2話 「この部の部長」

「……新田? どこへ行く?」

 その災難の横で、しれっと客席に行こうとするアイツを僕が見逃さないとでも思ったのか! このクズ野郎め!!


「いやぁ〜チヒロの女装とか楽しみじゃん。ここで見たらつまんないよ」

 心底嬉しそうに新田は笑っている。ぶん殴ってやろうか。


「てめぇ……他人事だと思って……。覚えとけよ。てめぇがそもそも僕を連れてきたからこうなっちまったんだろうが!」


「まぁ……その、ごめん。ご愁傷さま」

 逃げるように新田が消える。

 アイツ……貸しにしといてやる。高くつくぞ。


 とにかく、気を取り直さねぇと。えっと僕の台本のセリフを急いで確認しなければ。あと、着替えないと……。

 慧先輩の台本を借りて、着替えながら台本を開ける。


 ペラッ(台本を開く音)


 僕はどうやらケイコという役か。慧先輩の台本は、丁寧に全員の配役が書き込まれている。几帳面な人なんだな。


 ページを捲りつつケイコが出てくるページを探す。足利先輩の言う通り出番はあまりなく、終盤に出てくるシーンがあるだけだ。えっと、セリフは……。


 ケイコ:シュウゴ先輩……。


 シュウゴ:なんだ、ケイコか。どうしたんだ……。図書室なんかに来て。マネージャーはどうしたんだ。


 ケイコ:私……先輩が最近練習に全然来なくて心配で……。


 シュウゴ:どうせアイツに様子を見てこいって言われたんだろ。ほっといてくれ。


 ケイコ:そんなことありません! 私、先輩を本気で心配してるんです! だって……先輩が……先輩が好きだから!!


 スパーン! (台本を床に叩きつける音)


 ち ょ っ と 待 て 。


 急に何を言っているんだコイツは。

 告白するにしても急すぎるだろ。

 は? え? 先輩方は、いやあの変態方は僕にこれをやれと言っていたのか?公開処刑じゃないか。なんだこれ。


 そうこうしているうちに大きな足音が聞こえてきた。高めの声で焦っている様子、多分変態方がやらかしたんだろう。良かった。これで僕がこの役で出ることがおかしいことに気づいてもらえる。


「そう言うな美雪みゆき。お前も1度見てみろ、似合ってるはずだから」

 足利変態の声がした。


「だいたい貴文もなんでチャイナドレス着てんのよ」


 それは至極真っ当な質問だと思う。当然だ。


「俺が出るならこれしかないだろう」


 こっちはイカレた返答だ。どうかしてる。


「日本の放課後の図書館の話で、どうやったらチャイナドレスでガタイのいい男が出てくる発想になるわけ?

 ……とにかく絶対認めない。手の空いた子にスタッフワークと入れ替えながらやってもらうから」


「ちょいちょいちょい、1度も見ずに決めるのはよくない。俺たち男子と千尋の努力はどうなるんだ? 頼むから見てくれ、そして考えてくれ」


 ……もしかして結構やばい状況なのか?

 まぁ入部したての僕(しかも強制)にはあまり関係ない。さっさと客席に戻れるだろう。

 言い争いながらも、足利変態と美雪?先輩が僕の前に現れた。


「えっと、その、こんにちは……(裏声)」


 一応女性っぽく言ってみたけど…ダメだろうな。

 先輩、震えてるし、激昂する一歩手前って感じだ。

 足利変態には悪いけど、僕にはどうしようもないから諦めてもらう。そして新田をシめる。


「貴文」


 ものすごく低い声だ。背筋が凍る。


「はい」


 さすがの足利先輩も、真面目に返答している。まぁチャイナドレスはまだ着てるんだが。


「あの子、どこで見つけてきたの?」


「新田が連れてきましたよ」


 あれ?何だか変な空気になってないか?

 先輩は大きく息を吸い、綺麗な通る声で新田! っと声を出した。

 ……多分、学校中に響き渡ってた。すぐさま新田が飛び出してきたから。


「新田。あの子は何者?」


 間髪入れずに美雪?先輩が新田に聞く。若干新田も萎縮していて、小気味よい。ざまぁ。


「えぇっと、腐れ縁っていうか、オレの幼なじみです。部活入ってなかったんで連れてきました」


 腐れ縁も幼なじみも真っ赤な嘘だがまぁ良いだろう。合格点をくれてやる。


「あと、自分を変えたいらしいです。それに気づかせず説得したら効くと思いますよ」

 新田が僕に聞こえないように美雪先輩に耳打ちする。内容は聞き取れないけど、僕は嫌な気分がした。


「新田」

 先輩がゆっくりと顔を上げ、新田をまっすぐに見据える。あれ、何だ?デジャヴを感じるぞ?


「はい」


 新田も緊張した顔で答える。僕の心が全力で立ち去れと告げている。何か良くないことがこの後すぐに起きる、僕にはわかるんだ。


「でかした!」


「体調不良により帰宅します!」

 ガシィッッッ!!

 書き文字が出てきそうなほど強く、美雪先輩に腕を掴まれた。嘘だろ!?

 え、一ミリも動かない。非力とはいえ、僕だって男だぞ?

 片手だけ抑えられているのに全身が止まってしまったようだ。おかしい。足利先輩達よりも強くないか!?


