第25話 スパイスカレーを食べに行った夏の夜

「夏だねえ……」

「夏ですねえ……」


 冷房の効いたリビングで僕とめぐみちゃんは寛いでいた。

 7月ももう半ば。日中はだいぶ暑くなって来てて、ただでさえ暑さに弱い僕は、恵ちゃんが遊びに来てくれるのをいい事に休みの日は家でだらだらと過ごす日々だ。


(なんか、恋人としてちょっと間違ってるような気がしてきたな)


 ソファーで隣に座る恵ちゃんをちらっと見ると何がおかしいのかクスクス笑っている。


「どうしたの?」

「いえ。ちょっと、こ、こういうの幸せだなって。そう思ったんです」

「幸せ……か。確かにそうかも」


 東京も嫌いじゃなかったけど、こじんまりとして、そこそこ交通の便が良くて、緑もまあまああるこの古都が好きだったりする。何より、彼女と初めて会った場所なわけだし。


「も、もう。照れくさいのを勇気出していったのに……!」


 同じ気持ちだから素直に頷いたのに不満なご様子。


「まあまあ。社会人と大学生だと少しは違ってくるよ」


 ちょっとこうやって歳上ぶれるのが実は嬉しかったりする。


「言っておきますけど。同級生の間だとしっかり者で有名なんですからね?」


 何その対抗心。


「もちろん、昔からしっかりしてたけどね。今対抗心燃やさなくても」

「だって、裕二君も照れてくれるかな、と思ったのに」


 女心は難しい。いや、彼女だからか。



「僕だって少しは照れるよ。でも、それが素直な気持ちだからだよ」

「そういうところ、女殺しですよね。やっぱり彼女さん居たことあるんじゃ?」

「ないない」


 一人、付き合いの深い女友達がいるけどあえて言うことでもないだろう。


「ほんとにー?」

「ほんとだって。信じられない?」

「信じますけど。それより、ちょっとお腹が空きました」


 言うなりぐぎゅるーと腹の虫がどこからともなく聞こえてきた。

 僕はそんなにお腹空いてないし……と。

 眼光鋭く睨まれてしまった。


「別にお腹空くくらい誰にでもあることでしょ」

「彼氏の居る前だったら恥ずかしいのも女心ですよ?」

「ごめんごめん。確かにもう19時前だし、どこか食べに行こうか」


 こうして二人で家で過ごす時は、家で作るか外に食べに行くのが多い。


「まだ少し冷蔵庫に残り物ありましたよね。作りますよ?」


 なんだかんだ言ったけど恵ちゃんはやっぱりしっかり者だ。


「なんかもう通い妻って感じだね。頭が上がらないよ」


 僕よりもう冷蔵庫を掌握してるんじゃないだろうか。


「か、かよいづまって……!」


 あらら。顔を背けて照れてらっしゃる。


「別に結婚を前提に付き合ってるわけだし、不思議じゃないと思うけど?」

「もちろん、そのつもりですけど。いきなりだと照れるんですけど。けど!」

「悪かった、悪かったって」


 少し乱暴に髪をわしゃわしゃしてあげる。


「犬じゃないんですけど?」

「まあまあ。ほら、食べに行くよ」

「はーい」


 手を繋いであげると露骨に機嫌が元通りになった。

 こういうところは、少しだけちょろいかもしれない。


「なんか、こういう夜のデートもいいですね」


 隣には少しおめかしした恵ちゃん。

 ちょっと少女趣味なワンピースは意外に似合っている。


「……」

「裕二君、また何か変なこと考えてますよね」

「バレた?」

「なんかやけに嬉しそうですもん」


 この子もそういうところ、鋭いんだから。


「ちょっと少女趣味なワンピースも似合うなって思っただけ」

「ちょ、ちょっと。だから、いきなりそういうのやめてくださいよ……!」

「恵ちゃんもそろそろ慣れてもいいと思うんだけどな」


 まだ、こういう風に初々しいところもそれはそれで可愛らしいけども。


「裕二君がいきなりそういう褒め言葉言うからですよ」

「いや、家出る時に言ってあげられなかったからさ」

「妙に律儀なところも変わってないんですから」


 というわけで、少しだけ涼しくなった夏の夜を目的地に向かって歩く僕たち。


「ところで、どこ食べに行くんですか?」


 今更疑問に思ったのか、クリっとした瞳で見上げて来た。


「スパイスカレーの店。一年前くらいにできたらしいよ。知ってる?」

「市内は最近流行ってますね。友達でも好きな子いますし、私も割と好きです」

「なら都合が良かった」


 元々、昔の友人に「市内はスパイスカレー激戦区やから、一度彼女さん連れて行ってあげな」などとLINEで言われたのがきっかけだったのだけど。


「でも、裕二君にスパイスカレー……少し意外です」

「そんなに?カレーって大人でも子どもでも好きなものじゃないかな」


 はてとすこし首を捻ってしまう。


「スパイスカレーは、ココイチとかとは全然違う系統ですよ?」

「まあ、カレー店も色々特色を出そうと必死だからね」

「えーと……そういうのではなくて。スパイスカレーってジャンルなんですよ」


 え?なんかココイチより少し高級な何かが出てくるのだと思いこんでた。


「……ひょっとして、どっちかといえば女性人気があったり?」

「健康にいいとか、お腹もたれないとか、色々ありますけど、そういうことです」


 LINEでスパイスカレーの事を語ってきた奴もそういえば性別は女性だった。

 いや、そこまで失礼な事を言うまでもなくあいつは女性なんだけど。


「実は市内にスパイスカレー食べに来る昔からの友人が居てさ」

「……一応、話は聞きましょう」


 何故か急に不機嫌になった。


「裕二んとこも近所に美味しいスパイスカレーいっぱいあるのに行かんと損やで?て感じでちょっと煽られてね」


 彼女を連れてってやれと言われたことは黙っておく。


「その幼馴染さんって……女性、ですよね」


 幼馴染、か。そう言われると微妙にむず痒いな。

 

