第45話 彼の矜持

 小さな魔女が窓に張り付いて、飛行船から街を見下ろす。

 優に五十人もの客を乗せる遊覧飛行である。

 黒い煙をあげる家々の煙突や、道をゆく人々。荷を負うロバなんかが見える。

 ふと、街の中心の教会の広場で、黒焦げになって放置された焼死体があるのが見えた。周りを警察が忙しそうに行き来している。


「魔術師だってさ。どこぞの魔女に殺されたらしい」


 だれかがひそひそと言うのが聞こえた。


「いや、共和派による粛清だって聞いたぞ」

「シっ。やめろよ。余計なことをいうな」

「……」


 魔女は自らの体が浮き上がりそうになるのをこらえて、手すりをぎゅっと握った。その目はじっと、焼死体を見つめている。

 その口はやがて、皮肉げな笑みを浮かべた。





✴︎

 そこは、人を迷わせる迷路のような庭だった。

 どこまでも続く白いタイルの上で、王子シャルルは婚約者の少女と戯れていた。シャルルは内心、どうせ遊ぶなら歳の近い男子がいいのに、そう思いながらも、足の遅い少女に合わせて駆けっこをしてやる。

 少女は婚約者で、同時に人質だった。

 権勢を誇るシャルルの家に、彼女の家は阿り、この幼い少女をよこした。まだ右も左もわからないうちに、この世でいちばん裕福な国にやってきた少女は、まわりの豪奢な建物や衣服には目もくれず、心細さに泣き暮らす。

 それならそれでよいものの、シャルルがこの小さな姫に近寄った時だけ、へなへなとした笑顔のようなものを見せるので、周囲がそれなら、と王子に姫のお守りを押し付けたのだった。

 王子は自分のそう多くはない遊び時間が、姫君に吸われるのがイヤだった。


「お兄ちゃん!」


 少女が敷き詰められた砂利に足をとられ、転びかけたのを、腕で受け止める。

 シャルルにはこの目の前にいるちいさな生き物が五歳しか差がないようには思えなかった。成長がおそいのか、華奢なその姿はあまりに脆く見え、つよく触っただけで壊してしまいそうな気がする。女の子というより、赤ん坊だ。

 シャルルは退屈していた。

 こんなのろのろと走るくらいなら室内に戻って勉強でもしていた方がましだった。

 それでも、もうやめよう、と言う気になれないのは、彼女が楽しそうにしていたからだ。部屋の隅で泣きそうにしているよりはいい。笑っている時の方がまだかわいい。そんな気がする。

 腕の中にいた少女は急に泣きそうな顔になった。


「どうしたの?」


 やさしくシャルルが問いかけると、彼女は困ったように首を横に振った。


「この間、お兄ちゃんって呼んじゃいけないって、先生に言われたの。ごめんなさい、先生に言わないで」

「べつにいいよ」


 シャルルはそう言った。


「好きなように呼んでくれていい。先生がいない時ならね。僕も怒られたくはない。だから、二人だけの秘密だ」

「ほんとうに?」

「うん、親しくなれたみたいで、僕は嬉しい」


 シャルルのどうせなら仲良くなっておけばいいか、という程度の考えが、口が聞き覚えのいい言葉を垂れ流す。それでもその言葉は見事に作用し、少女は赤ん坊らしく笑った。


「うん、お兄ちゃん!」








 遠い昔の朧な記憶を思い返して、王子は嗤った。

 あの花園で暮らしていた王子は、いまや塔の虜囚だ。身の丈に合わない薄汚れた服、体から飛び跳ねるシラミ。頬は落ち窪んでいる。体を動かすことさえままならない。この姿を見るだれが高貴な身の上だと思うだろう。

 いや、もしかしたら北の国にいるという悪魔ならこういうのを好むのかもしれない。だとしたら、彼はもはや通常の王ではない。蝿の王だ。


 目の前の床にある頭からも蝿が飛び回っている。

 顔の方向こそ王子の方を向いてはいれど、その白濁した瞳孔は、左右バラバラに虚空を向いている。

 医者見習いの若い男の首だった。

 ティエリーという名前だった。

 殺されたのは、王子への当てつけか、それとも理由すらなかったのかもしれない。殺そうと思ったところに、たまたま殺してもいい人間がいた。それくらいの理由で殺されたとしても驚かない。

 床は、吹き出して乾燥した血が赤黒く凝固している。

 放置されてはや三日になる。


『間抜けなツラだな。食うにはマズそうだ』


 そんな事を考えていたら、どうやら顔が勝手に笑みを浮かべていたらしい。

 王子の寝台の横の椅子に座り、つらつら御託を並べ立てていた弁護士だという男が、ひょいと片眉を持ち上げた。気に障ったのだろうか。しかし、男はその事には触れず、つい先ほど王子に述べたのと同様の言葉を繰り返す。


「殿下、聞いておられますか? あなたは即位するのです」


 表情の読めない顔をしたずる賢い男。

 男がなにに似ているのかを少し考え、王子は思い至った。

 カマキリだ。

 たしかに生き物なのに、感情の感じさせない、人間と隔たりがある感じが、まるで昆虫のようだ。


「即位? 僕はいまだ王子なのか?」


 王であった王子の父親を処刑したのは、この男の仲間たちだ。

 かすれた声が皮肉を言う。

 体の衰弱と共に、喋ることは困難になった。ほぼ死にかけ、朽ちていた王子を医者に命じてわずかなりとも回復させたのは目の前の男である。王子には治療を拒む権利すらなかった。

