第26話 請い願う

 一泊城で明かした後、麓の街まで降りた魔女たちは、行きの時にここまで連れてきてくれた御者と合流した。

 今朝になって到着したピエールの両親には、もう少しいてはどうかと引き留められた。けれど、これから彼らに話すことは山ほどあることが見当ついたし、ソルシエールはそんな中にはいたくなかった。彼らの話の決着に魔女は興味がなかったし、彼女が話すべきことなどなにもなかった。


 目を覚ました使用人たちは気まずそうな、そして申し訳なさそうな表情をしながらも、エラの帰還に祝福の言葉を述べた。こちらも、これからなのだろう。

 もしかしたら仕事をクビにされる使用人もいるかもしれないが、その辺はピエールが抜かりなくやるはずだ。なにせ彼は女好きではあるが、有能だから。


 今やすっかり新品のようになった馬車の背に赤ずきんは座り、ソルシエールはホウキにまたがり、その脇をゆったりと並走する。

 その頭には包帯が巻かれている。


「ふぁ…」


 大きなあくびが出る。

 結局、城に着いて早々事件に巻き込まれたため、眠りもせずに一晩過ごしたことになる。その後、よく寝たとはいえ、なんだか寝足りないような気もするのだった。


 眠いなあ。


 だからソルシエールはそう思った。

 しかし、空があまりにも青いので、なんとなく馬車の中で眠ってしまうのはもったいない気がして、眠気覚ましもかねてホウキに乗っている。ちなみに、アーノルドとその胸ポケットに収まったオーギュスターブ警部は、馬車の中で泥のように眠りに着いている。


 空に浮かんでいる雲をぼんやりと見つめる。

 それから今度は、なんだかお腹が空いたなあ、と思い、隣の赤ずきんに声をかけた。


「ねえ、赤ずきん。今日はいい天気だね。お腹すいたね。空に浮いた雲がまるでわたあめのようだなあ」

「…………」


 返事がないので、隣を見る。

 赤ずきんは明らかにそんなことどうでもいいという顔をしていた。ソルシエールはそこでようやく、赤ずきんがまだ怒っているのだということに気がついた。


「死んでないの分かってたよね?」


 確認すると、ブスリと赤ずきんが答える。


「心配していたからだよ、師匠。命を落とさなくても、師匠が傷ついていないか、苦しんでいないか、とても心配だったんだ」

「…………君は、いい子だね。ありがとう」


 赤ずきんの頭に手を伸ばすと、パシっと手を弾かれる。その上、そっぽまで向かれてしまった。


「あ、赤ずきん?」


 ソルシエールはそこで、さすがにまずい、ということをようやく理解した。

 その途端、ソルシエールの目玉がせわしなく右往左往する。おろおろするソルシエールの肩周辺を、赤ずきんが見つめた。視線すら合わせてくれないと、ソルシエールはさらに慌てる。


「ねえ、『魔女の誓い』って最も重い契約魔法だよね…」


 そんなソルシエールに構わず、彼の方はそんなことを言い出した。


「う、うん」


 話の着地点はどこだろう、とソルシエールは尻込みする。

 もしかしたらもう二度と彼のオムレツは食べられないかもしれない、そう思うと冷や汗が出るし、発言も慎重になる。


「師匠、おれとも誓ってよ」

「え、いやだよ。死ぬまで逃げられなくなるじゃんか。そもそもなにを誓うのさ」


 とっさに返事をしてからしまった、と臍を噬む。

 しばらく無言が続いたと思ったら、赤ずきんはぷっと吹き出した。


「えー。ずるい」


 なにがおかしかったのかは分からない。

 けれど、その笑いの含まれた声に、思わずソルシエールも笑いをこぼした。


「はいはい」

「ねえ、どうして殺されないって思ったの?」


 赤ずきんの疑問に、調子に乗った魔女が唇の端を自信満々に持ち上げた。


「いくら虐待されていても箱入りのお嬢さまだからね。はじめての殺人は誰だって戸惑って加減をしてしまうものだよ。それが暴力になれない人ならなおさら」


 まるで無計画なその言葉に、赤ずきんが再度顔をしかめる。


「はあ、まったく。上手くいったからいいものの! 本当に心配したんだからね!」


 林道に赤ずきんの声が響いたのだった。







「動揺させるためにあえて殴られて脱出ねえ…、バカじゃないのか」


 紙同士がすり合わさる微かな音。そんな音すらアーノルドの耳が拾えてしまうほど、その室内は静かだった。アーノルドが提出した報告書を王は読み、呆れたように息を吐き出す。