「一応、ね。ま、豪快な奴だけどね」


 大学の時によく彼女を交えて飲んだ事を思い出す。


「ひょっとして……その人のこと、昔、好きだったり?」

「いやいや。大事な友人だけど、そういうのは無いって。彼氏居るし」

「じゃあ、その人にもし彼氏が居なかったら?」


 なんだろう。いつもの彼女と少し違う。

 拗ねているわけじゃないし、怒っているのとも少し違う。

 なんだか少し悲しんでるような、凹んでるような。


「どうだろ。結局、今あいつとは付き合ってないわけだし」

「私としてはそこは否定してほしいんですけど」

「いや、もしもの話をしても仕方がないからさ。今、隣に居るのは恵ちゃんだし」


 今からあいつに恋愛感情の類を抱くことはないだろう。

 それに、中高の頃は地理的に離れていたから、男女の仲になる余地なんてのはなかった。


「でも、今でもやり取りするくらい仲がいいんですもんね?」


 ぷくーっと膨れてすすっと距離を取られてしまう。

 まさかだけど……。


「ひょっとしてさ。あいつへの嫉妬?」


 そういう素振りを彼女が見せたことは今までなかった。

 ただ、前に弄って来た時とは何かが違う気がした。


「だって。その人とは私と出会う前からの仲なんですよね」

「まあ。小学校の頃からの付き合いだし」

「色々複雑なんですよ。今だって完全に自信を持てているわけじゃないのに」


 なんだか、こんな様子は初めて見るけど、ちょっとうかつだった。

 親友とはいえ、仲の良い異性の話を出さないほうが良かった。


「ごめんね、僕がちょっと無神経なせいで」


 少し離れた彼女を強引に抱きしめる。


「その。私がその幼馴染さんに勝手に嫉妬してるだけですから」

「でも、嫉妬してしまう気持ちだってきっとしょうがないことだよ」

「そういう余裕そうなところがキライです」

「今日は好きなだけ言っていいから」


 いつもより子どもっぽい彼女と歩くのもいいかもしれない。

 なんて言ったら殴られるかも。


「あ、でもさ。そいつには恵ちゃんと付き合ってる事は言ってるから」

「え?そ、そんなこと別に言わなくても」

「お幸せに。式には呼んでや、って言ってたよ」

「ほんっとうにいい人なんですね。私はこんなに嫉妬してるのに……」

「ああもう。自己嫌悪しなくていいから」


 こうして、珍しくご機嫌斜めの彼女を連れて、スパイスカレー屋

 「森食堂もりしょくどう」についたのだった。


「凄い木がいっぱいで雰囲気ありますね」

「店主さんの趣味かな?内装凝ってるよね」


 ただ一品だけの、店主の日替わりカレーを二人で頼んでしばし待つ。


「で、ここは幼馴染さんがオススメの店なんですか?」

「ひっぱるなあ。色々行ってるぽいけど、結構美味いとは言ってたよ」

「……ちなみに、その人は料理上手ですか?」

「まあまあ。程々に手を抜いて色々作るのは上手いね」


 彼氏さんにはきっと、本気で愛情のこもった料理を作ってあげているんだろう。そういえば、お互いに誰とも付き合ってなかった頃に、義理チョコはよくもらってたっけ。


「私。これから、もっと料理がんばりますから……!」


