第10話

 「「食べたい食べたい食べたいなぁ!」」

 「うーん……」


 椅子に座るネルブは頭を悩ませていた。

 それは子供達が目の前の家から漂ってきた料理の匂いを嗅いだ結果、遠回しにエドガー夫婦の家に行きたいと、テーブルの周りをグルグル回っているからである。


 だが母親としては、ワガママな子に育てるわけにもいかず、かと言って子供の要望はなるべく叶えてあげたい。


 そんな躾と親心の間に苛まれているわけだが。


 「ミーナお姉ちゃんのとこに行こう!」

 「うん、レイチェルも賛成!」

 「あ、アンタ達!?」


 そんな心など知らないレッカーとレイチェルは、家を飛び出し二人の住む家へと駆け出し。


 「エドガーお兄ちゃん、開けて〜! レイチェル、美味しいご飯、食べた〜い!」

 「僕も、僕も! 開けてよミーナお姉ちゃん!」

 「「開けて開けて〜!」」


 ランダーク夫婦の家の扉を仲良く叩くのであった。


 「あら? この声は!?」


 そんな二人の声に反応したミーナは、右手を魔石に向け、魔力を流して火を消すと、扉へ向けて小走りで向かい、そして優しく扉を引いた。


 「アンタ達、よそ様に迷惑かけるなっていつも言ってるでしょ!」

 「「うわぁぁぁぁん!」」


 そこに待っていたのはネルブがレッカーとレイチェルの頭に拳を振り下ろした瞬間であったが、それを認識するのも束の間。


 「「お姉ちゃ〜ん」」


 ミーナは左右の両足を二人にそれぞれ抱きつかれる事になった。


 「あっどうもネルブさん……。 これは一体どう言う事ですか……?」


 状況が掴めずキョトンとするミーナはそうネルブに尋ねる、するとネルブはため息を一つついてこう答えるしかなかった。


 「はぁ……。 レッカーとレイチェルがアンタの料理の香りに釣られてしまってねぇ、それで押しかけてしまったという訳さ」

 「なるほど……。 なら食べませんか?」

 「うーん……」


 話を聞き、笑顔を浮かべたミーナにネルブが困惑した表情を浮かべた

 ミーナがそう言ったのは、彼女がメルシス教徒と言うのもあるが。


 「ネルブさんにはいつもお世話になってますから、たまにはお礼をさせて下さい!」


 日頃からパンを貰ったりとネルブにはお世話になっている為の恩返しと言う側面が強い。

 しかし、他人に迷惑をかけたくないが子供の思いを尊重したいネルブはそんな申し出に対し。


 (んん〜、どうするかねぇ……)


 と腕を組み考え込む。

 だがしかし。


 「せっかくだし、お姉ちゃんの料理、食べたいよ〜!」

 「レイチェルも、レイチェルも!」

 「う〜ん……」


 ネルブは両手で子供達が自身を叩く姿を見下ろし、じっくりじっくり考えた結果。


 「ミーナ、すまないが甘えて良いかい?」

 「勿論です! さぁ中へ入って下さい! とっておきのシチュー雑炊をご馳走しますよ!」


 ミーナに甘える事にしたのであった。


 「シチュー雑炊ねぇ……。 なら、ピザの売れ残りがあるから、それを持参させてもらうよ! レイチェル、レッカー、ミーナに迷惑をかけたら承知しないよ!」

 「「はーい!」」

 「ふふっ、それじゃあ二人とも、先に中に入ってようか!」

 「「はーい!」」


 さてネルブと一時別れ、レイチェルとレッカーを自宅に招き入れたミーナは、二人を家の中へと案内するが。


 「ねぇねぇ……」

 「どうしました、レイチェルちゃん?」

 「ミーナお姉ちゃん、エドガーお兄ちゃんは?」


 入り口入ってすぐの事。

 レイチェルはエドガーの姿が見えなかった為、ミーナのワンピースを軽く引っ張りそう尋ねる。

 そんなレイチェルに対し、どう説明するか考えたミーナは。


 (ふふっ、ここは少しからかいますかね……)


