令和な日々 女子高生編

ひろ津

令和3年4月

第1話 令和3年4月6日(火)「主役登場」初瀬紫苑

 ふああああああ。

 私は大きな欠伸をした。

 後部座席はスモークガラスによって外部から完全に遮られている。

 見ているのは運転中のマネージャーだけだ。


「間もなく到着します」


 そう声を掛けられ、私は手元のバッグから手鏡を取り出す。

 見られる商売なだけにつぶさに確認する。

 古臭いセーラー服には目を瞑る。

 改めてリップを塗り、ブランドのロゴが入ったマスクを装着した。

 これでサングラスを着ければ正体がばれないだろうが、かえって目立ってしまうだろう。

 それに、すぐに私の存在は全校生徒の知るところになる。

 その日が来るのを1日2日延ばしたところでたいした意味はない。


 身だしなみが整ったところで学校の敷地内に入った。

 今日、これから高校の入学式がある。

 いまさら高校に行かなくてもという気持ちはあったが、事務所の社長から強く勧められた。

 以前、アメリカの高校に行きたいと言ったことを覚えているのだろう。

 コロナのことがなければ、そう主張したかもしれない。

 社長が金の卵である私を手放したくないと思うのは当然だ。

 それに、日本の高校に進学させて私の自由奔放な振る舞いを少しは制限したいと思うのも。


 私はこれまで映画に2本出演した。

 子役時代にテレビドラマに出たことはあるが、一昨年公開の『クリスマスの奇蹟』で準主役に抜擢されてブレイクした。

 昨年は主演も務めた。

 事務所は私を映画一本で売り出すことに決めた。

 露出を控え、この情報が溢れる世界において希少性を前面に打ち出している。

 こうした売り方をする理由の半分は、何をしでかすか分からない私のことを考慮した苦肉の策だろう。


 そんな訳で、事務所にとってこの鎌倉というちょっと都会から離れた場所にあるお嬢様学校に私が進学することは好都合だったようだ。

 私としてもいくつかの候補の中でもっとも好待遇を提示した高校なので異存はなかった。

 制服は不満だが入学式のような正式な行事以外は別のものでも良いという確約を取り付けている。

 退屈な日常はまっぴらご免だ。

 しかし、いまは耐え忍ぶ時だ。

 コロナが収まるまで、この世間知らずな箱入り娘たちの園で辛抱するしかない。


 正面玄関にセダンを横付けし、マネージャーのエスコートで車内から降り立つ。

 周囲を見回すと、夏に見学に来た時にはなかった建物が目に入った。

 マネージャーに尋ねると、「この4月から利用可能になる新館だそうです。食堂などがあると聞いています」と答えた。

 真新しいがコンクリート造りの殺風景な建物だ。

 この学校はお嬢様学校という割に美観がよろしくない。

 目の前の玄関もどこにでもありそうなしょぼくれたものだった。


 悪態のひとつもつきたいが、外では自制する。

 どこに人の目があるか分からない。

 いまは「初瀬紫苑」として過ごす。

 プライベートはさらけ出さない。

 それは学校の中でも同様だ。


 上履きに履き替えて廊下を進む。

 保護者代わりに入学式に出席するマネージャーが先導して歩く。

 彼女も上履きを持参した。

 スリッパよりはマシだが、スーツには似合っていなかった。


 マネージャーはここのOGなので、淀みなく歩いて行く。

 私は廊下の窓から外を眺めながら歩みを進める。

 今日は少し肌寒い。

 陽差しは出ているが、ここ最近のような太陽が仕事をし過ぎといった感じはなかった。

 桜のピンクはまばらになっていて、青々とした葉が目立ち始めている。


 会場となる講堂に近づくにつれて、ほかの生徒やその保護者の姿を見掛けるようになった。

 友だち同士が寄り集まっているという様子はなく、家族ごとにまとまっているようだ。

 誰もこちらに気づかない。


「写真撮影をしましょう」


 講堂の前でマネージャーがそう言った。

 私がわずかに眉間に皺を寄せると、「公式サイトに掲示します」と事務的な口調で話す。

 SNSは行っていない――事務所の方針で禁止だ――が、公式サイトは運営している。


 私はデジタルカメラを構えるマネージャーの指示に従って講堂の前に立つ。

 本職には及ばないが彼女の撮影の腕はなかなかのものだ。

 そのプロのような雰囲気が周囲の注目を集めた。

 撮影のためにマスクを外すと、「ねえ、あれって……」と私を指差す生徒が現れた。

 周囲のざわめきなどお構いなしにマネージャーは撮影に専念している。

 私はカメラの方を見ずに「初瀬紫苑」らしいポーズを取った。


 観客が密集と呼べる状態になったあたりで学校の職員らしい人たちがやって来た。

 彼らはこちらには何も言わず、周囲に対して「密にならないようにお願いします」と声を掛けて回った。

 その呼び掛けに従う人はあまり多くない。