 あいつの存在がどうやら恵ちゃんの心に火をつけてしまったらしい。

 ちなみに、店主の日替わりカレーは魚、鶏肉、豚肉と三種類の肉が入っていて。

 日本の昔ながらのカレーともインドカレーとも違う良さがあった。


「その辺はおいおい期待するから。ほら、食べなよ」


 スプーンで一口分を掬い上げて彼女の口に運ぶ。


「美味しい?」

「……美味しいです、けど。自然過ぎです」

「いや、ぼーっとしてたし、ちょっとおもしろいかなって」

「彼女をおもちゃにしないでくださいよ」

「夜はおもちゃにしても嫌がらないのに?」

「店の中でそういうのは止めてください……」

「ごめん。さすがにやり過ぎだったよ」


 他の客は既にあらかた帰ったところだ。

 聞くと、僕らで用意していた分がすべて切れたらしい。


「いやー、仲がいいねえ。付き合ってるのかい?」


 陽気そうな……30代くらいの店主さんが話しかけてきた。


「え、ええ。結婚を前提に付き合って、ます」

「は、はい。よろしく、お願いします」


 じなんてぎこちない挨拶をした僕らを、

 「若いってのはいい事だね」

 なんてからかって来たのだった

 

 店を出ればもう20時過ぎ。この時期でももう真っ暗だ。

 空を見上げると三日月が出ていていい雰囲気だ。


「なんか、その。すいません」

「なんで謝るの?」

「いえ。勝手に嫉妬して、勝手に不機嫌になって」


 自己嫌悪をぶつけてすいませんと。


「普段、いい子すぎるくらいだし、たまにはいいよ」

「でも、店の人に「結婚を前提に」って言ってくれたのを聞いて、「ああ、私ってどうしようもないな」って思っちゃったんです。私よりずっと長い付き合いの幼馴染さんがいるだけで、こんなに嫉妬してるのに、裕二君は大人だなあって」

「一応言っておくけど」

「わかってます。異性だって、大切な友達はいますよね。私にはそんな、男の子だけど、異性を意識せずに付き合って来た友達は居なかったですから」

「まあ、それが普通っぽいけどね」

「ほんとですよ。こうなったら今度紹介してくださいね!」

「おっけー。あいつも喜ぶよ、きっと」


 いつも何かと心配してくれていたから。


「ちなみに、何ていうお名前なんですか?」

「ああ、あいつか。川瀬奈美かわせなみって言うんだけどね。まあ、これが昔から豪快な奴でね……」

「川瀬さん、ですか。会うときにはしっかりしとかないと……!」

「なんで急に?」

「だって。私達が結婚する時には、川瀬さんとも接点が増えるわけですよね?」


 どこの姑だと言いたくなったけど、性格を考えると間違っていないかもしれない。


「つまり、お姑さんの心象を良くしておきたい、と?」

「そういうことです」


 すっかり機嫌を治した恵ちゃんは、明日の朝はどんな料理にしてほしいですかとかそんなことをしきりに聞いて来たのだった。


 奈美にしてみれば、弟分にこんな歳下の彼女ができたと知ったらからかってくるだろうな。でも、それはそれで面白い。


 そんな夏の夜の一日だった。

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