顔で眺めていた。

 シャルルのことを睨むように見ていた男だったが、フェイの視線に気づいたようで、溜息と共に会話を切り上げて廊下の手すりを乗り越える。二階から一階へ、ダァンッと見事着地し、フェイとシャルルの前に歩いて来た。


「あんたが、この無能屑が呼んだ人?」

「あのう、せめて名前呼んで欲しいなー、なんて……」

「黙っとけ、馬鹿。で、名前は?」

「は、はい。は、初めまして。ランソンヌ村から来ました、フェイ・エインズリーと申します」


 フェイは男へ小さく頭を下げてから、すっと片手を差し出した。男は赤目を丸くしたが、すぐに片方の口角を上げその手を取る。軽い握手。友好関係を築くための第一歩である。


「こんなほっそいのに遠路はるばる、ここまで大変やったやろ。俺は、ヨキ。ここで管理長補佐みたいなことをしとるわ。ま、仲良くしてくれ」

「は、はいこちらこそ!」


 フェイはにこりと笑って、ヨキと軽く言葉を交わす。先程までシャルルを罵倒し、彼の臀部を氷魔術で狙っていた人物と同じとは思えない。恐らく、素がこちらなのだろう。フェイは、そう思った。

 握手はパッと終わり、ヨキはフェイからシャルルへと視線を戻す。視線を受ける彼は、入って来た玄関扉の方へ向かっていた。逃げる気満々の様子に、黒縁眼鏡の奥のヨキの目がすっと据わる。彼の周囲の温度が数度低くなったように感じ、フェイは思わず身震いした。ケープコートはまだ纏っているままだというのに。


「おぉん、てめ、何逃げようとしてんじゃ、あぁ?」

「い、いやあ、あとはね、優秀なヨキちゃんに任せておけば、万事解決……的な?」

「そうかそうか死にたいことが良く分かった」

「いや、ちが、違う、違うんですよぉ!」


 シャルルが勢いよく走り出したと同時に、ヨキがシャルルの背後を追い始めた。唐突に始まった二人の追いかけっこに、フェイは目を瞬かせてその様子を見ていることしか出来ない。


「ど、どうすれば……?」


 このままではいけないということは分かる。では、どうすればこの追いかけっこを止めることが出来るのか。

 フェイは顔の半分を覆う黒の眼帯に手を伸ばし、ぐいっとそれを額へ押し上げた。


「お二人共!」


 そして、声を張り上げる。

 凛としたフェイの声に、シャルルとヨキの足が止まり、二人の視線は彼へ注がれた。

 二人が見たものは、フェイの瞳。一つは銀色。その横に並ぶもう一つは——濁った白色。それをシャルルとヨキの頭が認識した刹那、彼らの体に突風が襲い掛かり、吹き飛ばされた。二つの体はゴロゴロとカーペットの敷かれた床を転がり、玄関扉の手前で停止する。

 それを見て、フェイは眼帯の位置を急いで元に戻し、シャルルとヨキの名を呼びながら彼らの傍へ駆け寄った。


「手荒な真似をしてすみません! ですが、ここは追いかけっこする場所ではないでしょう? ヨキさん、貴方は落ち着いてシャルルさんとお話をして、シャルルさんはヨキさんから逃げずにしっかりとお話してください!」


 まったくもう。

 カーペットの上に腰を下ろして、フェイは寝転がったままの二人へ怒る。とはいえ、ガミガミ彼らに説教するのではなく、ぷんぷんと頬を膨らませて怒っていた。そんなフェイに、ヨキは呆気に取られたまま、とりあえずと体を起こす。


「あ、あぁえーと、すまん」

「いえ。こちらも、初対面なのにこんなことをして、すみません」


 フェイはヨキに手を差し出し、彼の体を引っ張り起こしてやる。それから未だ寝転がったままのシャルルを、同じようにして立たせてやった。


「……はー、お前の処置はとりあえず後回しや。だいぶ話が逸れてもうたけど、サクッとリンさんとこに行こか。──逃げるなよ、シャルル」

「わ、分かってますよぉ、アニキぃ」

「よろしくお願いします」


 ヨキは二人を引き連れて、スタスタと一階右手の廊下へと進んで行く。

 真っ直ぐに伸びる廊下には、特に装飾品などは置かれておらず、殺風景な雰囲気を纏っていた。照明も等間隔にポツポツと置かれているだけで、外からの明かりが無いため薄暗い。幽霊が現れてもおかしくない。フェイは、そう思った。

 二つの扉の前を通って、三つ目。少し他より凝られた造りをした扉の前で、ヨキの足は止まる。


「ここが応接室な。中でリンさん──管理長がいるから」

「……あ、あの、先程聞きそびれていたんですけど、管理長とか、管理長補佐とか……ここは一体どういった施設なのでしょうか?」


 フェイが首を傾げつつ問うと、ヨキの目がぐりんとフェイの横に立つシャルルへ向けられた。シャルルは肩を震わせて、へらへらと軽薄な笑みを貼り付ける。


「い、いやぁ……サプライズ?」

「今日は俺とたっぷり話し合いやな」


 ヨキはシャルルへそう言い放ち、フェイの方へ視線を落とす。そこには、シャルルに向けられていた冷えきった感情は全くない。あまりにも素早い変わりように、フェイは目をぱちぱちと瞬かせていた。


「ここはな、アルトロワに住む魔術師達の秩序維持を目的とした施設──組織って言った方が分かりやすいか──ま、そういうとこや。例えば、阿呆な魔術師が起こした魔術犯罪を取り締まったり、街に蔓延る異形共をブッ殺したり、逆に魔術師が不当に扱われているのを助けたり……。そういうことをしとる」

「は、はへえ。凄いところですね。……人間でいうところの、警察組織みたいなことですか」

「まあ、近いとこやとそうやね」


 あれらよりはだいぶ物騒やけども。ヨキはそう呟いて、扉を軽くノックした。扉の向こうから低い男の声が応じるのが聞こえてから、ヨキはドアノブを捻って扉を開ける。

 玄関ホールや廊下よりも随分と明るい部屋に目を細めながら、フェイはヨキとシャルルの後に続いて部屋の中に入った。


「リンさん、連れて来たで」

「あぁ、ありがとうな」


 耳朶を打つ、落ち着いたバリトン・ボイス。

 フェイは瞬きを数度してから、ようやく明るさに慣れた目で部屋全体を見た。

 煌びやかな派手さは無いものの、外の殺風景さに比べれば随分と家具が置かれて生活感が感じられる部屋だ。部屋の中央、対になるように置かれた革張りのソファの一つに、声の主は座っていた。

 緩やかに後頭部へ流された、金糸のような金髪。血のように紅い瞳は銀縁眼鏡の奥でギラギラと光り、すっと整った口唇が緩やかに笑みを作っている。

 まるで絵画の中から飛び出してきたような、目鼻立ちの整った男だった。

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