売り上げ

 エヌ氏は青年実業家だった。

 自ら開発した健康食品を販売し、年々売り上げを伸ばしてきたが、ここに来て成長が鈍くなっていた。


 コンサルタントの分析によると、問題は商品の効果や価格ではなく、営業活動にあった。


 助言を受けたエヌ氏は、営業の体制を改めて宣伝にもお金をかけたが、思ったような成果は出なかった。


 対策会議を重ねても、打開策は見つからなかった。



 長いだけの会議を終えたある日、エヌ氏はバーに出かけた。

 大学の先輩と会うために。


 その先輩も運動器具を販売する、会社の社長を務めていたが、エヌ氏とはちがい、会社の業績を毎年拡大させていた。

 なにか助言をもらおうと、エヌ氏から先輩を誘った。


「もっと営業活動がうまくいけば、二倍も三倍も売れるのですが」

 エヌ氏の話を黙って聞いていた先輩は、首を横に振った。

「たいていの商品はそうだよ。出回っているものより、品質がよくて安いものなんて、いくらでもある。極論を言えば質が悪くて高かろうが、営業さえ上手なら、ものは売れる」


 反論できないエヌ氏をしばらく放っておいたのち、先輩がささやいた。

「ひとつ、とっておきの方法がある。良心が痛むやり方だがね」

 エヌ氏は手元の杯を一気に空けてから、小声で返した。

「非合法なやり方ですか……。それはできません」

「いや、法律には違反しないよ。おそらくグレーですらない。法的にはね」

「倫理的に問題があるとか?」

「まあ、そんなところだが、君の会社はまったくの白なのか?」

「いいえ。競合する会社もありますから、きれいごとばかりではやっていけません」

「商品の注意書きをわかりづらくしたり、クレームを無視したり、訪問販売で老人だけの家をねらったり、とか?」

「まあ、そういうことです」

「ほかにどういうことをしているんだね。包み隠さず教えてくれないか?」

 とっておきの方法とやらを教えてもらうには、先輩に従うしかないと、把握している限りの範囲で正直に話した。


 先輩に熱意が伝わったのだろう。一枚のメモをエヌ氏に渡してきた。

 そこには、高級車が買えるくらいの金額が記されていた。


「いまは詳しく話せないが、ある協会にきみを推薦しよう。それがうまくいったら、その金額を現金で用意してくれ」

「何の協会ですか。見込みのある営業先でも紹介してくれるのですか。そういう業者とは、もう付き合いはありますが?」

 先輩は「楽しみにしていてくれ」といったきり、話題を別のものに変えた



 しばらくして、先輩からエヌ氏に電話があった。

「おめでとう。君の入会が認められたよ。倍率が高いから心配していたんだ」

 どう答えてよいか分からずにいると、先輩の会社へ現金を持ってくるように、エヌ氏は指示を受けた。

 だまされているのかもしれなかったが、エヌ氏には他の策がなかった。



 高層ビルの中にある先輩の会社へ出向くと、社内は活気に満ちていた。

 営業職と思われる青年が、走るように外へ出て行くのにすれちがった。

「わが社もこのようになれるのだろうか」

 エヌ氏が受付で待っていると、社長室に通された。



 ソファーにすわっているエヌ氏の前に、先輩がタブレットを差し出した。

 ディスプレイには地図が示されていた。


「いいかい。いまから僕の言う通りにするんだ。質問は一切受け付けないからね。それから、もちろん他言無用だ。他言すれば協会の手によって、きみの会社は確実に潰される」

 真剣な面持ちで念を押す先輩に、エヌ氏は大きくうなづいた。


「きみの会社にも、できれば今すぐに辞めてもらいたい社員がいるはずだ。営業にひとりくらいはいないかね。辞めそうな奴が理想だな」

「性格に難のある若手がいますが」

「よし、その子にしよう」

 ローテーブル越しに先輩が手招きをした。

 エヌ氏が顔を近づけると、先輩が小声で話をつづけた。

「いま、タブレットに出ている家へ、そいつを訪問させるんだ。ほかの社員にはわからないようにな。成績の悪い君を見かねてとか、言えばいい」

「できますが……。何かの犯罪に彼が巻き込まれるのは困ります」

「その家で何が行われるのかは知らない。知りたくもない。ただ、きみが黙っていれば警察沙汰にはならない。私の時のようにね」

「その家へ彼を訪問させることが、どういう風に売り上げへつながるのですか?」

 先輩は質問には答えず、「場所は覚えたね」とタブレットの電源を切った。

「やるかやらないかは君の自由だ。やらないのならば、金を持って帰ってくれ」



 数年が過ぎた。

 例の家へ訪問させた若手は、行方不明になってしまった。

 営業に出かけたきり戻って来なかったが、社員のだれも行き先を知らなかった。

 単なる営業マンの失踪で片づけられ、警察がエヌ氏に事情をきくこともなかった。


 その若手がいなくなってから、商品が爆発的に売れ出したため、だれも彼のことを気に留める余裕がなく、すぐに忘れ去られてしまった。


 急に商品が売れ出した理由は、だれにもわからなかった。

 協賛金を協会に払いつづけている、エヌ氏すらも。

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