第10話 正午の鐘

ソルシエールは一階まで降りて、大広間、ダイニング、書斎、それから使用人棟を回る。そして、それぞれの四隅に印を刻んでいった。外からの魔術の侵入を防ぐ呪いだ。


 途中すれ違った警部からは「ふん、あんなままごとのようなものが効くか」というありがたいお言葉をちょうだいしたが、ソルシエールはそれよりもむしろ隣で申し訳なさそうな顔をしているアーノルドの方が気になった。彼は胃のあたりをやたらさすっていたが、だいじょうぶだろうか。ストレスによる胃痛かもしれない。


 最後の一つが終わり、中庭に出ると、赤ずきんが螺旋階段から勢いよく駆け下りてきた。


「師匠、みーっけ」

「よくここにいるって分かったね」

「師匠って干し草みたいな香りがするんだよ。だから見つけやすいんだ」

「へ、へえ…?」


 嗅覚の鋭さが犬並みの赤ずきんにソルシエールはおののいた。嗅覚だけでなく、鋭すぎる五感の持ち主といえるかも知れない。ついでに身体能力もやたら高い。


 自分の袖を持ち上げてくんくん嗅いでみるが、麻痺しているのかなにも感じ取れない。もともともぐら並みの嗅覚の持ち主でもないので、感じ取れなくても不思議はない。


「でも、ここは庭の花の香りが強いから。実を言うと姿を見かけたんだ」

「そっか。百合以外の花の香りはする?」

「うん? してないよ。血に染まってるみたいに真っ赤だね、ここの花。すごいなあ」


 ソルシエールは、もっとも気になっていたことを尋ねた。


「ここでなにをしてたの?」

「メイドさんたちのお部屋に案内してもらったんだ。あるメイドさんが、隅々まで見せる代わりに、私たちに怪しいところはないわ!って魔女さまに伝えてって。おもしろい人だよ」


 ソルシエールは息を吐き出した。


「君ってほんと、天性の人たらしだよね」


 赤ずきんがころころ笑う。


「ありがと」


 そして子鹿のような大きな目を少し細めると、


「この使用人棟も、使用人さんもなんにも怪しい気配はないんだ。ここで働いている人は失踪に関係ないのかなあ?」

「そうかもね」


 『魔女ごろし』を使う算段を立てていたメイド二人を脳裏に思い出したソルシエールに、赤ずきんはふしぎそうに続ける。


「お嬢さまの持ち物だっていうハンカチも見せてもらったんだけど、なにも匂いがしなかったよ。もしかしたら、ほかの人の匂いに紛れちゃっただけかもしれないけど」

「そっか」


 ソルシエールは赤ずきんの顔をぼけっと見つめていると、赤ずきんが視線に気がついて不思議そうな顔をした。


「なあに?」

「手を出して」


 ソルシエールの頼みに、


「なんかくれるの? やった!」


 赤ずきんはなにかモノがもらえるのだろうと、手を皿のようにして差し出した。ソルシエールはポケットから組み紐をずるずると引っ張り出すと、赤ずきんの手首に巻きつける。


「紐? なにこれ?」

「お守り。道中からなにかと物騒なことが起きているからね。使い捨てだけど、一応つけとくといいよ」


 途端、赤ずきんはみるみる不満そうな顔をする。

 その様子が目に入って、なにごとかと、ソルシエールは結びつける手を止める。横目でイヤそうにソルシエールを見る赤ずきんと目が合った。


「なに?」

「…子ども扱いしてる?」

「いや。べつに」

「ほんとに?」

「使えるものは使うべきじゃない?」

「なら、いいや」


 固結びをして解けないようにする。


「はい。できた」


 魔女とちがい、赤ずきんはさっさと気持ちの切り替えが済んだらしく、にこにこと、


「わあ、魔女の色だね!」


 などと手首を見て喜んでいる。

 普段大人びているけど、妙なときに子供っぽいよな、と訝るソルシエールが、顎に手を当てて考え事を始めた時、夜の闇を切り裂くような甲高い叫び声が辺りに響いた。


 明らかに尋常ではない様子に、


「こっちだ!」


 耳のいい赤ずきんが先んじて駆け出す。

 ソルシエールも慌てて後を追う。着いたのは中庭から台所に続く金属の重そうな扉だった。見覚えのないメイドが二人。近くにいたのか、先に着いたらしく、ぴったりと閉じられた扉の前で慌てている。