「待とうか新人クン?」

 貼り付けた笑顔と冷たい声でそう言われ、僕の恐怖はMAXになる。

 怖い怖い怖い怖い!


「な、何でしょうか……?」


「君はこれからこの舞台に出て」


「なっ……!」

 冗談じゃない。頼みの綱がその気になるなんてありえねぇだろ。


「無理に決まってますよ! 男だし。僕、演技したことないんですよ! 人前に出ることも得意じゃないし……」


「大丈夫。貴文、練習のときの奈緒の動画見せて。それを完コピしてくれればいい。後は貴文が本番直前まで稽古見てあげて」


「了解」

 てきぱきと流れるように決定され、僕は呆気にとられていた。反論を挟み込む余地がない、綺麗な連携だったから。


「楠くん」


 先輩が僕に言う。


「正直こんな事頼むのは酷いとわかってる」


 まったくだ。


「強制入部だし、無理やり男子たちに入れさせられたんでしょ?」


 その通りだ。僕の意思は関係なかった。


「でも、この公演は絶対に中止にできない。部活が新体制になって忙しい中時間を割いてるお客さんの為にも。……貴方には関係ないかもしれないけど」


 正直もう幽霊部員になるつもりでしかない。


「だからお願い、女装させるのも未経験者に出させるのも無理難題ばかりだけど、君にしか頼めないから、お願いします。出演してください」


 先輩が頭を下げる。誠実に、男の後輩に向けて、初対面の人間に頭を下げている。

 ……。


 ……僕は何のスキルもない。運動はからっきしだし、絵は描けない。楽器もできなければ手先が器用という訳でもない。歌も上手くない。

 だけど、そんな負け組の僕にすら、頼られたらそれに応えたい気持ちが全く無い訳じゃない。いくらダメ人間でも、そこまで腐っちゃいないんだよ!


「……わかりました」


 僕は、この空間に来て初めて素直な気持ちで口を開いた。こんな僕にすら誠意を持って接してくれた先輩に、期待に応えなければ。

 それに、自分を変えたいって思ったのは僕自身だ。こんな形になるとは思ってなかったけど、生半可な気持ちじゃ何も変えられない。それだけはわかる。


「……ありがとう!」

 先輩は笑顔で僕に礼を言い、頭を下げた。

 そして、足利先輩に向き直る。


「貴文、後はお願い。時間稼がなくちゃいけないからオープニングトークしてくる」


「了解だ美雪。任せろ、最高のショーマンに仕立ててやる」


 先輩が暗幕から出て、喋り始めた。少し遠いから、あまり内容までは聞き取れない。


「千尋」


 今度は足利先輩が言う。


「何ですか」


「いや、茶化そうと思ったけど顔がマジだったから言えなかったわ」


「そうですか」


「……恩に着る」

 そう言って先輩はスマホの準備を始めた、僕の方を向かないのは多分照れ隠しだろう。

 僕も弄るなんて事はしないが。


「これだ、このシーンを見ておいてくれ」


 先輩がスマホを見せてくる。流れる映像は、多分練習中の物だろうか。吉田先輩演じるケイコが足利先輩演じるシュウゴと掛け合っている。

 ……凄いな。ケイコは本当に心の底からシュウゴの事が心配で、シュウゴはシュウゴで嫉妬に狂ってる感じが台本をまともに読まなくても伝わってくる。


「いいか、今からこのシーンを稽古しまくる。時間が無い。セリフはアレで覚えたか?」


 さすがに短すぎる。厳しい。


「何となくは……」


 先輩は曖昧な返事から察したのか、軽く息を吐いて言った。


「もし頭から次のセリフが飛んだら、すっ飛ばして俺に告白しろ。多少変でも、観客はミスとは思わん」


「でも台本から外れてしまうんじゃ……」


「読みも稽古も一回もしていない未経験者の千尋が代役で出て、もし失敗したとしても俺たちが責める権利はない」

 責めるとかの問題なのか?観客のためにいい演劇をすることが最善じゃないのか?


「そんな……」


「それにな、千尋」

 美雪先輩と同じように、足利先輩が僕をまっすぐに見つめる。


「はい……」


「もしミスっても、俺がカバーする。だから安心しろ。大丈夫だ。ハプニング願ったりだぜ」


「え……?」


「部長で三年の俺が一年に合わせるぐらいできなくてどうするってんだ。ドンと来い。何があってもお前のシーンはつつがなく終わらせてやる」


 ……狡いな。こんなかっこいいこと素面で言えるのか。いい笑顔で、自分だって余裕が無くてピリピリしてるはずなのに、後輩を気遣って、こんな安心させることができるのか。先輩って凄ぇんだな。


 ……チャイナドレスさえ来てなかったら心から尊敬できたのに……。


「千尋?」

 あまりに返事がなかったのか、先輩が心配した顔をしている。


「大丈夫です。足利先輩」


「おお、そうか。よかった、安心したぞ」


「指導、よろしくお願いします」


「あぁ。任せろ」


 自分がこんな事をしてる理由はわからない。 一時間ほど前の僕なら、冷たく帰っていただろう。だけど、自分を変える事が、中途半端な自分を変えることが、この部活ならできるんじゃないか?

 ……今はそんな事を考える暇はない。

 急いで僕はスマホの映像のリピートボタンを押した。

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