第6話 僕はあの日天使に出会った

 

 それから数日が過ぎた、その間僕は彼女に話しかけられないでいた。

 勿論彼女からも話しかけて来ない。

 いや、それどころか、彼女は誰とも話そうとしなかった。


 初日こそ彼女に興味を持った数人が親しくなるべくトライしていったが敢え無く撃沈、その、芸能人だからなのか? 話しかけるなオーラは瞬く間にクラスに広がり、今やクラス内では、彼女の話題すらしない状況になっていた。



 彼女は……本当にあの時の人だったのだろうか? 僕は思い出したくもない過去を、といっても、つい2年ちょっと前の事を、彼女との出会いを、あの事故の日の事を……思い出していた。



◈◈◈



 あの日、僕は緊張からあまり眠れずに、朝方日課のランニングをする為に泊まっていたホテルを抜け出した。

 あれは10月だった。少し肌寒い早朝、僕は知らない町を適当に走っていた。


 試合当日なので軽くランニングをして、公園でストレッチでもしようとたまたまあった公園に足を運んだ。


 誰もいない早朝の公園……と思ったら先客が一人、正確には一人と一匹がいた。


 白いワンピース姿の彼女は白い小さな子犬を連れていた。

 白い肌に白い服、そして黒い髪……その美しいコントラストに思わず妖精かと僕は目を奪われてしまう。


 僕が公園の真ん中で立ち尽くしていると、その妖精の彼女は僕に気が付き近付いて来た。


 美しい黒髪、大きくつぶらな瞳、細い身体、長い手足、僕はその時天使のように綺麗な人だって……そう思った。


「おはよう……ございます」

 彼女は笑顔で僕を見て挨拶をしてくれる。

 もう、それだけで、見知らぬ僕なんかに挨拶してくれるだけで、この人は良い人だって思ってしまう。

 綺麗で愛想が良くて……天使、いや違う……そうか……この人は女神だ。

 勝利の女神……その時、彼女のその笑顔を見て僕は勝利と新記録を確信した。


 ここに来て良かった……朝日に照らされキラキラと光る彼女を見て僕は心の底からそう思った。


「おはようございます」


「マラソンですか?」


「あ、はい、今日大会で」


「へーー凄い、ああ、それで綺麗な走りしてたんですねえ」


「綺麗?」


「うん、公園に入ってくる時、綺麗な走り方だなって」


「そ、そうなんだ……ありがとう」

 君も綺麗だねって……言った方が良いのかな?


「えっと……き、君はこの辺に住んでるの?」


「……まどか」


「え?」


「私の……名前」


「円さん……か」

 なんか良い名前……年はいくつなんだろう、なんか僕よりも大人って感じがする。


「ふふふ、知らないんだ……ちょっと悔しいな」


「し、知らない?」


「んーーん、何でもなーーい」

 円は満面な笑みで僕に向かってそう言った。

 その笑顔があまりにも可愛く、夏の太陽の様にキラキラと輝き、光の粒が僕の身体に突き刺さる。


 旅先での出会い……もっと話したい……これで一生会えないか? その時公園の時計が目に入った。


「あ、ヤバい起床時間だ」

 黙ってホテルを抜け出した僕、ヤバい戻らなければ……。

 でも……どうしよう、彼女ともっと話したい、これで一生会えないなんて……。


「どうしたの」


「あ、うん……行かないと」

 でも……僕はずっと陸上ばかりの生活……こういう時どうしたら良いかわからなかった。

 せめてスマホでも持っていれば……素早く連絡先の交換くらい出来たかも知れなかったのにって。

 でもこの時本当に時間が無かった、黙って抜け出している事が発覚すれば、最悪出場停止、そして特に……あの先輩にバレたらヤバい……って、僕はそう思った。


「そか……」


「…………ま、また……会えるかな?」


「え?」


「…………」


「うん……会えるよ、あなたが会いたいって思ってくれれば……必ず」

 

