第24話 対話

 残っていた人間が消えると同時に、城まで消えてしまったようだった。

 ピエールの周辺は辺り一面、ただ黒い、闇しかない空間が広がっている。ついに取り込まれたか、と身を固くする。けれど、それにしては輪郭は随分とはっきりとしていた。


 きっと、この闇には終わりがないのだろう。

 試さなくても、それが分かるようだ。

 なら、進んでも、戻っても意味はない。

 ピエールは、さてどうしたものか、と迷い、床にゆったりと座り込んだ。

 それから、誰もいない空間に向かって話しかける。

 自分自身に向かって語りかけるのと変わらないその行為はなんだか気恥ずかしかった。


「あなたは、やっぱり優しい人だな。そういうところに、きっと俺は惹かれたんだ」


 笑いの含まれた声。

 彼の声は、闇に吸い込まれるようにして消えてしまった。どこまで続くともしれない闇に一人きり。けれど、ふしぎと彼は怖くはない。自分の中にも同じものがあることを心の奥底で自覚していたからかもしれない。


「ごめん。力になれなくて。苦しんでいることを理解してやれなくて」


 ただ、彼女に声が届くように祈る。


「あなたは、自分のしていることを正しいことだとは思ってないんだろう。じゃなきゃ、消えたいと願いつつも、正しくあろうと抗うことなんてしない。本気でそのつもりだったら、この城はとっくに呑まれていたはずなんだ」


 魔女は言っていた。ここには法も規則もないのだと。それなら、この空間ではピエールは貴族ではなく、もはやピエールという個人ですらなくなってしまったのかもしれなかった。


「俺は知っている。抗えない人間をたくさん見てきた。地に堕ちた人間たちを」


 名前をなくすこと。それは思っていたよりも、不快ではなかった。


「俺は不思議に思う。あなたは復讐を望まなかった。どうしてだ? 俺があなたの立場にいたら、きっと継母の首をはねるのをためらわない。俺は、ひどい人間なんだ。その自覚がある」


 言葉が放たれ、


「きっと、だから、きれいな君に惹かれた」


 闇と混じり合っていく。


「ごめんね。背中を押されたのに、決断するのがこんなに遅くなった。俺は、エラを愛している」


 自分の愛している、の言葉には、なんの意味もない。

 そんな事は分かっていた。

 それでも言わずにはいられなかった。

 彼は思う。

 彼女が望み続ける限り、ここにいようと。

 十秒も、数日も、数百年もここでは等しい。

 さらさらと砂がこぼれ落ちるように、時間が過ぎていく。 

 星が一つも見つかることのない夜。

 闇にたゆたう。

 そこは、残酷なほどに、虚無で、美しかった。


「きみが、好きだ」



 −−

 −−−

 −−−−

 −−−−−−


 百年もの、五百年もの時が過ぎた。

 言葉も輪郭も曖昧な中、ピエールはやさしく言葉を紡ぎ続ける。


「きみは本当の意味では分かっていないんだ」


 言葉を紡いで、手を伸ばし続ける。


「母親と慕った人間に愛されたいと願ったことは罪じゃない。そして、愛されなかったことに対しても、なんら責任がない」


 闇を撫でる。なんの手応えもなかった。


「あなたは悪くなかった。ひどい仕打ちを受けなければならない理由なんて、なに一つなかった。継母の態度も、あなたの母親の自殺も、あなたの責任じゃない」


 彼もまた、長いこと闇の中で過ごし、思ったのだった。

 たとえだれも彼女のために泣く人間がいなくても、自分一人くらいはそうでいてやりたい。

 愛し、愛されることの心地よさをピエールは知っている。

 だからこそ、その自分まで闇になるわけにはいかない。

 ピエールは急速に自分の輪郭を取り戻す。


「あなたは抗える。戻ってこれる。これから先の、可能性が、選択肢がある。壊れてしまうのは簡単で、狂気の世界は楽かもしれないけど、そこに生きたものはなにもない。どんなに辛くても、あなたに生きてほしいと願う人がここにいる。戻っておいで。俺のお姫様」


 彼女はいつの間にかそこにいた。

 まるでミイラのようなシワがよった醜い姿。

 腕を伸ばしてもぎりぎり届かない距離。


「うるさい。うるさいの」


 かさかさの口から出てくる釣れない言葉。

 ピエールは苦笑いを浮かべた。


「はは…、二ヶ月ぶりだな?」


 そっと近寄り、彼女の垂れた髪を耳にかけてやる。触れただけでこぼれ落ちてしまいそうな脆い頬をやさしく撫でる。


「どうして、残ったの」

「はは、分からないか?」

「……」

「会えて、嬉しいよ」

「こんな姿でも?」


 彼の言葉に、彼女はよわよわしく問いかけた。


「君が君であるなら、外側なんてどうでもいい。そりゃあ若くてかわいくて巨乳であるに越したことはないけど…痛い」


 急に質量を増した闇に、悲鳴をあげる。

 エラは顔をしかめてそっぽを向いた。


「前から思っていたわ。あなた、貴族なのに時々ほんとにデリカシーに欠けたこと言うわよね」

「君って、怒るとそんな風になるんだな」


 感心したように顔を覗き込もうとするピエールに、エラはますます嫌そうな顔をする。


「怒っているのよ」

「そりゃあいい。どんどん怒ればいい。溜め込むことはない」

「喧嘩を、したくないの」

「どうして。不満があるだけ、たくさん喧嘩をしよう。そして同じだけ仲直りをしよう。他には?」

「外に出るのが、こわいの」

「そうだな。俺もこわい。ここと違って醜いものだらけだ。こわいからそばにいてくれ。俺も君のそばにいよう」

「わたしじゃ、あなたの力になれない…」

「君は俺の役に立つためだけに存在しているわけじゃない。君の人生は君のものだ。でも、その場所が俺の隣にあるのなら、こんなに嬉しいことはない。他には?」

「見ないで」

「それはムリだよ」


 ピエールは笑いながらエラを優しく抱きしめた。


「俺は君を見ているし、君には俺を見てほしい」

「…………、あなたに会うのを怖がっていた自分がバカみたいだわ」


 申し訳なさそうに、照れたようにポツリと呟かれたその言葉にピエールは目を丸くする。それからクククと笑いをこぼした。


「今さら気づいたのか?」

「ね、ねえ、あたしをここから連れ出してくれる?」


 エラがそっとピエールの服を掴む。

 ピエールは朗らかに返事をした。


「もちろんだよ」


 そして、そっと呪文を唱える。


「『風よ、すべてのものを浚っていけ』」

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