僕が彼女と出会ったのは大学時代。それは丁度、僕が趣味から本格的に小説家を目指し始めた日。

 その日は休日だった。僕は電車に乗って少し大きめの本屋まで向かっていた。

 そこでハードカバーを色々と見ていると隣に人影が一つ並ぶ。僕はその人へ一瞥した。別に何かあったとかじゃなくて本当に何となく。

 その一~二文字読めるかどうかぐらいの間で見えたのは背中まで伸びる長い黒髪と棚を見つめる女性の顔。僕は戻したばかりの視線をすぐさま、まるで引き寄せられるように女性へ向け直した(しかも次は失礼にも顔もしっかり向けてがっつりと)。

 その人は綺麗な顔立ちをした美人な人っだった。どんな芸能人や物語のヒロインよりも魅力的なそんな女性。これが一目惚れっていうやつなのか。僕は落ちていく恋心を感じながら少し冷静にそう思った。

 するとそんな思わず見入ってしまっていた僕の方へ(視線を感じたのだろう)女性が顔を向けた。不意に合う宝石のように綺麗で優しい目。

 その瞬間、心臓が速くそして一回一回主張するように強く鼓動し始める。相手に聞こえないか心配になるほどに。本来ならば人の顔をまじまじと見つめてしまったことを真っ先に謝らなければならないのだが、それすらも忘れてしまう程に僕は惹き込まれていた。


「もしかして邪魔でしたか?」


 柔らかで聴き心地好い声は少し申し訳なさそうに尋ねた。多分、僕が彼女の目の前の棚に用があると思ったのだろう。

 でもそうではないとちゃんと言おうと思ったが見つめていたことを思い出すと気まずさを感じすっかり動揺してしまっていた。その動揺のやり場に困りながら頭の後ろへ手をやる。


「あっ。いや。その。そうじゃないんですけど。綺麗な人だなと思ってつい……」


 何を言ってるんだろう。僕は言葉を手放した後に一人後悔をした。焦って要らぬことも言ってしまったとを。

 変人とか思われたかな? そんな心配をしていると女性はふふっと零すように笑った。口元を手で隠し上品に笑うその姿もとても可憐で、まだ恥ずかしさはあったものの自然と口元が緩む。


「急に変なこと言ってすみません」

「いえ、嬉しいです。ありがとうございます」


 そう言って彼女が浮かべた少し面映ゆそうな笑顔に僕の心は鷲掴みにされた。それは恋のキューピットの矢に撃ち抜かれたような衝撃だった。


「あの! もしよかったら食事とかどうですか?」


 ついつい高鳴る心臓に唆され出会ったばかりなのに誘ってしまった。

 ただでさえ急に見つめたりナンパみたいなことして変な人なのに。僕は心の中で溜息をついた。


「いいですよ」


 だが彼女から返って来た言葉は意外なものだった。


「え? いいんですか?」


 てっきり断られると思っていた僕は思わず一驚に喫した。


「えぇ。あっ、一応訊いておきますけど本は好きですか?」

「はい! 笑えるものだったり泣けるものだったり熱くなるものだったり。色んな物語があって大好きです」

「私も。丁度色々と話を出来る人が欲しかったから良かった」


 こんな素敵な人と同じ趣味の話ができる。そう考えると込み上げてきた気持ちが表情を喜色に染めた。変なニヤつき顔になってないといいけど。

 そんなこんなでもう少し本を見て回った僕らは近くのお店で食事をした。その時の話題はもちろん本。あの本が面白かっただとかあのシーンが特に良かっただとかオススメの本だとか。

 やっぱり共通の話題があるのは話し易くていつもは人と話すのが苦手な僕も少し饒舌になっていた。いや、それもあるけど彼女が楽しそうに聞いてくれるっていうのも大きいと思う。だけどそんな楽しい時間ほど過ぎ去るのはあっという間だ。


「それじゃあそろそろ」

「あっ、そうですね」


 それからお会計を済ませお店を出た。僕が誘ったのもあるけどここは男らしく食事代を払おうとしたが、それは申し訳ないと結局割り勘することになった。それ自体は別にいいけどかっこつけようとしたせいで少し恥ずかしい。それがバレてないことを祈ろう。


「楽しかったです。ありがとうございました」

「こっちこそ楽しかったです。ありがとうございました。突然お誘いしちゃったのにありがとうございます」

「まぁちょっとは吃驚しちゃいましたけど……」

「すみません」


 僕の言葉を最後に二人共黙ってしまい少し気まずい沈黙が割って入った。何か言わないと。そう思ったがコミュニケーション能力が高くない僕は何を言っていいのか分からず気持ちだけが焦った。


「――それじゃあそろそろ」


 結局、その沈黙を破ったのは彼女の声。


「そ、そうですね」

「では」


 彼女は軽く頭を下げるとくるりと体を後ろへ向け歩き出す。


「あのっ!」


 そんな足を僕の一言が止めた。そして少し振り返った彼女は顔に呼び止めた理由を尋ねる表情を浮かべる。


「もし良ければ連絡先とか……いいですか?」


 僕の言葉に彼女は零すように笑みを浮かべた。そしてスマホを取り出しながらもう一度僕の前へ戻って来た。


「また誘ってくれるんですか?」

「迷惑でなければ」


 何かを答える前に彼女は僕と連絡先を交換してくれた。交換してくれたと言うことは少しぐらい好感があって――つまり誘ってもいいってこと? 若干の不安に駆られた僕は思い切って訊いてみることにした。