「こっちの報告書には、そんなこと書かれていなかったが」

「配慮されたのでしょう」

「なにに?」

「……」

「ところで、魔女になんの対価を差し出した?」

「沈黙を」

「沈黙?」

「出口を開きたいのなら、理不尽なことが起きても手出しをせずに黙って見ていろ、と」

「なるほど、相変わらずものぐさだな。それに随分安く済ませたものだ」

「……」


 黙したアーノルドを王が眺める。


「破格と言ってもいい。まあ、…いいか。ところでオーギュスターブ警部はいまだにカエルのままなのかね?」

「ええ、…王子の真実の愛のキスで元に戻るそうです」


 踊りを披露しろ、と魔女に言われた警部はそれを拒否した。そのせいで契約不履行だと憤慨した魔女に呪いをかけられたのだ。


「王子? それは何かの比喩なのか? それに僕は王子じゃなくて、王だ。御免被るね。君がしてやるといい」


 これは拒否できる命令なのだろうか、アーノルドは困惑する。

 アーノルドは突然、王に呼び出されたのだった。馳せ参じてみれば、彼の人は、自分が提出した報告書に目を通していた。生まれて初めて目にする国の頂にいる人物に、どうしても気後れしてしまう。声をかけていいものか迷っていたら、向こうから声がかかった。


「それにしても…、魔女が祝福を授けた、か。これはいいことを聞いた」

「ええ。魔女どのは優しい方ですね」


 その言葉に、王はほんのわずか、目を眇める。

 そんな些細な動作に、アーノルドはどきりとした。


「優しい? そんなわけないだろう。君にはそう見えるのかね」

「申し訳ありません」


 反射的に謝罪をする。王はまじまじとアーノルドの顔を見つめた。


「あるいはとんだ正直者か。考えてみるんだ、どうして僕が魔女を使えると思う」

「王命を授けているからでは」


 すべり出た言葉に、王は困ったように顔をしかめた。


「魔法使いを権力で縛ることはできないよ。ペローは僕の友人なんだ。彼を失うことがあったら僕は苦悩するだろう。それは、魔女の宝物に影響をもたらし、結果、完璧さを損なうことになる」

「魔女どのの宝?」

「そうだ。魔女はコレクターなんだよ。そしてそれが魔女をこの国に縛り付ける鎖になる」


 王が微笑む。


「魔女はもしエラ嬢がピエールに、つまりこの国に悪影響を及ぼすことがあるのなら、『約束』を口実にとっとと排除してかかるだろうな」


 王の浮かべた笑顔に、アーノルドは彼の存在の不安定さに生まれて初めて思い至った。

 アーノルドにとって、王というのはいてもいなくても変わらない雲上人だった。少なくともこんな風に会う予定は彼の人生にはなかった。

 それが今、一対一で話をしている。

 王の喋り方はまるで、自身が全能な神だと言わんばかりだ。すべてを理解し、掌握する。自分の感情さえ、計算のうちの一部だとばかりに宣託を下している。アーノルドは王が国の象徴としてのマスコットではなく、為政者なのだと理解した。もし、彼が判断を間違えば、あるいはほんの些細な気まぐれを起こせば、アーノルドの命も、人民の命も、消し去ることなどいとも容易なのだろう。そこに正義や倫理はまるで関係ない。


 道理で人々が疎ましく感じ、排除しようとしたわけだ。

 ゴクリと喉が鳴る。


「…。どうしてそのお話を私に?」


 アーノルドの疑問に、王はにこりと微笑んだ。


「君はまだ魔女を知らない。知らないものがあるなら、知るべきだ。そうは思わないか? そう、僕は君に期待をしているんだよ」





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ビターな結果ながら。

ピエールの勝因:歳上で包容力があったこと。運がいい。

エラの敗因:単純に残酷な行為の経験値が足りなかった。魔女さえ殺していれば勝てた。




"おまけ"

 エラとピエールが出会った頃。

 丘のふもとで初々しい会話が交わされた。


「君の好きな食べ物は?」

「あたたかいスープ、です」

「それだけ?」

「あと、マシュマロを浮かべたホットココアとか」


 押し気味のピエールにエラはたどたどしく返事をする。


「俺もだ! 幼い頃、スキーをした後に山小屋で飲むのが習慣だった。外が寒い分、ココアがたまらなくおいしいんだ。まあ、それも革命までの事だったけどな」


 自分が余計なことを言ったことに気がつくと、ピエールは一瞬苦笑して、それからなおいっそう煌びやかな笑みを浮かべた。


「エラはどういう子供だったんだ? なにをするのが好きだった? きっと可愛かったんだろうな」

「あ、あの……」


 エラが困惑する。ピエールはすまない、とあやまった。


「君といるとどうしても浮かれてしまう。君の事を知りたいと思ってしまう。余計なことを言ってばかりだ。抑えるよう努力するよ」

「……」


 エラはなにも答えず、そっと儚げなほほえみを浮かべた。

 しかし、その目は、どうしたらいいか彷徨うように不安に満ちている。

 ピエールはエラの額にキスをすると、手を差し出した。


「さあ、余計な質問をする前に、散歩に出かけよう」


 その手をエラがとって、二人は連れ添い歩き出す。

 静けさが辺りに満ちる。

 しかしそれも、ピエールの口から次の質問が出てくるまでだった。


 もちろん、それがさらにエラを追い詰めた事はいうまでもない。

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