 そう考えると目線を合わせる様にしゃがみ、レイチェルの肩に手を乗せ、真剣な顔でこう答えるのであった。


 「レイチェルちゃん、実はエドガー君は病気にかかっているのです……」

 「病気!? お兄ちゃんは大丈夫なの!?」

 「大丈夫ではないのです。 なにせ私にメロメロになってしまう、重度の恋の病ですから……」

 「あわわわ……」


 それはレイチェルを笑わせようとミーナが言った冗談であったが、ミーナの顔があまりに真剣過ぎたせいか、レイチェルはそれを間に受けてしまい。


 「た、大変だ……」


 アワアワした表情を浮かべて右往左往。

 更に、そんな顔を見ていたレッカーも。


 「えっ……兄ちゃん死なないよね……」


 と泣きそうな顔を浮かべて右往左往してしまう。

 そして遂には。


 「「うわぁぁぁぁぁん! どうしよう〜!?」」


 二人はパニックを起こし、大声で泣き出してしまった。


 「あの、だ、大丈夫ですって二人とも! 冗談、冗談ですからね、恋の病って!? だからその、落ち着いてくれませんか!? お菓子あげますから!?」


 そしてミーナは慌てて二人にそう告げるが、時すでに遅し。

 二人の泣き声はネルブが戻ってくるまで途切れる事はなかった。


 …………。


 「アンタ、まったくバカなんだから……」

 「返す言葉もありません……」


 二人の子供が泣き疲れ、椅子に座って眠っている。

 そんな中、テーブルに座り、グラスに注がれた酒を飲むネルブは今、(お恥ずかしい)と言わんばかりに顔を赤く染め、鍋の中をゆっくり混ぜているミーナにそう告げていた。


 それは事の次第を全て聞いたから出た発言であったが、それは決して子供を泣かせた事に関する事ではなかった。


 「ミーナ、いつまでも同じ日常が続く訳じゃ無いんだ、いつ今まで送ってきた日常がいなくなるかも分からないんだ、だからこの一瞬でもこの日常を大切にしないと、アンタ後悔するよ。 ……だからさ、エドガーを大切にしな!」

 「…………」


 それは酒に酔い、感情的になってしまった事と、エドガーが体調不良と聞いた事が重なり、告げた助言であった。

 そして真剣な表情へ変わったネルブは、ミーナにこう続けるのである。


 「アタシの夫だってそうさ、貴族の地位を捨ててまでアタシと結婚したのに、他人を助けようと岩に潰されてさ……。 せっかく結婚してやったのに、勝手に死んでさ……。 ホント、バカな奴なんだから、アイツは……」

 「ネルブさん……」


 ネルブは昔、夫であるヒューイを亡くしていた。

 二人の子供が生まれる前の月、冒険者として洞窟を探索していたヒューイは、仲間の冒険者を落石から助けようと突き飛ばし、代わりに潰され亡くなった。


 それは日頃、夫を雑に扱いながらも愛していたネルブに後悔させ、その古傷は今、ミーナの事を思いつつ、テーブル上の両手を握りしめさせ、瞳から薄ら涙を流させる。


 「……おっと、アタシらしくないね……」


 そして、感極まりそうになったネルブが右腕で涙を拭いた時だった。


 「お母さん大丈夫?」

 「何で泣いてるの?」

 「お母さん、ねぇ?」

 「お母さん、お母さん!」

 「レイチェル達がいるから大丈夫だよ!」

 「僕も、僕も!」


 母親の涙が二人の意識を覚醒させるカギになったのだろうか?

 目を覚ましたレッカーがネルブの右手側から服を引っ張りながら声をかけ、それに続いてレイチェルも同じ様に服を左手側から引っ張り尋ねる。


 そしてネルブはそんな二人に対し、椅子を下げると中膝になり、二人をぎゅっと抱きしめた。


 「……ミーナ、言うなればこの二人はアイツの残してくれた宝物なんだ、アイツが残してくれた……。 でもね、やっぱり辛いもんだよ、そう思わなきゃいけないって……。 あんな奴でも急にいなくなるって……」

 「「お、おかーさん……」」


 母親としての愛と、夫への愛を入り混ぜた様な表情を浮かべ、それを聞いた子供達は嬉しそうに目をウルウルとさせていた。

 そんな様子を調理しながら眺めているミーナは。


 (ふふっ、家族って良いなぁ……。 子供って良いなぁ……)


 とその風景を羨ましく思いつつ、微笑んだのであったが。


 「ミーナ……」

 「どうしました、ネルブさん?」

 「ちょっと吐きそうなんだけど……」

 「あわわわわ!? ね、ネルブさん飲みすぎですよ! と、とりあえず外に行きましょう!?」

 「「お、おかーさん……」」


 そんなネルブの一言がその微笑ましさを一瞬のものとし、子供達に呆れた表情を吐きそうな母親に向けさせるには十分であった。

 だから今、ミーナはネルブの肩を支え、外へと向かっているのである。

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