第51話 夜の鳥のささやき

 大きな月が、森の木々の黒い枝の隙間から、顔をだす。

 小屋の戸締りを白雪が確認する。


「鍵の閉め方知ってるんだ」


 ハンスの軽口に、白雪は


「バカにしないで。学んだもの」


 とそっけない。

 しかし、口調に反して、その視線は心配そうにハンスをチラチラと見る。


「さあ、行こうか」

「ねえ。ほんとうにケガは……」

「だいじょうぶだって。ほら、いくよ」


 それから、二人は揃って鉱山に向かって歩き出した。

 白雪の持つランタンが周囲をオレンジに照らす。

 春に向かう季節だが、夜はおもわず縮こまるほどに肌寒い。二人の吐く息も白く立ち昇る。

 静寂の中、かさかさという葉をふみしめる音、夜の鳥の鳴き声だけがする。

 しばらくして、ふと、ハンスが白雪に問いかけた。


「ねえ、白雪。君はさ、どうしてこんな森にいるの? 家出でもしちゃった?」


 そのほとんど、ささやき声のような声音のやわらかさに、白雪の声にも笑いが混ざる。


「ふふ、そうよ」

「そうなんだ」

「あのね、お兄ちゃんが迎えに来てもらうために、ここにいるの。約束したから」

「お兄ちゃん?」

「婚約者で、わたくしの王子様よ。なんにも悪いことをしていないのに、閉じ込められているの」

「ふうん。迎えに行かないの?」


 ハンスの言葉に、白雪は虚をつかれた、ふしぎそうな顔をした。


「え?」

「だって、閉じ込められているんでしょ? 迎えにきてもらうより、行った方が早くない?」


 白雪はそっとほほえむ。


「そうね。しないんじゃないかしら。多分」


 白雪は首を傾げた。

 その口ぶりに、ハンスも首を傾げ、


「ふうん、そうなんだ」


 と返した。


「『お兄ちゃん』に、会いたい?」

「ええ、会いたいわ」

「そっか」


 そんな意味のあるような、ないような曖昧な会話を交わしながら道を進む。ちいさな川を渡ってほどなく、ちいさな集落にたどり着いた。バラックで出来た家の壁。そのすべてを合わせても二十棟もないような、ちいさな集落だ。


「ここは鉱山で働いている人たちが住んでいるんですって」

「へえ、それにしては随分人気がないね」

「そうね。いつもはもっと賑やかなのだけど」


 奇妙に静まり返った通りを抜けて、鉱山の入り口に着く。そこでは、数人の男たちがたむろして、タバコを吸っている。


「なんだ、お嬢ちゃん」

「ねえ、皆さん、ごめんなさい、なにかあったの?」

「ああ」


 煙を吐き出しながら、男の一人が答えた。


「またトンネルが壊れたんだ。作業していた半分以上が生き埋めさ。今、助けようと、掘り返している最中だよ。でも、たぶん、無理だろうな」


 薄暗いランプの光が、男の顔に影を作る。

 暗い顔だった。


「……まあ」

「あんたたち、だれの知り合いだ?」


 白雪が答えようとした時、子供特有の甲高い声がした。


「白雪!」

「まあ、サミュエル!」


 ぼろぼろな格好に、いつもより煤けたサミュエルがそこにはいた。

 駆け抜けて来た彼が白雪の腰に抱きつく。

 白雪はぎゅうと、小さな子供を抱き返した。


「他の子達は?」

「みんな、無事だよ」

「そう、よかった」


 腕を話したサミュエルが、ハンスを見て、


「だれ、この人」


 と尋ねる。

 ハンスはぼんやりと崩落したトンネルの方向を眺めていた。サミュエルの声に、今度は彼をじっと見つめると、


「おやおや……、この国は随分と災害が多いな」


 とぼんやり呟く。

 白雪は、代わりにサミュエルに紹介する。


「ハンスよ。今日からしばらくウチに滞在するの」

「「え?」」


 サミュエルとハンスの声が重なる。

 しれっと白雪は言ってのけた。


「さあ、他のみんなのところに連れて行ってちょうだい。早くみんなの顔がみたいわ」




 



 それから一週間もの間、ハンスは小人たちの家にいた。

 白雪と一緒の寝台で寝て、白雪に差し出された甘味を食べた。

 時折、家の中や周辺をうろついたかと思えば、精魂尽きたように寝台でねこける。そんな生活が続いた。

 奇妙なことに、件の警察官は、それ以降、姿を現さなかった。

 まるで小人たちの存在が見えていないかのように振る舞うハンスに、小人たちはキーキー突っかかった。じゃまだよ!と言われつつも家に居座れるのは、なんとも図太い。

 唯一、ハンスは白雪を気にした。

 ある時、ハンスは暖炉の真横でぬくぬく暖まりつつ、読んでいる本から目を離さず、問いかける。


「白雪、どうして私を追い出さない?」


 ふしぎそうなハンスに、白雪はやさしく答えた。


「だって、ハンスの怪我、まだ治ってないじゃない。治るまで休むべきよ」

「どうして、そう、親切なんだ? それが普通だから?」

「ええ、そうよ」

「そっか。あんた、だれにでも親切なんだな。善人なんだ」


 そんな、納得したようなことを言う。

 ぺらり、紙のめくれる音がした。


「白雪、ねえ、その呪い、見せてよ」

「え?」

「そのポケットに入っているの」


 白雪がエプロンのポケットをまさぐると、櫛がでてきた。


「え、この櫛?」

「呪いがかかってる。どうしたの、それ?」

「行商の方から自分のお金で買ったの」


 小人たちや炭鉱周辺の家々が世話をする対価として、わずかに代金をくれる。そのお金で買ったものだ。呪われていると知り、じぶんの持ち物を汚された気がして胸の中にどろっとしたものが溢れる。


