第15話 だれ?
「さあ、別のものを呼び寄せてしまう前に移動しましょう」
げんなりした顔をしたソルシエールに従い、本棚を脇にどかして部屋から出る。
扉を開けると、そこは元いた城ではなく、長い一本の通路になっていた。
元の城にはそんな仕掛けはないのだから、十中八九、魔法のせいだ。
ただし敷かれた絨毯の色だったり、要塞独特な小ぶりな窓だったり、そういうところは元の城が基調になっているようだ。
「うんざりだわ」
心の中で思っていたことが、そのまま声に出てしまう。
「まあ、でも他に道ないし。行くんだよね、師匠?」
赤ずきんの確認に、魔女が頷き、一行はそろりそろり移動を始めた。
魔女を先頭に、他の面々が続く。
だれもが無言で、静かだった。
絨毯のため、足音すらない。
しかし静寂な分、わずかな音もよく響く。
マーシャは自分の呼音ががやたら大きく響くように感じた。
「ひぃっ……」
どこから響いてくるのか、ときおり、そこにないはずの時計の鐘が鳴った。閉じ込められた時にもなった、あの音だ。
その度、マーシャの肩はまるで主人がだれかを忘れてしまったかのように、勝手にびくりと跳ねる。
「なんだろう。だれか、泣いていませんか? 子供?」
急に、無言で一番後ろを歩いていたアーノルドがそんなことを言い始めた。
「刑事さん。そんなこと言わないでくださいよお」
マーシャの泣き声に、刑事が素直にすみませんと謝罪する。
「空耳かなあ。でもなんか、ぎいぎいって軋む音もしてません?」
「そういう敏感な人って、物語だと真っ先に消えちゃうんですよ。やめてくださいってば」
蒼ざめるマーシャに再度アーノルドが謝罪する。
「赤ずきん。君は聞こえてないのでしょ?」
マーシャは願うような気持ちで、自分の前を歩くのっぽな少年に問いかけた。
彼は首を横にふる。
「うーん。聞こえなかったけど」
「けど?」
聞き返した後に、聞かなければよかったと後悔する。
きっとロクでもない事だ。
少年の外套をマーシャはそっと掴んだ。赤ずきんは、気がついただろうに、なにも言わなかった。余裕の違いが伺える。
その口からは案の定、ロクでもないことが飛び出した。
「さっきから周りで人が死んでいるね」
「ひえ、言わないでちょうだい!」
そんな気はしていたのだ。
さっきからマーシャには自分の両脇を固めるものが壁なのか、それとも別のなにかなのか判然としなかった。ただ、ぎいぎいと音がするのと連動して、ぶらぶらと人間の足に似た何かが宙に揺れているのは感じていた。だから、出来るだけ視界に収めないよう、なにも見ないように下を向いていたのに。
先頭を行く魔女が「顔がボケている」と言ったきり、ウンともスンとも言わないものだから、それも怖い。彼女はどうして死体の顔なんてまじまじと見ているのだろう。
だいたい、風が吹いているわけでもないのに、どうして体が揺れているのだ。
もう、いやだいやだ。まるで悪夢でも見ているよう。
マーシャは頭を振っていやな考えを追い払い、手近な救いに助けを求めた。
「お、重い重い。お姉さん重いよ」
ところがしがみつかれた赤ずきんは、その上半身をのけぞらせて苦しがっている。マーシャはだんだん怒りを覚えてきて、
「女性に重いなんて言っちゃいけないの!」
と少年を叱り付けた。
赤ずきんはうへえ、と理不尽に目をぱちくりとさせながらも、賢明なことに口をつぐんだ。
✳︎
ソフィが部屋を飛び出してすぐ、ピエールは彼女を追いかけようとしたが、彼の老執事が立ちふさがってそれを止めた。
「ご主人様。扉を開けてはなりません。危険でございます」
「見捨てるわけにはいかないだろう。どいてくれ」
「坊ちゃん!」
執事が声を張り上げた。幼い頃からピエールを知る老執事はほとんど親代わりと言ってもよく、叱るときは決まってこう叫ぶのだ。普段ならむやみに彼の言うことに逆らったりもしないが、今はそういうわけにもいかない。
執事を押しのけて、ホールにつながる扉に手をかけた時。