 男の目的は王子を利用する事にある。

 他の皆んながそうであるように。


「この品物についてご存知か」


 男の合図で横に控えていた従者が、プレートに厳かに乗せられた小さな箱を机にのせる。男はその箱の上蓋をうやうやしく取り外し、箱をそっと王子に傾けるが、見せられるまでもなく王子はその中身を知っていた。磨りガラスでできた小瓶である。


「宝物庫にあったこれは、厳重な封がされておりました」


 ふいと興味なく逸らされた視線に、男は静かに箱の位置を元に戻す。

 王子はその小瓶の正体を知っていた。

 瓶を振っても、なんの音もしない。

 おそらく物理的なモノは、なにも入っていないのだ。

 王子は沈黙を返す。返す言葉を持たないからだ。

 しかし、男はそれを反抗と捉えたものか、ぎょろりとした目をさらに見開いた。


「答えないおつもりか。もしや、期待しておられるのか? 残党狩りはすでに終わり、愚かな王党派ですらもはや殿下を探してはおりませんぞ」


 叱咤の芝居でもするような口調だが、王子は何の期待もしていない。

 ようやく収束しつつあるものの、国に起きた大きな革命は王子だけではなく、市民の記憶にも生々しく残っているのを王子は知っている。

 列車事故を起爆剤に、経済の暴落による飢えと貧困に吹き溜まっていた平民の不満は爆発し、王族や貴族は狩られ、殺された。関係のない無辜の民も多く巻き添えをくらい、死んでいったという。今ではもはや、飢えて死んだ民と革命で失われた命とどちらの方が多いのか分からないくらいだ。


 原因は改革にあった。

 王子より二、三代前に行われた膨大すぎる浪費を、父王は社会に変革をもたらす事によって賄おうとした。旧来の制度を変え、現在の価値観に見合ったものにするのだ、そうすれば民は真の意味で自立し、彼らの負担は今より軽くなるだろう、英明な父親はそう言って、笑っていた。しかし、それは失敗に終わった。


 その失敗の要因の一つになったのが、目の前の男がうやうやしく持つ小瓶にあった。むしろ、これに対処しきれなかったために、王朝は終焉に導かれたと言ってもいい。呪いのアイテムだ。


 王の処刑直前、この瓶のことを知っていた王党派の家臣たちが、国庫から持ち出し儀式を行おうとしたと王子は伝え聞いたが、処刑がそのまま行われた事を鑑みるにうまくいかなかったのだろう。


 結果、王家はなくなり、さらに多くの混乱と犠牲者を生み出し、政は国から消え混沌のみが残った。しかし、人間というものはしぶとく、王がダメなら代わりを見つけ出すものだ。権力者の顔は何回か代わり、いまは田舎の出の弁護士の男が代議士を名乗り、国を導かんとしていた。それがこの、目の前にいる男だ。男は国を象徴する自由と平等の二色旗を作り、国のそこかしこに飾らせた。


 王子は重い口を開いた。


「なにが知りたい」

「殿下はなにをご存知です」

「……それは、『地獄の坩堝』と呼ばれたものだ。建国当初からこの国にあり、その瓶の口は地獄へとつながっていると伝えられている」


 瓶は忌々しく災いと共鳴し、その獲物を待ち構えている。今にもはちきれんばかりなのだろう。


「そして、その瓶は、二十一年に一回、二百三十六人もの命を要求する。逆らったり、壊したりすればひどい災厄を国に撒き散らす。革命の前年、それがちょうど節目の年だった」

「瓶が革命を起こさせたと?」

「……父王は、贄を差し出さなかった。それはたしかだ」

「せいぜい二百人程度。大きな数字ではないでしょう。どうして王は行わなかったのです?」

「父上は民を犠牲にすることを望まなかった」

「……」


 男は眉をぴくりと動かした。

 その細い指先がとんとん、と神経質に机をたたく。

 しかし、王子が視線をやったことに気がつくと、すぐに動きを止めた。


「先代が贄を捧げていたにも関わらず、近年になってその小瓶は災厄を撒き散らす事が増えた。父上は意味のないことを避けようとしただけだ」

「それでは、あなたがた、いいえ、彼が王の器ではなかったという事を指しているのでしょう」


 王子は男を睨みつける。


「いいや。見誤ってくれるなよ。父上は優しく、聡明な方だった。彼以上の王はいない。そして、その父上でさえ封じ込めに成功しなかったというのに、お前達にそれが扱えるのか?」


 男は白々しくも首を垂れて見せた。


「もちろん。我々はこの瓶を含め、すべての敵から、民を守護する心算も、それを見せる用意もあります。人民の心をまとめてみせましょう。殿下、王政復古です。あなたは、この国の王になる」


 王子の眼差しに込められた確かな怒りに、男、ジョンはつう、と目を細めた。


「殿下は、長い間閉じ込められていた割には、賢くあらせられる」

「頭の出来がちがうんでね。君たちは何回同じ事を繰り返すつもりだい」

「殿下が王になることは、あなたたち一家の悲願でしょう。亡くなった母君もさぞお喜びになる」

「僕らの命を使っても、どうせ二十一年後には同じことが繰り返されるんだぞ」

「神を騙ったあなた方が長い間行ってきたことでしょう。これは前時代の負の遺産ですよ。我々はその始末を買って出ているんだ。もっと感謝していただきたい」


 フン、王子は鼻を鳴らした。


「いいだろう、僕の命、この国のために使ってやろうじゃないか。元よりそのために生まれてきた」


 王子は思い描く。

 彼の父が国を思い泰然と処刑台へと向かった姿を。

 痩せ衰えたその身で、王子は胸を張った。




 それは今の王子が縋れるたった一つのことで、

 それが彼の矜持だった。

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