 私がマネージャーに「もう良いでしょう」と声を掛けて撮影が終わるまで混雑は続いた。


 講堂に入ってすぐの掲示板にクラスの名簿が掲載されていた。

 1組のところに「初瀬紫苑」の名前があった。

 顔を見ただけだと確信を持てなかった人でもここで私の名前を見れば確信に至るだろう。

 実際、私に声を掛けたいという気持ちを隠し切れない人たちが取り囲むように集まっている。

 私はマネージャーと別れるとその視線を無視するように中に進んだ。

 そして、クラスと自分の出席番号が記載されたパイプ椅子に腰掛けた。


 何人かが勇気を振り絞って声を掛けてきた。

 私は相手を値踏みするように見てから、「ごめんなさい。プライベートの時間だから」と答える。

 それ以上食い下がってくる子がいなくて幸いだった。

 ここに集まっている子ども相手に私が引けを取ることはないが、子どもだから厄介なこともある。


 椅子はかなり間隔を空けて並べられている。

 その席が時間と共に埋まっていく。

 ほぼ満席になった頃に「あと5分で開始します」というアナウンスが流れた。

 隣りの席に少女がやって来た。

 かなり大人びた雰囲気がある。

 彼女はこちらを気にすることなく、前を向いて姿勢良く椅子に座った。


 入学式が始まった。

 国歌や校歌が流れるたびに立ち上がることを強制される。

 次いで理事長が壇上に立った。

 滑舌が悪い上に話し方が下手で、最悪なことに話が長い。

 まるで睡魔を呼び寄せる魔法のようだ。

 私より前に座る生徒の多くがうとうとしていた。

 椅子に座った背中が揺らいでいる。

 私ですら眠気に耐えるのが精一杯だった。


 学園長や来賓の話が続く。

 理事長ほど酷くはないが、退屈なことこの上ない。

 生徒会長の名前が呼ばれた。

 ここで少し会場にざわめきが起きた。

 現職の総理大臣の娘らしいので、主に保護者の間に興味を持っていた人が多かったのだろう。


 ありきたりな挨拶が終わると、進行役から「入学生代表による宣誓」という場内放送があった。

 隣りに座っていた少女がスッと立ち上がる。

 そのまま落ち着いた足取りで壇上へ向かっていった。


 マイクの前に立つとマスクを外した。

 一礼をしてから話し始める。


「みなさんご存知の通り、臨玲の名は地に落ちました」


 よく通る声だが、聴衆は何を言ったか分からないようでポカンとしている。

 彼女はその反応を楽しむかのように顔を上げ言葉を続けた。


「私はここに宣言します。この臨玲を改革すると。その手始めとして生徒会を叩き潰します」


 ザワザワとした喧騒が会場を包む。

 どう反応したらいいか分からないといったざわめきの中で、ひとりだけ行動を起こす者がいた。

 先ほど挨拶をした生徒会長だ。


「何をバカなことを言っているの! 私を誰だか知らないの!」


 彼女は新入生代表に大声で詰め寄った。

 1年生はニヤリと笑うと「存じ上げていますよ。臨玲の膿だと」と侮辱の言葉を吐く。


「何ですって!」と顔を怒りに染めた生徒会長は殴りかからんばかりの勢いで1年生に駆けて行った。


 だが、離れたここから見てもふたりには差があった。

 生徒会長は体格も身のこなしもごく普通の女子だが、1年生は背が高く身体も鍛えているようだ。

 演劇で叩き込まれたことのひとつに、立ったり歩いたりという基本的な動作を正しく行うことがあった。

 一般人は普通に立っているつもりでも、フラフラしたり軸がぶれたりする。

 中学時代もそれができているクラスメイトは片手くらいしかいなかった。


 あの1年生はいますぐにでも舞台に立てそうだ。

 動きに無駄がなく、余計な力も入っていない。

 勝負にならないと思った矢先に、生徒会長がバランスを崩した。

 それを1年生が支える。

 そして、軽々と持ち上げると自分の肩に担ぎ上げた。

 お腹を下に抱えられた生徒会長は足をジタバタして暴れるが、1年生はビクともしない。

 相当鍛えていないとあんな芸当はできないはずだ。

 彼女は生徒会長を担いだまま舞台の下手に消えていく。

 観客は呆然と見送るだけだ。

 私は教師や職員が手を出さなかったことを解せない思いで眺めていた。


 入学式が終わる直前に、隣りの女生徒が何食わぬ顔で戻って来た。

 私は立ち上がると彼女に歩み寄った。

 その視線がこちらに向くのを確認してから、左手で自分のマスクをもぎ取った。


「私は初瀬紫苑よ。あなた、私のものになりなさい」




††††† 登場人物紹介 †††††


初瀬紫苑・・・映画女優。『クリスマスの奇蹟』の準主役として本格デビューを果たした。この映画の爆発的ヒットとともにメインヒロイン以上の注目を浴びその名を広く知らしめた。

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