こんこんと、外側から扉を叩く音がした。
「……ソフィか?」
もしかして戻ってきたのか、とピエールが問いかけるが、答えはない。代わりに再びコンコンをいう音がした。
「公爵」
オーギュスターブ警部が鋭くピエールに声をかける。その声は緊張を孕んでいる。
「元、だ」
ピエールは訂正してから、言葉を続けた。
「そうだな。おかしいな」
ノックの音は、ピエールの膝より少し上くらいの位置から聞こえた。ソフィは幼く、小柄だが、さすがにノックする場合それよりも拳は高い位置にくる。
魔女はこの世界が切り離された場所だ、と語っていた。内から抜け出せない代わりに、外からは入ってこれないのだ。この広間と魔女についていった人間以外に、この屋敷に人間はいない。
それならば、扉の向こうでノックしている者がソフィか魔女でないなら、それは、人間でないということになる。
もしかしたら、人間じゃないかもしれない。
なにが起きるか分からない。
部屋にいるだれもがそう思ったことだろう。
一同の緊張をはらんだ視線が扉に集中する。
どうしたものか、ピエールが思案した時、
「お願い。ここを開けて」
か細い声がした。
「暗くて怖いよう」
続けて、泣きそうな子供の声がする。
微妙に声の高さがちがう。
どうやら二人いるらしい。
「き、きっと、だ、双子の男女の霊です」
メイドのリュシーの引きつった囁き声が、ピエールまで届いた。
「お願い、お願い」
扉の向こうで声が反響している。
ピエールははっきりと断言した。
「わるいけど、信用できないな」
子供特有の甲高い声が少し大きくなる。
「開けてくれないと怒られちゃう」
「お願い」
「それなら、君たちの名前を教えてくれないか?」
ピエールの問いに、返ってきたのは薄気味わるい沈黙だった。
「どうなんだ?」
再度、問いかける。
「ダメだよ」
「取られちゃう」
そんな声が聞こえてきた。
ピエールははっきりと断る。
「それならムリだな」
「ひどい」
「ずるい」
子供たちはきぃきぃと恨めしそうな声を出すと、その声をともに扉がこまかく振動する。
「君たちは、元のところに戻りなさい」
ピエールが促す。すると、声はフェードアウトするように、だんだんと遠ざかっていった。
部屋にホッとした空気が満ちる。
しかしその瞬間。
扉のノブがガチャガチャと激しい音を立てた。
それから、きしむ音を立ててゆっくりと扉が開かれてゆく。
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(おまけ・その13)
捜査の合間。久しぶりに日が沈む前に家に帰る。
「まあ。帰ってきたの」
エプロンで手をぬぐいながら驚く妻に、夕飯ができるまで息子の面倒を見ていてほしいと頼まれ、家の中、息子を探す。彼は、子供部屋で絵本を読んでいたが、父親に気がつくとすぐに駆け寄ってくる。
「やあ、フィストン」
「パパ!」
丸い頭が腹に埋まる。
「今日も元気にしてたかい」
「うん!」
「どれ、本を読んであげよう」
何を読んでいたのか、と放り出された絵本を拾い上げる。
「どれどれ…、『稀代の魔女の大冒険』? 面白いのかな、これは」
「うん、魔女がわるい王妃さまからお姫さまを守るお話なんだ。お父さんは魔女にあったことある?」
にこにこと嬉しそうに話す様子から、本当に気に入っていることがわかる。
「ないなあ。しかし、お父さんが子供の時には、魔法使いってのはワルモノだったものだがねえ。時代は変わったものだな」
年月の経過を認識してため息をこぼすと、息子は腕を揺らして急かしてきた。
「分かったから、早く読んでよ!」
「分かった。分かったよ」
意識して声を作って、語り出す。
「『むかし、むかし。まじょというのは、それはもう悪いいきものでした…』」
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