「また誘ってもいいんですか?」


 断られたらどうしようという不安が頻りに僕の方を見遣る。


「んー。――いいですよ」


 彼女は少し焦らすように悩むとニコっと笑顔を浮かべ期待していた返事をくれた。


「それじゃあ私はこれで」

「はい。気を付けて」


 心はすっかり舞い上がり多幸感サンバを踊り始めていた。そんな心の所為で上の空になってしまっていた僕は歩き去っていく彼女の後姿を少しの間眺めていた。

 だけどずっとそこでそうしている訳にもいかず今にもスキップをしたい気持ちのまま帰宅。


 それから一回――二回、三回と僕は何回か食事に誘い、彼女は何度か断り何度か応じてくれた。

 改めて食事をしてみて分かったことがある。彼女は僕の理想を詰め込んだような人だという事。その笑った顔も好きなことを語る声も、コーヒーを飲んだりご飯を食べたりする動作から髪を耳に掻き上げる仕草に至るまでどれをとっても魅力的だ。

 だけど食事へ行ってくれ近く感じるがそれでいてどこか高嶺の花のように遠くも感じる。それに彼女はよく思わせぶりなことしてくる。それも手が届きそうに感じる理由のひとつかもしれない。


「あの主人公の友達いいですよね。私結構好きです」

「ああいう感じの方が好きなんですね」

「んー。そう言われると少し違う……かな」

「じゃあどういう人が好みなんですか?」


 僕は自然と好みの男性を聞けたと内心ガッツポーズを決めていた。


「そうですねー。――本が好きで、積極的に誘ってくれて、さっぱりした髪型をしてて、シャツの似合う人ですかね」


 彼女は僕を観察するように見ながら一つ一つゆっくりと答えていった(ちなみに僕は今日シャツを着ていた)。そんな視線を向けれられ自分に当てはまることを(積極性はどうか分からないが他は当て嵌まってる)言われれば誰だってそう思うはず。


「それって。もしかして……」


 きっとその時の僕は期待や希望に満ちた顔(もしかしたらニヤけてたかも)をしていたかもしれない。


「さぁ? どうでしょうか」


 彼女はわざとらしく首を傾げて見せた。でもその姿すら愛らしい。

 しかし彼女はそんな思わせぶりとは逆の事もしてくる。

 それはまた別の日のこと。この日、本屋の帰り道で偶然彼女を見かけ声を掛けようとした。だけどそんな彼女の隣には男性の姿があり喉まで込み上げた声を止める。

 親し気に並んで歩く二人。思わず唖然とした。だけど別に僕は彼女の彼氏でも何でもない。分かっているけどどこか裏切られたような――というよりはただ単に落胆した。その場で蹲りたいほどに。

 すると彼女の顔が偶然にもこちらを向き目が合った。僕は何となく気まずさを感じ逸らしたくなったが、それより先に彼女が意地悪な笑みを浮かべた。口の前で謝るように手を立てながら。

 その時は僕自身も自分のことを馬鹿だなって思ったけど、その表情と仕草はつい照れしまう程に可愛らしかった。胸が締め付けられるのを感じる。

 でもこれはその後に知ったことだがあの男性はどうやらただの友達らしい。そのことにホッとしたけどそれまではしっかり落ち込んだ。

 そんな風に彼女は思わせぶりなことをしたと思えば、突っぱねるようにしばらく連絡をしてくれなかったり、男を匂わせたりする。だから僕じゃ無理なのかと思うことも多々ある。

 しかもその時は決まって目指してる小説家への活動も上手くいかない。多分、気持ちが落ち込んで影響でも出るんだろう。重なり合う最悪の所為でまるで泥沼にハマり身動きが取れないように最悪な気分になる。しかも口に泥が入ってきて幾分か呑んでしまうというおまけつき。

 もういっそのこと諦め、全て忘れてしまってこんな辛い気持ちから解放されようかと思う。だけどやっぱり諦めきれない。それ程に彼女は魅力的だ。

 そう僕はいつしか――いや、初めて会った時から彼女に夢中なんだ。今は精々友人止まりだろうが出来る事なら彼女とはそういう間柄になれたら、なんて思ってる。いつしか彼女にこの想いが届き僕の隣だけで笑顔を見せてくれたらどれだけ最高だろうか。

 だけど、どうやら彼女という人物は相当手強いらしい。どんな星より輝き魅力的で僕を誘惑するように素敵なところを見せてくれる。なのにいざ僕から近づこうとすれば――手を伸ばそうとすればそっぽを向いて離れて行ってしまう。でも僕が伸ばす手を止めればまた追いかけたくなるような素敵なところを見せてくる。

 弄ばれてるのかもしれない。なんだかんだ最後は手が届かず終わるのかも。何てことを分かっていてもやっぱり諦めきれない。

 いつかは。今度は。次こそは。

 そんな言葉に釣られてどんなに辛い思いをしても結局は追いかけてる。周りの人は「いつまでそんなことをしてるんだ」と「さっさと諦めて現実を見ろ」と言うかもしれない。だけど彼女の魅力は、彼女を真剣に見た者にしか分からない。その中々手が届かない辛さもそれでいて他の男と楽しそうに歩いている姿を見た時の嫉妬と落胆の気持ちも。

 でも同時にこれも知らないはず。彼女が楽しそうに笑った時の笑顔も、読書をする時の横顔も、照れて少し頬を赤らめた顔も、髪を耳にかきあげる時の仕草も。可憐で美しく、魅力的な彼女を。知らないはずだ。

 それを知ってしまえばきっと追いかけたくなる。だけど多くの人は途中でもう無理だと挫折してしまうかも。

 でも僕は諦めない。

 だから今日もこうして書き綴る。

 いつの日かの夢を見ながら。

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