「ねえ、どんな呪い?」

「あんたを元の場所に連れ戻そうとしている。それがいやなら、捨てた方がいいよ」


 白雪はハンスの横に座ると、その服をひっぱった。


「いやよ、魔法使いなんでしょ、どうにかしてよ」


 めいわくそうな、困惑したような不思議な顔をして、ハンスはそれでも本から顔をそらさない。


「ええ、……やり方教えてあげる。元の自然な状態に戻すのがコツさ。呪いをかけて時間が経つと、違和感が出てくる。買った時とちがう部分はない?」


 言われた通りに、じっと白雪は櫛を確認する。

 すぐに奇妙な部分を見つける。


「あ、ほんとね。ここにこんな模様はついてなかったわ」


 すかさずハンスが言う。


「解放するんだ、君の居場所はここではないと」

「呪いに語りかけるの?」

「そうだよ」


 白雪はその奇妙さに首を傾げた。


「削り取っちゃえば早いわ」

「野蛮人かよ」


 ナイフを持ってきて、鉛筆を削る要領ですっと刃を走らせた。


「えい」

「あ」


 途端に、なぜか暖炉の火が爆ぜた。

 その火の粉がハンスのローブに燃え移る。

 燃えやすい素材だったのか、勢いよく火の粉があがる。


「ぎゃあああ。あっ、本、ほん!」


 ハンスが慌てて本を手放す。


「あなた、燃えているわ、ハンス!」

「知ってるよ!」


 ハンスがごろごろと床を転がる。

 それでも治らない炎に白雪は慌てて持ってきた水差しの中身をぶち撒けた。

 白い煙が立ち上がる。

 ハンスは床に座り込み、ぜえぜえと肩で息をして、うらみがましそうに声を張り上げ、白雪を睨みつける。


「なにするんだ!」

「ごめんなさい」

「次やったら、縛り付けるか、ねむらせるぞ!」

「まあ、なにそれ怖いわ」

「そう。なら大人しく、…………なに笑ってんのさ」

「だって、ハンス、燃えて。ふふ」


 おもわず笑い声が漏れた白雪に、ハンスはふてくされた。


「あんたのせいだ」

「真っ赤だったわ、ふふふ」

「火だもん、はあ」

「ふふふ」


 白雪の笑い声につられたのか、ハンスの文句にも笑いが混ざる。

 骨ばった肩が上下にゆれる。


「まったく、死ぬかと思った」

「ごめんなさい」

「はは、ゆるさない」


 ハンスは床に落ちた櫛を手にとる。

 まじまじとそれを見つめた。


「どうしてもこの櫛を使いたいワケ?」

「うん」

「しょうがないなあ、……おや」


 ハンスの声に、白雪も手元を覗き込んだ。


「なあに? どうしたの?」

「呪いの構造が完全に変わってる。なんだこれ。なにしたんだアンタ」

「分からないわ」


 ハンスは燃えさしのローブから不思議な編み方をした組紐を取り出すと、その櫛の持ち手にそのぐるぐると巻いていく。


「どうしてもその櫛使いたいなら、とりあえず、これ巻いときなよ。そのなんかよく分からない魔法を抑えるとおもうよ」


 白雪はその櫛を受け取ると顔を輝かせる。


「まあ、世界に一つの特別な櫛になったわ。ありがとうハンス」

「え?」


 それから、ハンスの頬にキスを一つ落としたのだった。


「なにすんだ」


 ハンスが顔をひきつらせる。

 白雪は笑って答えた。


「お礼のキスよ」




 ハンスが小人の家を出発したのは、それから三日後だった。

 ホウキにまたがるハンスに白雪が聞く。


「ねえ、また会いましょう」

「へ? ……うん、また近いうちにね」


 ハンスがうすく笑い、尋ねた。


「ねえ、出発する前にさ、君の『お兄ちゃん』、シャルルだっけ? どこに閉じ込められているの?」


 白雪は首を降る。


「分からないの。どうして?」

「犯人探しついでに、情報を調べてあげるよ」

「……ありがとう、ハンス。たぶん、ピエールなら知っていると思うのだけど」

「ピエール?」

「ピエール・ド・ペロー。王都にいるお兄ちゃんの友達よ。この国の公爵なの」

「また希少なのと知り合いなんだね」

「ハンスにだから、教えるわ。ハンスは、わたくしを誘拐して身代金を請求したりしないもの」 

「買いかぶりすぎだね。牽制かな」

「わたくし、あなたを信じるわ」


 白雪はじっとハンスの瞳を見つめる。

 ハンスはそれを見つめ返す。


「あなたは、わたくしの友達よ」


 ハンスは目を眇めた。


「友達、ねえ。そりゃどうも」

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