「お姉さんたちごめん、どいて!」


 赤ずきんが駆け下り扉の取っ手を上下に動かすが、鍵をかけているのか開かない。


「ごめんなさい、ごめんなさい!」


 中から響く許しを請う女性の声がする。

 異様なことが起きている。それが分かる、切羽詰まった声だ。


「いや、許してええええ」


 狂ったような叫び声に、赤ずきんは腰のホルスターからリボルバーを引き抜くと、身を踊らせて跳躍し、ほとんど二階の位置にある換気用の小窓の窪みに身を潜らせ、膝でガラスを叩き割って中に侵入した。

 すぐさま内開きのドアが開き、外に控えたソルシエールたちを出迎えた赤ずきんだが、不可解そうな顔をしている。


「だれもいないよ」

「危ないから、中に入らないでください」


 不安そうなメイドたちに釘をさし、中に駆け込んだソルシエールも、すぐに赤ずきんと同じ表情をすることになった。


 調理台の上には麦やら何やらがばら撒かれ、それ以外にも調理器具やら鍋やらがあたり一面に散乱している。割れたガラスやら調理器具やらを避けながら、ダイニングに繋がる扉に向かった。こちらも同じように鍵がかかっている。


「おい、どうした! ここを開けろ!」


 どんどんと反対側から叩かれる振動で木製の扉が揺れている。

 解錠すると、壁に叩きつけられるほど勢いよく扉が開かれた。


「なにがあった!」


 オーギュスターブ警部が中に飛び込んでくる。


「なんだこの匂いは」


 苦々しく顔をしかめる。

 アーノルドも後に続いている。


 オーギュスターブ警部は点検している魔女を見て苦渋を絞りきったような顔をすると、「なにごとだ」と低い声で問い詰めた。


「さあ」

「さあ、とはなんだ! さあ、とは!」


 耳を突き刺すような大声でつめ寄る警部に、魔女は顔をしかめる。


「私たちも今きたところですので」

「悲鳴が聞こえたぞ」

「奇遇ですね。私たちにも聞こえましたよ」

「お前がなにかしたんじゃないのか」

「今来たところだと、なん回繰り返せば覚えていただけるんだか。警部ってば、素晴らしい記憶力をお持ちのようで」

「なんだと? バカにしているのか!」

「あらあ。分かりました?」


 中庭へとつながる戸口から女中たちがおずおずと顔を出す。待機していた女性たちだ。手と手を取り合って身を寄せている。おそるおそる、彼女たちが魔女の味方をしてくれる。


「あ、あの…。魔女さまはわたしたちより後にいらっしゃいました」

「ほら、ね」


 魔女が警部をじっとり見返すと、警部がいかつい顔を引きつらせる。


「部屋に入った時になにかしたのかもしれない」

「この短時間で? 想像力も豊かなんですね」

「なんだと?」


 魔女は大げさにため息をついて警部を無視すると、メイドたちに尋ねた。


「私たちがここに来るまでの間に、誰かがここの扉から出てくるのを見ましたか?」


 メイドたちが顔を見合わせる。


「いいえ、魔女さま」

「む、わたしらも見てないな」


 警部が顎をさする。


「ここにいたのは誰なのだ?」


 オーギュスターブの質問に、メイドたちが震える声で答えた。


「た、たぶん。料理人見習いのジュリーがいたと思います…」

「声が、彼女のものだったわ…たぶん」


 聞き覚えのある名前に、ソルシエールが首を撫でる。


「ジュリーって、エラさまと仲が良かったという方ですか?」


 メイドたちはそれぞれ頷いた。


「え、ええ…」

「そうよ」


 二人のうちの一人が緊張に耐えかねたようにポロポロと瞳から涙を流すと、もう一人が慰めるように片割れの肩を抱いた。