「……そか……うん」

 その時の彼女の顔を見て、その自信満々の顔を見て、僕は確信した。

 必ず会えるって、だから僕は彼女に手を振ってその場を後にする。


「またねえ~~」

 最後に彼女は大きな声で僕にそう声をかけたその時、その時、彼女が持っていた散歩用のリードを離してしまう。

 すると仔犬は僕と反対方向側、公園の外に向かって一目散に駆けていく。


「ああ! ま、待って!」

 彼女はそう言って犬を追いかける。

 

 その時、僕の中で号砲が鳴った。

 僕は振り向き様、今までで一番ってくらいのスタートを決めた。

 そしてあっという間に彼女に追い付く。

 

「僕に任せて!」

 追いかけて行く彼女をそう言って制止し、僕は彼女の犬を追いかけた。

 大型犬ならいざ知らず、小型犬、しかも子犬なら追い付く……って僕はそう思い……そして……さっき彼女に言われた綺麗な走りを見せ付けるかのように、僕の一番の特技を見せ付けるように、少しでも……彼女の印象に残るように、僕は走った、全力で……走り抜けた。


 そして……僕は公園の外に出た直後に犬を拾い上げ、彼女の方に振向を向いて、どうだと言わんばかりに手を上げた。



 そして……僕の記憶は……そこで途絶えている。



 気が付いた時、僕は病院にいた……。


 僕が目を開けると同時に妹は僕に抱き付き、わんわんと泣いていた。

「良かった……お兄ちゃん……良かった……」


 その時の妹の泣きじゃくる顔は、今でも忘れられない……。


 そして暫くして僕は妹に記憶が途絶えた後の事を聞いた。


 公園から飛び出した僕はそのまま車に轢かれ、病院に運ばれたそうだ。

 頭を強く打ち、骨折も何ヵ所かあったそうだ。


 特に一番酷いのは右足で、切断は免れたものの、恐らくはもう……まともには動かないだろうと言われた。


 まあ……多分言われなくても見ればわかる……全く感覚の無い右足、膝から下がそこにあるのかも……わからない状態だった。


「い、犬は?」


「うん……大丈夫……らしいよ」


「そか……良かった……あの時の女の子は?」


「……うん、なんか今度挨拶に来るとか……」

 色々と聞くも妹は口を濁す……でもその数日後、彼女ではなく彼女の母親が僕の元へ来た……弁護士と一緒に……。


 その時の事はあまりよく覚えていない。


 覚えているのは、犬は物と一緒で僕は公園から飛び出し落とし物を拾っただけだと言うこと。

 そして今回の件を人に話さないように、話した場合、損害金が発生する可能性があると言われた。

 その他に、何か言いたい事があるなら自分を通せと、そして……あの時の女の子はここには来ない……弁護士の人がそれだけ言うと、後ろで見ていた彼女の母親は何も言わずに引き上げて行った。


 僕はショックだった……事故に遭った事よりも、足が動かない事よりもショックだった。


 別に謝罪とか、感謝して欲しいとか、そんなつもりは全く無い。

 僕は彼女を助けたわけじゃないのだから……。

 

 そう……これは僕の責任……僕が彼女に良い所を見せようって……調子に乗っただけ……。


 ただ……僕はもう……彼女に会えないって事が……あの笑顔はもう見れないんだって……それが……ショックだった。



 でも……それは違った……僕はその後直ぐに彼女に会えた。

 笑顔でテレビに映る彼女に……白浜 円に……。


◈◈◈


 そして今、彼女は現実となって僕の前に現れた。


 でも、その理由がわからない……そして何故今頃になって……。

 彼女の目的は一体なんなんだろうか?


 成績が今一の僕は、授業に集中しなければいけない……でも、彼女の事が気になって、授業に身が入らない。


 彼女の後ろ姿についつい目を奪われてしまう。


 やっぱり綺麗だ……初めて会ったあの時よりも、ずっとずっと綺麗になっている。


 やっぱり彼女は今でも……出会った時よりも美しかった……。



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