「もうすぐ結婚だって喜んでいたのに」


 警部が顎を撫で、それから指示を出し始める。


「アーノルド。君は、座れるところの多いダイニングにでも人を集めてくれたまえ。安全を確認し、話を聞くぞ」

「承知しました」


 部屋を検査していたアーノルドがその言葉に踵を返して、部屋から出て行く。

 それから魔女と赤ずきんに向き直ると、


「ここから出て行ってくれ」


 などと言う。


「なぜ?」


 魔女は聞き返した。


「今からこの部屋をあらためる。一番怪しいのは、魔女だろう。悪魔だしな。なにかされてはかなわん。近寄るな、悪魔」

「ソルシエールって名前があるんですが」

「はん、そんな偽名くさい名前。とにかく捜査をするんだから、ほら」


 めんどうそうに手をひらひらさせる警部に、魔女は二、三歩進んだが、ふいにピタリと動きを止めた。


「な、なんだ?」


 じっと空を見つめる不審な様子を、オーギュスターブ警部は薄気味が悪そうに見やる。みるみるうちにソルシエールの唇はにやあ、と楽しそうに弧を描いた。


「これは…」

「だから、なんだ? ……気持ちわるいぞ」

「来る」


 その言葉と同時に。

 ダンダンダンダン!

 なにかを打ち付けるような鈍い音が館中に響いた。

 きゃあ、と女中たちがか細い悲鳴をあげる。


「なにごとだ」


 慌てふためく警部に魔女が短く答える。


「魔法の発動です」

「お前か」

「ちがいます。なにもしていなかったでしょ。そこのお嬢さんたちもそこにいない方がいい。巻き込まれてしまう」


 手招きする魔女に従い、戸口にいた女中の二人が台所内に進んだ途端、大きな音を立てて扉がひとりでに閉じた。


「ど、どういうこと?」


 メイドがドアノブを上下させるが、開かない。

 魔女は一人したり顔で頷いた。


「閉じ込められてしまいましたね」


 その言葉とともに、どこからともなく鐘の音が響き渡り、時を告げた。まるで、なにかを合図するかのように。奇しくも、時刻は正子だった。





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(おまけ・その8)


 年老いたシャーロット・ブノワの母親の頬に涙が伝う。


「あの子は家計を助けるために、学校にも行かずに働き始めたんです。あんないい娘どこにもいませんわ。刑事さんがた、お願いです。どうか、娘を見つけてくださいませ」


 車椅子から転げんばかりにして縋る母親。なだめるのに苦労して、ようやく彼女を落ち着かせる。


「彼女の行きそうなところに、心当たりはないかね?」


 この質問に、彼女の母親は涙を流さんばかりに首を横に振った。


「いいえ、いいえ。刑事さん。あの子は決して悪い事なんかしませんわ。頼れる親戚もいない愚かな私のために一生懸命に働く子ですもの」

「それでは、最近新しい場所に行き始めたということは?」

「仕事で忙しかった彼女に、そんな時間はなかったわ」


 ほろほろと年端のいかない少女のようにその瞳から涙がこぼれ落ちていく。

 そうして意気消沈してうなだれた。


「唯一の息抜きと言ったら日曜日に行く教会くらいで……」

「それでは、最近あたらしく人と知り合ったりは?」


 少し言葉に詰まると、それからふと、思い出したように。


「そういえば、最近新しく友達ができたって言ってたかしら…?」


 と首を傾げた。

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